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(243)聖主臨幸

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登場人物:平知盛、平宗盛、畠山重能、小山田有重、宇都宮朝綱

 平家は都落ちの際、六波羅殿、池殿、小松殿、八条殿、西八条殿など一門の屋敷20か所あまりをはじめとし、臣下の家々、京白川の4、5万の民家に火をかけ、一度に焼き払いました。

 六波羅殿、池殿などは、かつて皇居ともなっていた場所です。宮城は空しく礎だけを残し、天皇の御輿は跡を残しているにすぎません。あるいは、后が遊びを催した場所も荒れ、後宮には悲しく風が吹き、女官の局は露色に愁いを帯びています。鏡に向かって化粧し、刺しゅうや帳で覆われた部屋や池、大臣の邸宅、殿上人たちの屋敷などは、多年の経営のたまものでしたが、空しく片時の灰と化しました。高貴な人たちの邸がそのような様子ですので、郎党や、雑人の家などは何も残りませんでした。都を焼いた炎は、辺り一帯の数10町におよびました。

 強国・呉の宮殿もたちまち焼け落ち、姑蘇台の宮殿跡は露が下りた草むらに隠れ、秦が衰えると、秦の宮城・咸陽宮を焼く煙が城壁の銃目を隠したと言われますが、その様子が目に浮かぶようです。秦は函谷関と二(じ)こう山の険しい砦を固めていましたが、北の蛮族にそれらを破られ、けいいの大河の深さを頼りにしていましたが、東の敵に奪われてしまいました。はかりがたきは、どんな君臣の繁栄も終わってしまう世の習い。昨日は雲の上で雨を降らす龍の勢いがあっても、今日は市場でまな板の上に乗せられた魚のごとし。繁栄とわざわいは紙一重で、盛衰は手のひらの表と裏。今まさに、それが眼前で繰り広げられています。これを悲しまない人がいましょうか。保元(1156年−1159年)の昔は春の花と栄えましたが、寿永の今は、秋の紅葉と落ちて果てました。

 禁裏警護の大番役で在京しており篠原合戦では平家方で戦った畠山重能、小山田有重、宇都宮朝綱は、治承から寿永まで平家に捕まっていましたが、都落ちに際しては、斬って捨てられるはずでした。

 しかし、平知盛が進言しました。

「このような者の首の百や千を斬って捨てたところで、運が尽きてしまったので、平家の世を保つことはできません。この者たちにも、故郷には妻子や郎党がおり、どれほど嘆き、悲しむことでしょう。ここは理をまげて、お助けください。もし平家の運命が開けて都へ再び戻る時があれば、得難い恩を残すことにもなりましょう」

 平宗盛は「それなら、解放して東国へ行かせよ」と命じました。

 畠山重能、小山田有重、宇都宮朝綱の3人は、頭を下げ、両手を合わせて、「どこまでもお供します」と言いましたが、宗盛は、「お前らの魂は皆東国にあるはずだ。ぬけがらだけを西国へ連れて行っても仕方ない。早く行け」と言いました。3人にとっては、平家も20年余りの主ということになりますので、別れの涙、抑えがたし。

(2011年12月30日)


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