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ミニシアター通信平家物語 > (161)徳大寺実定と藤原多子の月見

(161)徳大寺実定と藤原多子の月見

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登場人物:徳大寺実定、藤原多子、待宵の小侍従、藤原経尹

 治承4年(1180年)。6月9日には、新都・福原での事始(ことはじめ)。8月10日には、内裏の棟上げ式。11月13日には、新しい皇居への御幸がありました。

 旧都は廃れていきますが、現在の都は繁栄していくもの。以仁親王や源頼政の謀反があったあさましい夏が過ぎ、秋も半ばになりました。

 福原の新都にいた人たちは、名所の月を見たいと思い、光源氏の跡をしのびつつ、須磨から明石の浜へ伝い、あるいは、淡路の灘を渡って輪島の磯で月を見ました。白浦、吹上、和歌の浦、住吉、難波、高砂、尾上のおぼろ月を眺めて帰る人もいました。平安京に残っていた人たちは、伏見、広沢で月を見ました。

 なかでも、左大臣・徳大寺実定は、平安京の月を恋いつつ、8月10日ほどに福原から旧都へ行きました。

 旧都では何もかもみな変わり果てて、まれに残っている家は、門前に草が生え茂り、庭の中は露で濡れていました。よもぎが生い茂っている所、浅茅が原、鳥の臥所と荒れ果てて、虫の声が恨めしく響く、黄菊や紫蘭が生い茂る野辺となっていました。

 今、故郷の名残としては、「近衛河原の大宮」こと徳大寺実定の姉で大皇大后の藤原多子(まさるこ)ばかりが留まっていました。徳大寺実定は、まず随身の者に外構えの大門をたたかせました。すると、中から声がして、「誰ですか。ヨモギが生え茂り、露に濡れた、誰も来ない場所なのに」と言ってきます。

 随身は、「これは福原から徳大寺実定が上ってきたのだ」と告げます。「それなら、総門は錠が下されているので、東の小門からお入りください」と再び声がしました。

 徳大寺実定は、それならと、東の小門から入りました。

 藤原多子は、徒然に昔のことを思い出したのでしょうか、南面の格子戸を開けさせて、琵琶を奏でました。そして、そこに徳大寺実定が来ると、しばらく琵琶の手を休めました。

 藤原多子は、「夢か現(うつつ)か、これへ、これへ」と誘いました。源氏物語五十四帖の後十帖(宇治十帖)の「橋姫の巻」には、桐壺帝の子で「八の宮」と呼ばれていた、俗世におりて仏門に帰依していた男の娘が、秋の名残を惜しみつつ琵琶を奏で、夜通し心をすましていたところ、有明の月が出てあまりに感動したので「ばち」で招いたとありますが、藤原多子は、その心を今まさに知ったのかもしれません。

(2011年12月2日)

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