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(319)平維盛

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登場人物:平維盛、平維盛の北の方

 一の谷の戦いで討ち取られた平家一門の首が、大路を引き回され、皆、心を痛めました。中でも、大覚寺に隠れていた平維盛の北の方、維盛の子の若君と姫君があまりに覚束なく、付き従っていた斎藤五、斎藤六が変装して首を見に行きました。平維盛の首はありませんでした。しかし、引き回された首は皆、知っている人たちで、あまりの悲しさに涙がたえず、人目も怖くて、急ぎ、大覚寺に帰りました。

 北の方は、戻ってきた斎藤五、六に、「さてどうでした」と聞くと、「引き回された人々の首は皆、知っている人でしたが、三位中将殿の首はありませんでした。ご兄弟では、備中の守・平師盛殿の首だけがありました。ほかには、あの方の首、この方の首…」と告げました。北の方は、「それらも他人事とは思えない」と伏してしまいました。

 ややあって、斎藤五が涙を抑えて言いました。

「もっと見て来たかったのですが、この一両年、隠れ住み、人にも多く見知られています。ただ、事情に詳しい人がいうには、『今度の合戦で、小松殿・平維盛の兄弟たちは、播磨と丹波の境にある三草の手を固めておりましたが、源義経に破られて、平資盛殿、平有盛殿、平忠房殿は播磨の高砂から船に乗り、讃岐の屋島へ渡りました。どうして離れたのか、平師盛殿ばかりが、一の谷で討たれました』とのこと」

「そこで、『さて、平維盛殿はいかにされた』と尋ねると、『維盛殿はいくさの前に病気になられ、讃岐の屋島へ渡っていましたので、今度の一の谷の戦いには参加していません」と申す者に会いました」

 斎藤五が細々と語ると、北の方はなげきました。

「病気になったのも、われらのことを心配するあまり、朝夕に嘆かれて、病となったのでしょう。風の吹く日は今日も船に乗るのかと肝を砕き、いくさと聞けば、ただいま討たれたのではと心を尽くす。まして、病気とあれば、大事。どうして、もっと詳しく聞かなかったのです」と告げました。若君、姫君も、「どうして何の病気か聞かなかったの」と言ったことは哀れです。

 平維盛も同じ思いで、都では、北の方と子どもたちが心細く覚束ない日々を送っていると思ったのでしょう、例え自分が大路を渡された首の中に入っていなくても、矢に当たって死に、水に溺れて死ぬこともありますので、今まで生きているとは思っていないかもしれません。侍一人の露のようにはかない命がまだ浮き世にあることを知らせようと、使者を一人立てて、都へ上らせました。

 維盛は使者に3通の手紙を託しました。北の方には、「都は敵方で満ち、御身は居場所もない思いをしていることでしょう。幼い子どもたちを連れて、どんなに悲しんでいることか。ここへ迎え入れ、同じ場所でどのようにもなれとは思いますが、わが身一人はともかく、そなたのためには痛ましくて」など細々と記されていました。奥に一首、ありました。

  何処とも知らぬあふせの藻塩草

    かきおく跡をかたみとも見よ

 幼い子どもたちへは、「毎日、どんなことをして過ごしていますか。すぐに、こちらへ迎え入れますよ」と、同じ言葉が記されていました。

 都に到着した使者は文を取り出して北の方に渡しました。北の方は、文を開け、思いを募らせてしまったのでしょうか、伏してしまいました。

 4、5日もすると、使者は、「御返事を受け取り、帰ります」と告げました。北の方は泣く泣く返事を書きました。

 若君、姫君も筆を取り、「さて、父上へのお返事は、何と書けばよいのですか」と尋ねました。北の方は、「いまはもう、お前たちが思うままのことを書きなさい」と教えました。若君と姫君は、「どうして今まで迎えに来てくれないのですか。あまりに父上が恋しいです。早く迎えに来てください」と、同じ言葉を書きました。

 使者は返事を受け取り、屋島へ帰り、維盛に渡しました。まず、幼い人たちの返事を見て、やるせない様子を見せました。維盛は、「今となってはこの世を捨てる気も起きない。妻子との愛着の絆が強いので、後世の往生を願うのも、もの憂い。ただ、今から山伝いに都へ上り、恋しき者たちを今一度見て、その後、自害をしようか」と、泣く泣く語りました。

(2012年1月29日)


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