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(252)後白河法皇の山門御幸

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登場人物:後白河法皇ほか

 平家物語「巻の七」では、源義仲と戦った平家の大敗と、京と福原を焼き払った平家の都落ちが語られます。人々の心は平家から離れ、それまで中立を保っていた比叡山延暦寺も源氏に味方することになりました。平家は、安徳天皇を奉じて、西海へ漕ぎ出しました。

 「巻の八」は、安徳天皇と同じ運命をたどるのを恐れて、いち早く平家の目をくらませて雲隠れしていた後白河法皇の様子が語られることで始まります。

後白河法皇の山門御幸


 寿永2年(1183年)7月24日の夜半、後白河法皇は、按察使大納言・資賢の子の右馬頭・資時だけを供にして、ひそかに法住寺殿を脱出し、鞍馬の奥へ御幸しました。しかし、鞍馬寺の僧たちが、「ここはなお都に近く、危ないです」と言うので、それならと、横川にある笹の峯や、鞍馬山の東の山路で静原に出る峠となっている薬王坂などの難所を忍び越えて、比叡山の三塔の一つである横川の六谷の一つの解脱谷の寂場坊に入りました。すると、延暦寺の大衆が口を揃えて、「東塔にこそ御幸されるべきだ」と声をあげたので、東塔南谷の円融房に入りました。比叡山の衆徒も、武士も皆、後白河法皇が入った円融房を守りました。

 後白河法皇は仙洞を出て比叡山に入り、安徳天皇は都を去り西海へ向かいました。摂政殿・藤原基通は吉野の奥に逃れたといいます。女院や、皇女、皇子たちは、八幡、賀茂、嵯峨、太秦、西山、東山のほとりに逃れていました。平家は落ちましたが、源氏はまだ来ません。京の都は、主無き里となりました。開闢(かいびゃく)以来、初のことといいます。聖徳太子の未来記には、今日のことをどのように書かれているでしょう。

 後白河法皇が比叡山に入ったことが伝わると、藤原基房(先の関白松殿)、藤原基通(近衛殿)、花山院忠雅(先の太政大臣)、経宗(左大臣)、九条兼実(右大臣)、藤原実定(内大臣)、藤原忠親(大納言)、藤原実宗(中納言)、藤原長方(中納言)、源通親(宰相)、藤原泰通(宰相)、花山院兼雅、中御門宗家、源雅頼、藤原経房、高階泰経など、三位・四位・五位の殿上人、世に人と数えられ、官位昇進に望みをかけ、所領官職を持つ人はすべて、一人も漏れることなく、比叡山の後白河法皇を迎えに参上しました。そのため、円融房にはあまりに多くの人が来てしまい、堂上、堂下、門内、門外と、すき間なく人で満ち溢れました。山門は繁盛し、皇子・皇族・摂関家・貴族などの子弟が出入りする「門跡」の面目と見えました。

(2011年12月31日)


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