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ミニシアター通信平家物語 > (131)興福寺の返状、その2

(131)興福寺の返状、その2

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 平家の男子は、大臣に任ぜられ、近衛府の将に名を連ねている。女子は、中宮になり、あるいは、(太皇太后、皇太后、皇后に準ずる)准后の宣旨を賜っている。

 子弟や庶子は皆、公卿となり、その孫、その甥など、ことごとく、国司の任を受けている。

 それのみならず、日本全国を統治して、任職をほしいままにし、皆、平家にひれ伏している。少しでも平家の機嫌を損ねると、たとえ、皇族といえども捕らえられ、片言でも気に入らないことが耳に入ると、公卿といえども捕らえられる。

 このような世情なので、一時の無事をはかるために、あるいは、片時の辱めを逃れるために、万乗の位にある聖王でさえ、顔に媚をつくり、代々家柄の良い藤原家の主でさえ、かえって、家来のように振る舞っている。

 大臣でさえ、相伝の領地を奪われても恐れをなして舌を巻き、宮家が代々の荘園を取り上げられても権威をはばかってものも言えない。

 平清盛は権勢に乗じるあまり、去年の冬の11月、後白河法皇を鳥羽殿へ幽閉し、関白・藤原基房を筑紫へ流した。

 平清盛の反逆がはなはだしいことは、まことに、古今に類を見ない。

 もちろん我らは、まっすぐに逆徒に立ち向かい、その罪を問うべきだが、神慮をはばかり、あるいは、清盛が天皇の命令だというので、うっぷんを抑えて歳月を送っていた。

 その折、清盛は、後白河法皇の第2皇子・以仁親王の高倉の宮を囲んだ。

 八幡宮の3柱(応神天皇・神功皇后・玉依姫の3柱)、春日大明神がひそかに手を差し伸べ、以仁親王を高倉の宮から出発させ、三井寺へ送り、新羅大明神の門にお預けになった。

 王法が尽きないことは明らかだ。

 貴寺が身命を捨てて以仁親王を守護していること、心識を有する者はみな随喜している。

 そのとき我らは、場所を隔てた南都で三井寺の心情を感じていたが、清盛はなお、兵乱を起こして、三井寺を攻めようとしていると伝え聞いた。

 興福寺はかねてから心を決めていました。

 18日辰の刻(朝8時)に大衆を呼び集め、諸寺に牒状を送り、末寺に下知をし、軍兵を集めてのち、三井寺へ案内をしようと思っていたところ、三井寺の方から牒状が来た。

 数日のうっぷんとした気持ちが一掃された。

 唐の清涼山の僧たちは1山で、武宗皇帝の軍を追い返した。いわんや、日本の南都・北都両門の宗徒が手を合わせれば、どうして、謀臣のよこしまな類の輩をはらうことができないだろうか。

 三井寺はよく以仁親王の左右の陣を固め、われらが出発の知らせを待て。

 こちらの様子を思いはかって疑い恐れてはならない。よって、牒状する。くだんのごとし。

 治承4年(1180年)5月21日、大衆等

(2011年11月22日)


(132)三井寺での詮議

(133)三井寺からの軍勢の出発

(134)三井寺勢の夜討ち


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