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(298)平清盛の命日

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登場人物:源範頼、源義経、後白河法皇、平宗盛、平通盛、中原師純、藤原尹明

 寿永3年(1184年)正月29日、源範頼と源義経は参院し、後白河法皇へ、平家追討のために西国へ出発する旨を奏聞しました。後白河法皇からは、本朝に神代より伝わる、神璽(曲玉)、草なぎの剣、内侍所(神鏡)の3つの宝を、無事に都へ戻すようにとの言葉がありました。範頼・義経の両人は庭に畏まり、後白河法皇の言葉を承り、退出しました。

 2月4日は平清盛の命日。福原では、形ばかりの法要が行われました。合戦に明け暮れる日々で、月日のたつのも忘れますが、去年のことが思い出され、憂かりし春となりました。世が世なら、清盛の命日ということで、さぞ盛大な塔婆の建立や、法事の営みもあったのでしょうが、今はただ、平家の男女の公達たちが寄り集まって、嘆き、悲しむばかりです。

 福原では、清盛の命日に、除目も行われました。僧も、一門も皆、官職が与えられました。中でも、平宗盛から、平教盛に正二位大納言になるようにとの仰せがありました。しかし、教盛は、一句の歌で返事をして、ついに大納言にはなりませんでした。

  今日までもあればあるかのわが身かは

    夢の中にも夢をみるかな

 大外記・中原師直の子の周防介・中原師純が大外記になり、兵部少輔・藤原尹明(まさあき)が五位の蔵人に叙任され、蔵人少輔と呼ばれました。昔、平将門が坂東八か国を討ち従え、下総の国の相馬郡に都を立て、わが身を平親王と称し、官位の任命をほしいままにしましたが、その時は、暦の博士はありませんでした。今回の平家の叙任は平将門のそれとは違い、旧都を出たとはいえ、平家には、安徳天皇がおり、三種の神器がありますので、叙位除目が行われても間違いではありません。

 平家が勢力を盛り返し福原まで攻め上ったうわさがたつと、都に残り留まった人々は皆、勇み、喜びました。なかでも、二位の僧都・専親(清盛の妻・平時子の養子)は、梶井宮と同じ宿所にいましたが、ちょっとした便りにも書きました。梶井の宮も、また、文を書きました。宮の文には、「旅の空の装い、御心苦しけれども、都も未だ静まらず」など細々と書かれていて、奥に一首の歌がありました。

  人知れずそなたを忍ぶ心をば

    傾く月にたぐへてぞやる

 平維盛は、日が過ぎ、年が変わるうちに、都に残してきた北の方と、幼い子どもたちのことをひたすら嘆き悲しむようになりました。商人に託すなど手紙も通うようになり、北の方の都での住まいが心もとないことを伝え聞き、それなら、ここへ迎えて、いっしょにどうにでもなろうとも思われましたが、自分以外の身をつらい目に遭わせることがはばかられ、嘆き、悲しみながら明け暮らしました。平維盛のせつない心の深さが顕れています。

 平清盛の命日である2月4日、源氏は福原を攻めようとしていました。しかし、清盛の命日と聞き、その日は攻めるのをやめました。5日は、西へ向かうのを忌む「西塞がり」で、6日は、外出を嫌う「道虚」なので、7日の卯の刻に、一の谷の東西の木戸口にて、源氏と平家が矢合わせすることを定めました。

(2012年1月18日)


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