参照回数:
三井寺では、以仁親王が来てから、逢坂から大津に越える道や、四宮から三井寺へ続く道などに、堀を作り、楯を並べ、とげのある木などをつけた逆茂木で防御を固めていました。
いざ出発ということになったので、堀に橋を渡し、逆茂木を取り除くなどしているうちに、時間が進み、関のニワトリが鳴きました。
源仲綱は、「今、ニワトリが鳴いているので、六波羅へ到着するのは昼だろう。どうしたものか」と心配しました。
円満院の大輔・源覚が、前と同じように再び進み出て、言いました。
「昔、秦の昭王が斉の王族田文・猛嘗君を捕まえたとき、猛嘗君は后の助けで兵3000人を引き連れて逃げ延びた。ほどなくして、函谷関に到着した。
中国の習いに、ニワトリが鳴かない限りは関の戸を開けてはならないとある。
かの猛嘗君の3000人の兵の中に、田甲というものがいた。ニワトリの鳴きまねが上手で、鶏鳴(けいめい)とも言われた。
その田甲が高い場所に走り登って、ニワトリの鳴きまねをゆうぜんとやってのけると、関の路のニワトリが聞きつけて、ニワトリどもが皆、鳴き合った。
関守は、鳥のそら音にばかされて、関の戸を開けて、猛嘗君たちを通した。
なので、今のニワトリの声も敵のはかりごとだろう。ただ、進むべし」
このようにしている程に、五月の短夜でしたので、ぼんやりと明けてきました。
仲綱は、「夜討ちでこそ勝機があると思っていたのだが、昼のいくさとなってしまえば、いかにも、平家にはかなわない。呼び戻せ」と命じ、大手は松坂から取って返し、搦め手は如意が嶺から引き前しました。
三井寺の若者、大衆、悪僧たちは、「これは一如房の長詮議のため、夜が明けてしまった。やつの宿坊をたたき壊せ」と、一如房に押し寄せ、さんざんに破壊しました。一如房では防御にあたった弟子、同宿者たちが皆、討たれました。
一如房も傷を負い、ほうほうのていで六波羅にたどり着き、三井寺挙兵を伝えましたが、六波羅ではすでに数万騎が馳せ集まっていて、少しも騒ぐ気配がありませんでした。
(2011年11月24日)
(135)以仁親王の三井寺脱出
(136)平等院の戦い、その1 〜以仁親王の休息〜
(137)平等院の戦い、その2 〜橋合戦〜
平家物語のあらすじと登場人物
〒144-0035
東京都大田区南蒲田2-14-16-202
TEL.03-5710-1903
FAX.03-4496-4960
→ about us (問い合わせ)