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(180)富士川の合戦:平維盛、平忠度の出陣

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登場人物:平維盛、平忠度、平忠清、唐皮(鎧)

 そのようにしている程に、源頼朝の謀反のうわさがしきりに流れるので、福原で公卿詮議がありました。結果、勢いのつかないうちに、急ぎ討手を出そうということになりました。

大将軍:小松の権亮少将・平維盛(これもり)
副将軍:薩摩の守:平忠度(ただのり)
侍大将:上総の守:平忠清
軍勢:3万騎

 9月18日、福原を発ち、明け19日に京に入りました。20日、東国へ向かいました。

 大将軍の平維盛は、生年23歳、太刀を帯びた姿は絵に描こうとしても筆が追いつかないほど美しく、先祖伝来の「唐皮(からかわ)」という着長(きせなが)の鎧を、唐櫃に入れて担がせています。道中では、赤地の錦の直垂に、萌黄匂の鎧を着て、模様が銭のような葦毛の馬に、縁が金色の飾りで彩られた鞍を置いて乗っていました。

 副将軍の平忠度は、紺地の錦の直垂に、黒糸縅(おどし)の鎧を着て、太くたくましい黒馬に、梨地のように漆の上に金粉をふりかけた「い懸地」の鞍を置いて乗っていました。馬、鞍、鎧、甲、弓矢、太刀、刀に至るまで、照り輝くほどの出で立ち。人々はめったにない風景として見入りました。

 中でも、副将軍の平忠度は、ある皇女が生んだ女房のもとへ通っていましたが、ある夜、その女房の局に、やんごとなき女房が客人として来ていました。夜が更け行きても帰らなかったので、軒端にたたずんでいた忠度は、扇を手荒に使って音を立てました。

 すると、客人の女房が声を出して、「野もせに集(すだ)く虫の音よ(『かしがまし野もせに集く虫の音よわれだにものをいはでこそ思へ』から)と、優しげに口ずさみました。忠度は、扇で音を立てるのをやめました。

 その後、再びやんごとなき女房がいた夜、女房が忠度に「いつぞやは、どうして扇を使うのをやめたのですか」と問いました。忠度は「それは、『かしがまし』などと聞こえましたので、扇を使うのをやめました」と答えました。

 出征にあたり、この女房から、忠度のもとへ、袖の小さい胴衣が贈られ、千里の名残の惜しさに、一首の歌が書き添えられていました。

  東路の草葉をわけむ袖よりも

    たたぬ袂(たもと)の露ぞこぼるる

 忠度の返歌は以下でした。

  別れ路を何か嘆かむ越えて行く

    関もむかしの跡と思へば

 関も昔の跡と詠んだのは、先祖の将軍・平定盛、俵藤太秀郷が、平将門追討のために東国へ下向したことを思い出したのでしょうか、とても優雅なことと思われました。

 昔は、朝敵を平らげるために都を離れる将軍は、まず参内して、天皇から、節刀を賜りました。天皇が紫宸殿に御行し、近衛の武官が階下に整列し、大臣・公卿たちが参列し、中儀の節会が行われました。

 承平天慶(平将門・藤原純友の乱)の先例も年久しくなり、慣例として習うには難しいとして、今回は、讃岐の守・平正盛が、前対馬の守・源義親追討のために、出雲へ下向した際の例に習い、駅路の鈴だけを賜り、革の袋に入れ、下級の付き人の首から下げて東国へ下向しました。

 昔から、朝敵を討伐するために都を出る将軍には、3つの存知がありました。「節刀を賜った日に家を忘れ」「家を出たら妻子を忘れ」「戦場で敵と戦う時はわが身を忘れる」。なので、今の平氏の将軍・平維盛、忠度も、きっとその存知を肝に銘じていることでしょう。あわれなことです。

(2011年12月11日)


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