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登場人物:高倉上皇、澄憲
高倉上皇は、後白河法皇が一昨年、鳥羽殿に幽閉されたこと、去年に以仁親王が討たれたことなどがあり、共になみなみならぬ天下の大事で、そのうえ、福原への遷都があり心を悩ませ、病気がちといわれていましたが、いままた、東大寺・興福寺が滅びたことを聞き、病気が重くなりました。
高倉上皇はひどく苦しんだすえ、治承5年(1181年)1月14日、平頼盛邸である六波羅の池殿にて、ついに崩御しました。在位12年、千・万の徳政を行い、詩経・書経に述べられた仁義が廃れぬよう道を興し、民に光を照らさなくなった帝位を継ぎました。命が尽きることは、三明六通の羅漢も、幻術変化の験者もまぬがれることができない道なので、有為無常の習いとはいえ、悲しいことです。
高倉上皇の遺体はすぐにその夜、東山のふもとにある清閑寺へ移されました。夕べの煙にたぐえながら、春の霞となりました。少納言信西の子の澄憲法印は葬儀に参列しようと急ぎ比叡山から降りましたが、その途中、高倉上皇は荼毘に付されました。
澄憲は、泣く泣く詠みました。
常に見し君が御幸を今日問へば
帰らぬ旅と聞くぞ悲しき
また、ある女房が高倉上皇がお隠れになったと聞き、泣く泣く、詠みました。
雲の上に行末遠く見し月の
光消えぬと聞くぞかなしき
高倉上皇は御年21歳、内には十戒を守り、慈悲を優先し、外には五常を乱さず、礼儀を正しくしていました。末代の世に現れた賢王だったので、世の悲しみは、月や太陽を失ったようでした。高倉上皇崩御がやってきたように、人の願いも、民の果報もむなしく、ただ、寿命が尽きる人間の定めが悲しいことです。
(2011年12月17日)
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