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(234)伊勢神宮

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登場人物:上総守忠清、飛騨守影家、上総大夫判官忠綱、飛騨大夫判官景高、中臣親俊、大野東人、藤原広嗣

 上総守・忠清、飛騨守・影家は一昨年、平清盛が死んだ時に共に出家した者ですが、今度の北国のいくさで、子の上総大夫判官忠綱と飛騨大夫判官景高が討たれたと聞き、悲しみの思いが募ったからでしょうか、ついに嘆き死にしてしまいました。これをはじめに、親は子に死なれ、妻は夫に死に別れ、嘆き悲しむこと限りなし。およそ都中の家々は門を閉じて、朝夕に鐘を鳴らし、念仏を唱え、わめき叫ぶことおびただしい。遠国、近国も同じでした。

 寿永2年(1183年)6月1日、祭主神祇権大副大の中臣親俊が、清涼殿の殿上間の下の戸口に呼び出され、今度の兵乱が静まったら、伊勢神宮へ御幸あるべき由が伝えられました。

 伊勢神宮は、昔、天照大神が高天原から天下り、垂仁天皇(崇神天皇)の時代25年3月に、大和の国の笠縫の里から伊勢の国・度会郡五十鈴の河上の地に、地中深く神殿の大宮柱を建て、崇めてからこの方、日本60余州、3750余社の天神地神・天龍鬼神の中でも別格。しかし、伊勢神宮に、歴代の天皇が御幸することはありませんでした。

 奈良の帝(聖武天皇)の御代に、左大臣・藤原不比等の孫の参議式部卿の藤原宇合の子で右近衛少将兼太宰少弐の藤原広嗣という人がいました。藤原広嗣は、天平15年10月(天平12年9月、続日本紀)に、肥前の国の松浦郡にて、数万の軍勢を起こして、国家を危ぶめようとしました。その時、大野東人を大将軍にして、藤原広嗣を追討するさい、初めて、天皇が伊勢神宮へ御幸しました。今度の御幸は、その例に習ったといいます。

(2011年12月28日)


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