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登場人物:源義経、畠山重忠、梶原景季、佐々木高綱
宇治川の激流を前にした源義経の言葉を受け、21歳の武蔵の国の住人・畠山重忠が進み出ました。
「この川の評判は鎌倉でもよく聞いていました。思ってもいなかった運河が、昨日、今日に突然現れたわけではありません。琵琶湖から流れ出る川なので、待っても水は引かないでしょう」
「また橋を架けて渡ることもない。去る治承の源頼政殿の宇治合戦の際、17歳の足利忠綱がこの川を渡りましたが、忠綱とて、鬼神ではありません。重忠がまず瀬を踏みます」
畠山重忠はそう告げ、武蔵七党の中の丹治党を引き連れて、500騎で鐙を並べました。
その時、平等院のうしとらの方角にある橘の小島が先から、2騎の武者が駆け付けてきました。一騎は、梶原景季。もう一騎は、佐々木高綱。梶原景季は、人目には普通に振る舞っていましたが内心では先駆けを心掛けていたのでしょう、景季は、佐々木高綱に一歩先んじて川に馬を進ませました。
佐々木高綱は、「いかに梶原殿、この川は西国一の大河ぞ。腹帯がほどけているように見えます。お締め下さい」と声をかけました。景季は、それならと、手綱を離し、左右の鐙にぶんばって立ち、腹帯を解いて結びなおしました。
高綱は、影季が腹帯を結び直している間に、脇を抜けて、川へ入りました。景季ははばかられたと思ったのでしょう、すぐに続いて馬を川へ入れました。
景季は、「佐々木殿、高名をあげようとして不覚を取りなさるな。水の底には大綱がある、それをお忘れなく」と告げました。高綱も、それを考えていたのでしょう、太刀を抜いて、馬の足にかかる大綱を、ふつふつよ切りながら進みました。宇治川がいくら早くても、高綱は、生食という天下一の馬に乗っていました。宇治川を真っ直ぐに進み、対岸に上がりました。景季の磨墨は、川の途中から、斜めに押し流され、はるか下流から上陸しました。
その後、佐々木綱は、鐙を踏ん張りながら立ち上がり、大音声をあげました。
「宇多天皇の9代目の後胤で近江国の住人・佐々木三郎秀義の四男・佐々木四郎高綱が、宇治川の先陣だ」
(2012年1月11日)
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