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(344)勝浦合戦

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登場人物:源義経、伊勢義盛、近藤親家、桜間能遠

 源義経は強風のなか船を出し、義経の船に従った4艘を引き連れた合計5艘で、通常は3日で渡るところを一夜にして下ってしまい、徳島の浜に近づきました。

 夜が明けると、浜に平家の赤旗がいくらかはためいているのが見えました。船上の義経は下知を下しました。

「それ、われらへの防戦準備をしているぞ。浜に近づいてから船から馬を追い立てようとすれば、敵の的になり餌食になる。浜に近づく前から船を傾けて馬を海に降ろし、、船につないで泳がせよ。馬の足が立ち、鞍の前後の輪の下端が水に浸かるくらいの深さになったら、すばやく馬に乗り、駆けよ、者ども」

 5艘の船には兵糧米を積み、武具を入れていたので、馬の数は50頭あまりでした。船団は、浜に近づきながら、義経の命令通りに馬をどんどん海に入れ、船につないで泳がせました。馬の足が立ち、鞍の前後の輪の下端が水に浸かるくらいの深さになると、すばやく飛び乗り、義経の50騎は、わめき叫びながら、駆けだしました。浜に控えていた平家の100騎ほどの軍勢は、しばし持ちこたえることもできず、2町(約220メートル)ほど退き、待機しました。

 義経は浜に上がりました。人馬を休め、三郎・伊勢義盛を呼び、命じました。

「平家のあの軍勢に大将がいれば連れてこい。尋ねたいことがある」

 義盛は畏まって承り、100騎の中へただ一人、馬で駆け寄せ、どうしたことか、黒革縅の鎧を着た40歳ほどの男を、甲を脱がせ、弓の弦を外させ、降人として引き連れてきました。義経が「何者だ」とただすと、男は、「当国の住人、坂西の近藤六親家」と名乗りました。義経は、部下に、「たとえ何者であろうと、やつから目を離すな。鎧も脱がすな。すぐに屋島への道案内に連れて行く。逃げたら殺せ、者ども」と命じました。

 源義経は、近藤親家を呼び、「ここは何という場所だ」と尋ねると、「たしか、勝浦といいます」と親家は答えました。義経が「義経にお世辞を言っているのか」と笑うと、親家は、「たしかに勝浦です。土地の者が言うには、かつら、ですが、字では勝浦と書いています」と告げました。義経はたいへんよろこび、「あれ聞いたか、殿ばら。いくさをしに来た義経が、勝浦に着いためでたさよ。もし、この辺りに、平家に味方してわれらを背後から襲うような仁はいるか」と聞きました。「阿波民部重能の弟、桜間介能遠がいます」との返事。義経は「それなら、いざ蹴散らして通らん」と、近藤親家の100騎から、人と馬を選りすぐり、30騎を自軍に引き入れました。

 義経は、桜間能遠の城に押し寄せました。三方は沼で、一方が堀でした。堀の方から押し寄せ、ときの声をどっとあげました。城兵は「さあ、射取れ、射取れ」とさんざんに射てきましたが、義経の兵はものともせず、堀を越え、甲を深くかぶり、わめき叫んで攻めました。能遠は、これはかなわないと思ったのでしょうか、家の子・郎党たちに矢で援護させて、わが身は屈強の馬を持っていたのでそれに乗り、命からがら逃げ落ちました。義経は、残り留まって防戦していた兵たちの中から20人の首を切って、いくさの神への血祭りにあげ、勝利のときの声をあげ、「門出よし」とよろこびました。

(2012年2月6日)


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