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(268)水島合戦

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登場人物:源義仲、義康の子、矢田義清、海野行広、平知盛、平教経

 鎌倉で源頼朝が征夷大将軍の院宣を受け、都で源義仲が評判を落としている時、屋島の平家は、山陽道8か国(播磨、美作、備前、備中、備後、安芸、周防、長門)と、南海道6か国(紀伊、淡路、讃岐、阿波、伊予、土佐)の都合14か国を、討ち取りました。

 これは見逃すわけにはいかないと、義仲が討っ手を出しました。

大将軍:陸奥新判官義康の子、判官代・矢田義清
侍大将:海野弥平四郎行広(信濃の国の住人)
軍勢:7000騎
進路:山陽道

 源氏は、備中の国(岡山県)の水島の瀬戸に船を浮かべて、讃岐の国(香川県)の屋島へ進攻しようとします。

 寿永2年(1183年)10月1日、水島の瀬戸に一艘の小舟がやって来ました。漁師の船か釣り船に見えましたが、平家方からの牒使の船でした。源氏は、浜に引き上げていた500隻あまりの船を、一斉に、海に浮かべました。

 平家方は1000隻で攻めてきました。

大将軍:平知盛
副将軍:平教経

 教経は大音声をあげて、「四国の者どもよ、北国の輩に生け捕りにされることを悔しいと思わないのか。味方の舟を組め」と叱咤激励しました。平家1000隻は、ともづな、へづなを組み合わせ、船と船を綱で結び、平らな板を通しました。平家は、船上にいながら、平地で戦うようになりました。

 ときの声をあげ、矢合わせをして、平家は、遠くの者は射殺し、近くの者は太刀で斬りかかりました。源氏は、熊手で海に引き落とされる者もあり、組んで差し違え海に飛び込む者もあり、いずれも絶え間なく平家に襲われました。

 源氏の侍大将・海野行広が討ち取られました。それを見た矢田義清は、一大事と、主従7人で小舟に乗り、真っ先に平家方に寄せて戦いました。しかし、船を沈めて死んでしまいました。

 平家は船に馬を乗せていたので、船を傾けて馬を海に入れ、馬を泳がせて船を引かせました。馬の足が立ち、鞍の前後の輪の下端が海に浸かるくらいになると、馬に乗り、能登の守・平教経500騎が、大声を上げながら先駆けをしました。

 源氏は、大将軍が討たれたと、われ先に逃げ出しました。

 平家は、水島の戦いに勝ち、会稽の恥をそそぎました。

(2012年1月9日)


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