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(292)源義仲の最期、今井兼平の最期

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登場人物:源義仲、今井兼平、石田為久

 源義仲が自害するために粟津の松原へ向かった後、今井兼平は取って返し、敵50騎の中に駆け入り、鐙に立ち上がって、大音声をあげました。

「遠からん者は音にも聞け、近からん人は目にも見給え。木曽義仲殿の乳母子で、今井四郎兼平、生年33歳だ。兼平ありとは鎌倉の源頼朝殿まで聞こえているぞ。兼平を討って、頼朝殿にお見せせよ」

 兼平は射残した8筋の矢を続けざまに放ちました。生死のほどは不明も、矢庭に敵8騎を射落とし、太刀を抜き、切って回りました。兼平と面と向かう者はおらず、ただ「射取れ、射取れ」と告げ、さんざんに射掛けてきました。しかし、鎧が良いので裏まで通らず、すき間に当たらなければ手傷すら負いません。

 義仲は単身、粟津の松原へ駆けていました。時候は、寿永3年(1184年)正月21日の日没ころ、田に薄い氷が張っていました。義仲は、深みがあることを知らず、馬を田に入れ、まるで馬が消えてしまったかのように泥の中に馬をはめてしまいました。鐙で馬を煽り立て、ムチを何度もくれましたが、抜け出せません。

 義仲はそのようなときでも、今井兼平のことが気がかりで、振り返りました。そこに、相模の国の住人で三浦氏の次郎・石田為久が追いつき、矢を放ちました。義仲は、甲の内側を射られ深手を負い、馬のかしらにうつぶせになりました。石田為久の郎党2人がやってきて、源義仲の首をあげました。

 為久は、すぐに首を太刀の先に貫き、高くかかげ、叫びました。

「当節、日本国に鬼神ありと聞こえた源義仲殿を、三浦石田次郎為久が討ち取った」

 それを、今井兼平が聞きつけました。兼平は、「今は誰を守っていくさをすべき。これ見よ、東国の殿ばらたちよ。日本一の剛の者の自害の手本よ」と告げ、太刀の先を口に入れ、馬から逆さまに飛び降り、太刀に貫かれて死にました。

(2012年1月15日)


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