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(230)志保山の戦い、藤原秀衡の動向

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登場人物:源義仲、源行家、藤原秀衡、平知度

 倶利伽羅峠の戦いで勝利した翌日の寿永2年(1183年)5月12日、奥州の藤原秀衡から、源義仲に、駿馬2頭が献上されました。一頭は白月毛、もう一頭は、模様が銭のような連銭葦毛。義仲はすぐにこの馬に鏡鞍を置いて、白山の社に神馬として奉納しました。

 義仲は、「今は思うことなし」といいましたが、「ただし、叔父の源行家殿の志保山の戦いが覚束ない。いざ、行って見てこよう」と、4万騎の中から、人と馬を選りすぐり、2万騎で馳せ向かいました。富山県氷見郡の氷見の浜辺を渡ろうとした際、折節、潮が満ちて、深い浅いが分からなくなりました。義仲は、すぐに、試しに、鞍を置いた馬10頭を追い立てて行かせました。馬は、鞍の前後にある足を掛けるための輪の下端が濡れた程度で、問題なく、向こう岸に着きました。それを見た義仲は、「浅いぞ、渡れ」と号令し、2万騎が渡りました。

 志保山では、案の定、源行家の1万騎が、敵にさんざんかき回され、退却して、人馬を休めていたところでした。そこに、義仲の新手の2万騎が現れ、平家3万騎の中へ駆け入り、はげしく揉み合って、火の出るほどに攻め立てました。

 平家では、大将軍の平知度が討たれました。平知度は、平清盛の末子。そのほか、多くの兵が討たれ、平家は、加賀の国に退きました。

 義仲は、志保山を越えて、能登の小田中にある新王の塚の前に陣を張りました。

(2011年12月28日)


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