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(214)洲俣川の戦い

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登場人物:平知盛(清盛四男)、平清経(重盛三男)、平有盛(重盛四男)、平忠房(重盛六男)、越中次郎兵衛盛嗣、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清、源行家、源義円

 治承5年(1181年)3月10日、美濃の国の目代が早馬を使って、源氏がすでに尾張まで攻め上り、道を封鎖して、人を誰も通さない由を都へ伝えました。

 平家は、すぐに討っ手を差し向けました。大将軍には、平清盛の四男・平知盛、平重盛の三男・平清経、平重盛の四男・平有盛、平重衡の六男・平忠房。侍大将には、越中次郎兵衛盛嗣、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清。都合3万騎が、尾張の国へ向かいました。平清盛が死んでからまだ50日もたっていないのに、末世の乱世とは言いながら、あさましいことです。

 源氏方では、十郎蔵人・源行家、源頼朝の弟・義円、都合6000騎。源平は、尾張川(木曽川・洲俣川)を挟んで陣を取りました。

 治承5年(1181年)3月16日夜、源氏は6000騎で川を渡り、平家3万騎に駆け入り、寅の刻(17日午前4時)から矢合わせをして、世が明けるまで戦いました。しかし、平家方は少しも騒がず、「敵は河を渡ってきたので、馬も、武具も皆、濡れているぞ。それをしるしに討て」と源氏を包囲して、われが討ち取ってやると進みました。

 源頼朝の弟・義円は深入りして、平家に討たれました。源行家はさんざん戦い、家の子、郎党らを多く討たれ、力及ばず、洲俣川から東へ退きました。

 平家はすぐに洲俣川を渡り、逃げていく源氏に、犬追物をするかのような攻撃を矢で加えました。源氏は、ここかしこで防戦しましたが、多勢に無勢で、とうていかなうようには見えません。人々は、史記に、「『水沢を後ろにする事なかれ』と言われるが、今度の源氏のはかりごとは愚かだ」とうわさしました。

 源行家は三河の国まで退き、岡崎の西を流れ知多湾にそそぐ矢矧川の橋の板をはずし、防戦用の楯を並べ、待ち受けました。平家はすぐに、追いつき攻撃しました。そこもついに破られました。もし平家がなお続けて攻めていれば、三河と遠江の勢力は、たやすく平家についたでしょう。しかし、大将軍の平知盛が病気になったので、三河の国から都へ戻りました。今度の戦いは、源氏の第1陣を破りはしましたが、残党を掃討しなかったので、大きな成果をあげることはありませんでした。

 平家は去年平重衡が死にました。今年また平清盛が死にました。平家の運命が末なことは明らかなので、年来恩顧を受けた者の外は、平家に従う者はいませんでした。東国は、草も、木も皆、源氏になびいていました。

(2011年12月23日)


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