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(256)後鳥羽天皇

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登場人物:後白河法皇、後鳥羽天皇

 寿永2年(1183年)8月20日、都では、後白河法皇の宣命で、故高倉上皇の四の宮・尊成親王が、高倉上皇の御所・閑院殿で皇位につき、後鳥羽天皇となりました。摂政は、もとの摂政である近衛殿・藤原基通。蔵人頭や五位六位の蔵人を任命し、人々は退出しました。三の宮の乳母は泣き悲しみましたが、甲斐がありませんでした。しかし、礼記にも『天の二つの日なし、国に二人の皇子なし』といいますが、平家の悪行のために、京の都と田舎に二人の天皇がいるようになりました。

 昔、文徳天皇が天安2年8月23日に崩御しました。文徳天皇には皇子がたくさんいましたので、それぞれが皇位に願いをかけて、内々に加持祈祷を行いました。

 文徳天皇の一の宮・惟たか親王は、大原の皇子とも呼ばれました。王者の裁量を心がけ、四海(日本全国)の安全をたなごころの中に照らし、百王の理乱を心がけていました。されば、賢聖の名を得る器と見えました。

 二の宮・惟仁親王は当時の摂政・藤原良房の娘で、染殿良房の邸宅(良房の邸宅)と呼ばれた藤原明子が母です。藤原一門の公卿がこぞって養育し、二の宮もまた、捨てがたい皇子でした。

 一の宮、二の宮は、片方に守文継体の器量があれば、もう一方に万機輔佐の臣下が付いている。どちらも決め難い状態でした。

 一の宮・惟たか親王の祈祷は、弘法大師の弟子で東寺の一の長者・柿本紀僧正・真済。二の宮・惟仁親王の祈祷は、外祖忠仁公のおかかえの僧である比叡山延暦寺の恵亮和尚が承りました。いずれも劣らぬ高僧。

 文徳天皇は、人々が具合がよくないとささやきあっているうちに崩御しました。そして、公卿詮議がありました。「そもそも臣下が選んでしまったら私家のためということにも成りかねない。万人が納得することはないだろう。ここは、競馬、相撲を行い、2人の皇子の運をはかり、雌雄を決して、皇位を継くべきでないか」

(2012年1月4日)


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