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(174)文覚の勧進帳

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登場人物:文覚

 全国各地で行を終え、都にも戻った文覚は、その後、高雄という山の奥で行を行っていました。

 その高雄に神護寺という山寺がありました。神護寺は、昔、称徳天皇の時代に和気清麻呂が建てた、修行のための伽藍でした。久しく、修理が行われていなかったため、春には霞が立ち込め、秋には霧にかすれ、扉は風に倒れ、落ち葉に埋もれ、甍は雨露に腐り、仏壇の荒れようはさらにひどいという有り様でした。住み込む僧もおらず、まれに差し入るものとしては、ただ、月の光ばかりでした。

 文覚は、なんとしても、神護寺を修理するという大願を立て、寺院建立の際などに寄進を勧める旨を書く勧進帳をひっさげ、ほうぼうの施主に勧め歩きました。

 あるとき、文覚は、後白河法皇の御所・法住寺殿にも行きました。文覚は、寄付の勧請がある由を告げました。

 折節、後白河法皇は御遊の最中で、返事ができなかった。しかし、文覚はもともと物事に動じないあらくれ法師だったので、後白河法皇が不在であることを知らず、ただ近臣が後白河法皇に取り次がないのだと思って、いやおうなく庭の中へ討ち入りました。

 大音声をあげ、「大滋大悲の君が、これ程のことをどうして聞き入れないのか」と言いました。文覚は、勧進帳を広げて高らかに読みあげました。

 ***

 沙弥文覚、敬いて申す。これは、貴賤道俗の助成を得て、高雄山の霊地に一院を建立し、現世と来世の二世安楽の大利を勤行せんと請う勧進の状なり。

 それ思いはかってみれば、真如は広大なり。衆住と仏と名を仮りにたてるが、真如を妄念の雲が覆い、十二の因縁が峯を覆い、本有(ほんう)、心蓮の月の光はかすかで、いまだ、人の生命の毒となる三毒と、4つの慢心は大空に現れない。

 悲しきかな、仏は早くに没し、生死流転が巷に満ちている。人々は、ただ色にふけり、酒にふける。誰が狂象跳猿の迷いを退けようか。人々は、いたずらに法を破り、人を汚す。これならどうして、閻魔・地獄の攻めを免れることができようか。

 ここに文覚、たまたま俗塵を打ち払って、法衣を着るといえども、悪の心がなお心にはびこり、日夜悪を生み、善因は耳に逆らって朝夕に廃れる。痛ましきかな、再び、三途の火坑に帰って、長く一切衆生の生死の苦しみに巡らんことを。それゆえに、釈迦牟尼の憲章千万軸に仏の因を明し、仏の方便、真実の教法、一つとして菩提の彼岸に至らないということはない。

 かかるがゆえ、文覚は、無常の観門に涙を落とし、出家と在家に勧めて、九品往生の上品に縁を結び、仏の零場を建てることにした。

 それ高雄は山がうづ高く、釈迦成道後50年間説法した霊鷲山の梢に似ていて、谷は静まりかえり、商山の洞窟の苔を敷いている。岩泉が布を敷くようにむして、峯では猿が枝に遊び叫んでいる。人里は遠く、やかましさからは程遠い。周囲には信心だけがある。きわめてすぐれた地形である。仏天をあがめるのにもっともふさわしい。しかし、奉仕が加えられることは少ない。

 誰か助成しないものか。

 ほのかに聞く、童子が戯れに集めて作った仏塔の功徳にもたちまちに仏因を感じると。なら、一紙半銭の宝財において、仏の功徳が高いことはいうまでもない。

 願わくは建立が成就し、天皇の御代が安泰で、御願いが成り、近き都も遠い田舎も、僧侶も俗人も、再び聖代になった喜びを謳歌することを。

 特に、聖霊幽儀、身分の上も下も、すみやかに真実の仏の浄土の台(うてな)に至れば、必ず、仏の月を眺めるだろう。

 したがって、勧進修行の趣、けだし、もって、かくのごとし。

治承3年(1179年)3月日(さんがつのひ) 文覚


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