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(331)重景と石童丸

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登場人物:平維盛、斎藤時頼、重景、石童丸

 屋島を出て落人となった平維盛は、「維盛の身は、インドの大雪山で寒いと鳴くという寒苦鳥のように、今日よ、明日よと、嘆くものよ」と、涙ぐみました。潮風に汚れ、都に残した北の方と幼い子どもたちへの尽きない思いにやせ細り、その人とは見えませんでした。しかし、さすがに平家の嫡流だけあり、それでもなお、立派に見えました。

 高野の聖と呼ばれた元滝口の武士で、小松殿に仕えていた斎藤時頼を訪れ、高野山の堂塔を案内された維盛は、その夜は、時頼の庵室に戻り、今昔のことを語らいました。夜が更け、時頼の姿・身のこなしを見るにつけ、深い信仰修行の床では仏教の深い真理を極めると見え、明け方の勤行を告げる鐘の音は人生の眠りを覚ますように響き、出家したのちは、このようにありたいと思われたことでしょう。

 夜が明けました。東禅院の知覚上人(高野山南谷の東禅院の理覚坊心蓮上人)という聖を招き、出家することになりました。維盛は、屋島から供に連れてきていた与三兵衛・重景と、石童丸を呼び、告げました。

「維盛は人知れぬ妻子への恩愛の情を持ちながら、世間が狭く逃れることができない身となった。維盛は出家するが、お前たちは命を粗末にしてはならない。このごろは、平家に仕えていた人でも、世で栄えている人も多い。われが出家したのちは、急ぎ都へ上り、各々で身を立てて、妻子を育み、そして、維盛の後生を弔ってくれ」

 平維盛からそう告げられると、重景と石童丸は、泣き崩れ、しばらくはしゃべることもできませんでした。少ししてから、重景が涙を抑え、告げました。

「重景の父・与三左衛門景康は、平治の乱の時、平重盛殿のお供をして、二条堀河の辺りで、鎌田兵衛と組み、悪源太・源義平(義朝の子)に討たれました。重景は劣りませんが当時は2歳だったので、覚えがありません。重景の母は、7歳の時に死にました」

「父母が死に、情けをかけてくれる親しい者が誰ひとりいなかった時に、平重盛殿が憐れんで、『重景はわが命に代わって討たれた重康の子だから』と、面倒を見てくださり、朝夕、御前で育てられ、9歳の時に、維盛殿の元服の日の夜、かたじけなくも、重盛殿が自らの手で髪の毛を取り、『盛の字は家の字なので、五代(維盛)に継がせる。松王(重景の幼名)には、重の字を』と仰せられ、重景と名づけてくださりました」

「そのうえ、幼名を松王というのも、生後50日の祝いに、父が私を抱いて重盛殿の御前に参ったのですが、重盛殿は『この家を小松というので、祝って名づけよう」と、松王とつけてくださりました。父が立派な最期をとげたのも、わが身の誉れと思っています。仲間たちからもずいぶんとよくしてもらい、心を尽くしてもらいました」

「それに、重盛殿は、御臨終の際も、世の事はお捨てになっておられたので一言も触れませんでしたが、重景を御前に呼び、『ああ無慚だ。お前は重盛を父の形見と思い、重盛はお前を重康の形見と思って過ごしてきた。今度の除目で、お前を、左右の衛門の尉(じょう)である靭負尉(ゆきえのじょう)にして、靭負尉だったお前の父・重康と同じように、お前を召してみたかったのに。それもできなくなり、悲しいぞ。けっして、維盛の心に違うな』と申されました」

「日頃は万が一の事があれば、まず、真っ先に命を捧げようと思っていましたが、その折には見捨てて逃げ去る者と思われていたことが、わが身ながら恥ずかしくなりました。さきほど、維盛殿は『このごろは、平家に仕えていた人でも、世で栄えている人も多い』と仰せられましたが、ただ今の情勢では、源氏の郎党で満ちております」

「維盛殿が神にも、仏にもなった後は、楽しみ栄えても、千年の寿命を保てましょうか。例え、万年、生きることができても、ついには死んでしまう身。これに勝る発心の機縁はありません」

 重景は、そう告げると、自ら髻(もとどり)を切り、維盛と同じように、斎藤時頼に髪の毛を剃ってもらい、出家しました。

 その様子を見た石童丸も、髪の毛を結んだひもの場所である元結から髪の毛を切りました。石童丸も8歳のころから仕えており、重景にも劣らずかわいがられたので、同じく時頼に髪の毛を剃ってもらい、出家しました。

 維盛は、重景と石童丸が髪の毛を剃る様を見て、ますます、心寂しくなり、「ああ、なんとしても、私の変わらない姿を今一度、恋しい妻子に見せてからなら、思い残すことなく出家できるのに」と、せめてもの嘆きを口にしました。

 妻子への思いは尽きないのですが、時が来たので、維盛も、「流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者」(三界の中を流転する限り、恩愛の情を発つことはできない。恩愛を棄てて無為(悟り)に入るのは真実恩愛に報いる者である)と3回、唱えて、ついに髪の毛を剃りました。

 維盛と重景は同じ年で27歳。石童丸は、18歳になっていました。

(2012年2月2日)


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