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(141)平等院の戦い、その6 〜源兼綱、仲綱、仲家、仲光の最期〜

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 以仁親王を先に奈良へ逃がした源頼政の一族、渡辺党、三井寺の大衆は、踏みとどまって、防戦の矢を放っていました。

 源頼政は、70歳を超えてなお戦い、左側のひざ口「弓手」を射られ、痛手を負いました。

 頼政が、心静かに自害しようと、平等院の門の内に退いたところ、敵が襲い掛かってきました。

 頼政の次男・源兼綱は、紺地の錦の直垂に、唐綾を細くたち畳み重ねて糸縅のようにした「唐綾縅し」の鎧を着て、柏の木にみみずくのとまった模様のある金物を打ち付けた鞍で前輪後輪の縁を金で覆った「金覆輪」の鞍を置いて、葦毛に白身のかかった「白月毛」の馬に乗っていました。

 兼綱は、父・頼政を逃すために、取って返し、取って返ししては、防戦しました。

 しかし、上総守太郎判官の射た矢が兼綱の甲の正面の内側「内甲」を襲い、兼綱はひるみました。

 そこに、上総の守が召し使う童で次郎丸という大力の剛の者が、萌黄匂の鎧を着て、しころが3枚ある「三枚甲」の緒を締めて、太刀の鞘を抜き、兼綱に馬を並べて、「むず」と組んで、馬から、「どうど」落ちました。

 兼綱は太刀を持っていたので、次郎丸を取り押さえて、首を掻きました。そして、立ち上がろうとしたところ、平家の兵どもが14、5騎押しかかって、ついに、兼綱を討ち取りました。

 伊豆の守・源仲綱も、さんざん戦った末、痛手をたくさん追い、平等院の、池に臨んで建てられた家屋で寝殿造りの西の廊の南端にある「釣殿」にて、自害しました。仲綱の首は、下河辺藤三郎・清親がとり、広縁である「大床」の下へ投げ入れました。

 六条蔵人・仲家と、その子の蔵人太郎・仲光も、さんざん戦い、同じ場所で討ち死にしました。

 この仲家は、故・東宮付き武官で帯刀舎人の長官である「帯刀先生」義賢の嫡子。父・義賢が討たれてから孤児となったのを、源頼政が養子にし、ねんごろに養育した者でした。日頃の契りを違えずと、同じ場所で死んだことは哀れです。

(2011年11月25日)


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