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(271)瀬尾兼康の最期

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登場人物:瀬尾兼康、瀬尾宗康、倉光成澄

 去る5月の戦いで瀬尾兼康を生け捕りにした倉光成澄は、弟の成氏を兼康に討たれ口惜しく思ったのでしょう、今度もまた兼康を生け捕りにしてやろうと、軍勢から単身抜け出して、追いかけました。1町ばかりの距離まで追いつき、「あれはいかにも瀬尾と承った。卑怯にも敵に後ろを見せるものかな。返せや、返せ」と呼びかけました。板倉川を西へ渡っていた瀬尾兼康は、川の中に留まり、成澄を待ちました。

 成澄は鞭打って追いつき、馬を兼康に並べました。2人は組み合い、馬からどっと落ちました。互いに劣らぬ怪力でしたので、上になり、下になり、転げ合いました。そのうちに、深い淵に転げ入りました。倉光成澄は水練に通じていませんが、瀬尾は水泳の達人でした。瀬尾は水の底で、成澄の腰の刀を抜き、成澄の鎧の草摺を引き上げ、柄も拳も貫通せよとばかりに力を込めて、三刀付き刺し、成澄の首をあげました。

 瀬尾兼康は自分の馬を乗り潰していたので、成澄の馬に乗り落ちていきました。

 兼康の嫡子の小太郎・瀬尾宗康は20歳でしたが、太っていて、1町も走れませんでした。兼康は走れない宗康を見捨てて、20町ほど逃げ落ちました。しかし、そこで、郎党に告げました。

「いつもは千万の敵に逢い、いくさをするが、気持ちは晴れ晴れとしていた。今日は宗康を見捨ててきたからだろうか、先が暗くてまったく見えない。今度のいくさを生き延び、再び平家に仕えたとしても、『兼康は60を過ぎているのに、あと何年生きようと言うのだ。一人息子を見捨てて、ここまで逃げてきたというぞ』などと同輩から言われるのが口惜しい」

 郎党は、「だからこそ、いっしょにいてどうにでもなりたまえと言ったのです。戻りましょう」と口にし、瀬尾兼康はとって返しました。

 案の定、宗康は、足が膨れるばかりにはれて伏せてしまっていました。兼康は急ぎ馬から降り、「お前といっしょにどうにでもなろうと思って、ここまで戻ってきたのだ」と告げました。宗康は涙を浮かべて、「たとえ、わが身の不器用のため私がここで自害しようとも、自分のために父上まで命を落とされるようなことになってしまったら、五逆罪(殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血)に相当します。さあ、早くお逃げください」

 宗康はそう告げましたが、兼康はもう決めたことなので、そこで休んでいました。源氏の新手50騎がやって来ました。兼康は残っていた8本の矢をさんざんに射掛けました。生死はわかりませんが矢の先で8騎を落とし、その後、太刀を抜き、宗康の首をはねました。兼康は敵の中に討ち入って、縦、横、斜め、十文字と、さんざんに駆け回り、さんざんに戦い、敵を討ち取って、そこで討ち死にしました。兼康の郎党も、兼康に劣らず戦いましたが、痛手を負って生け捕りにされました。中1日して、死んでしまいました。

 兼康、宗康、郎党の主従3騎の首は、備中の国の鷺で、さらされました。義仲は、「あっぱれ剛の者かな。これらの命を助けることができず殺したのは残念だ」と口にしました。

(2012年1月10日)


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