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(148)勧賞の沙汰

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 中世の兼明親王、具平親王という方は、前には、中書令中務省の長王、後には、中書王の中務卿親王といわれ、それぞれ、賢王・醍醐天皇、聖王・村上天皇の皇子でした。しかし、ついに皇位に就くことはありませんでした。しかし、いつかは謀反をということだったのかもしれません。

 また、後三条院第3皇子・輔仁親王という方は、才覚、学識に優れていました。そのため、白河院は、いまだ白河院が皇太子の時に、父の後三条院から、「お前の次の皇位には、輔仁親王をつけるように」と遺言されました。しかし、白河院はどのように思ったからでしょうか、遺言を実行せず、輔仁親王はついに皇位につけませんでした。

 白河院はせめてものつぐないにと思ったからでしょうか、輔仁親王の子・有仁宮に、源氏の姓を授け、無位から一気に三位に叙しました。やがて、中将になり、三位中将と言われました。一代の源氏を、無位から三位にしたことは、嵯峨天皇の子・陽成院の大納言定卿(さだむのきょう)のほかは、今回が初めてと言われました。三位中将とは、花園左大臣有仁公のことです。

 また、今度の以仁親王の謀反により、怨敵降伏の祈祷をした高僧たちに勧賞が行われました。

 平宗盛の子で、侍従の平清宗は三位に叙されて、三位の侍従と呼ばれました。清宗は今年12歳、父・宗盛は同じ年の時は、まだ兵衛佐でした。清宗の除目の文言には、源以仁と源頼政父子を討ち取った勧賞とありました。以仁親王はまさしく後白河法皇の皇子だったのに、召し取るどころか、臣下にしてしまったのは、浅ましいことです。源以仁とは、以仁親王のことです。

(2011年11月28日)


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