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(190)南都炎上:奈良炎上

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登場人物:平重衡、友方

 興福寺は、淡海公・藤原不比等の御願で、藤原氏累代の寺。東金堂にある仏法最初の釈迦の像、西金堂にある自然湧出(じねんゆしゅつ)の十一面観音、瑠璃を並べた四面の廊下、朱丹を交えた喜多院の二階堂、九輪が空に輝く五重塔と三重塔が、たちまち煙となったことは、ただ悲しい。

 東大寺は、常在不滅、実報寂光の生身の仏を形作り、聖武天皇が自ら磨きたてた金銅16丈(約49メートル)の廬舎那仏。頭頂が高く半天の雲に隠れ、みけんの白い巻毛あらたかに拝まれた満月の尊容も、御頭(みぐし)は焼けて地に落ち、御身は溶けた山のようにやっている。尊い8万4千の仏の形相は、秋の月早く五逆罪のため五重の雲の後ろに隠れ、菩薩に至る41の階級の仏像天蓋に付ける飾りは夜の星虚しく十悪の風に漂い、煙は中天に満ちて、南都炎上の様子をわずかでも伝え聞いた人は、肝を潰して、魂を失いました。

 興福寺の法相宗、東大寺の三論宗の経典は一巻も残りませんでした。日本はいうにおよばず、中国・インドでも、これほどの法滅があるとは聞いたことがありません。中天竺国のうでん大王が純精の黄金を磨き、帝釈の仏師・毘首かつまがインドの香木を刻んだのも、わずかに等身の仏像です。東大寺の大仏は、いうまでもなく、人間の住む世界の中で唯一無双の仏、衰え朽ちる時がくるわけがないと思われていたのに、今は、毒の炎の塵に交じり、長久の悲しみを残しました。梵天、帝釈天、四天王、龍神をはじめとする八部、地獄の閻魔の眷属の冥官・冥衆も、驚き騒いだとのこと。法相を擁護する春日大明神は何を思ったのでしょうか、春日野の露の色が変わり、三笠山の嵐の音も恨めしく響きました。

 炎に焼かれた人の数は、大仏殿の2階で1700人、山階寺(興福寺)800人、ある御堂で800人、別の御堂に300人、つぶさに数えると、3500人。

 戦場で討たれた大衆は、1000人。わずかの者の首が般若寺の門に並べられ、わずかの者の首は都へ持ち帰られました。

 明け29日、平重衡は、南都を滅ぼして都へ帰りました。

 憤りが晴れて喜んだのは、およそ、平清盛ただ一人。中宮、後白河法皇、高倉上皇は「たとえ悪僧こそ滅ぼしたとしても、多くの伽藍を破滅させる理由がどこにある」と嘆きました。

 通常であれば衆徒の首は朱雀大路を引きまわして獄門の木に掛けられるべきところですが、公卿詮議があり、東大寺、興福寺滅亡のあさましさに、何の沙汰もありませんでした。首は、そこかしこの溝や堀に捨てられました。

 聖武天皇直筆の御記文にも、「わが寺興福せば、天下も興福すべし。わが寺衰微せば、天下も衰微すべし」とあります。それなら、天下が衰微することは間違いないと思われます。

 あさましかった年も暮れて、治承も5年(1181年)になりました。

(2011年12月17日)


(191)「巻の五」のあらすじ

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