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登場人物:平維盛、平忠度、平忠清、一条忠頼、安田義定
治承4年(1180年)9月24日の卯の国(午前6時)に、富士川にて、源平で矢合わせをして開戦することに定められました。
23日の夜、いくさを恐れた伊豆・駿河の民・農民たちが、ある者は野に入り、山に隠れ、別の者は船に乗って海や川に逃げていました。そして、炊事のために火を起こしていました。
平家の兵たちが源氏の陣を見渡すと、その煮炊きの火が見えました。平家の兵たちは、「なんとおびただしい数の源氏の陣の遠火だ。まさに、野も、山も、海も、河も、皆、武者で満ちている。どうしよう」と呆然としました。
その夜、富士の沼に大量に集まっていた水鳥たちが、何に驚いたのでしょうか、一斉にばっと飛び立ち羽音が起こりました。羽音が、雷や大風などのように聞こえたので、平氏の兵たちは、恐れおののきました。
「もしや、源氏の大軍が向かったのか。昨日、斎藤実盛が言ったように、甲斐・信濃の源氏どもが、富士の裾から搦め手に回ったに違いない。敵は、何十万騎あるかわからない。囲まれてはかなわない。ここから逃げて、尾張川の州俣(すのまた)を守れ」
平家の兵たちは、取る物も取らず、われ先に、われ先にと、逃げていきました。あまりにあわてふためくので、弓を取る者は矢を忘れ、矢を持つものは弓を取らず、我が馬に人が乗り、人の馬にわれが乗り、つないだままに馬で走り出そうとするので、結んだ切り株の周りを走り続けました。平家の陣には近隣の遊女遊男が呼ばれており酒盛りをしていましたが、ある者は頭を踏まみつぶされ、別の者は腰を踏み折られました。
9月24日卯の国(午前6時)、源氏の20万騎が富士川に押し寄せ、天にも届き、大地も揺るがすほどのときの声を3回、上げました。平家方は静まりかえっています。人を出して様子を見させたら、「皆、逃げました」といいます。また、敵が置き忘れていった鎧を取ってくる者もおり、平家が置いて行った大幕を持ってきた者もいました。「およそ、平家の陣には、はえ一匹おりません」と報告しました。
源頼朝は、急ぎ馬から降りて、甲を脱ぎ、手水で清めてから王城の方を伏しておがみ、「これはまったく頼朝自身の高名ではない。ひとえに、八幡大菩薩のはからいだ」と告げました。
討ち取る敵がいないので、すぐに、駿河の国を、次郎・一条忠頼に与え、遠江の国を三郎・安田義定に預けました。追撃に出るべきところでしたが、後顧もさすがにおぼつかなく、駿河の国から鎌倉に戻りました。
東海道の遊女遊男たちは、「ああ、いまいましい討っ手の大将軍だ。いくさでは、敵を見て逃げることすらあさましいのに、平家の者どもは、音を聞いて逃げたことよ」と笑いました。
そうしている中で、落書も多くありました。都の大将軍は宗盛といい、討っ手の大将軍を権亮(維盛)といったので、平家と平屋をかけて、
ひらやなるむねもり如何に騒ぐらむ
柱とたのむすけを落として
富士川の瀬々の岩こす水よりも
早くも落つるいせ平氏かな
また、侍大将の上総の守・忠清が、富士川に鎧を捨てたことを詠んだ歌もありました。
富士川に鎧は捨てつ黒染の
衣ただきよ後の世のため
ただきよはにけの馬にぞ乗りてげる
上総しりがいかけてかひなし
など、上総しりがい(上総の産物で、馬の尻に駆ける緒)に掛けるなどして詠まれました。
(2011年12月13日)
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