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(117)後白河法皇の都への還御

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 後白河法皇の鳥羽殿でイタチが走り騒いだ翌日の治承4年(1180年)5月12日、平宗盛が、父清盛の御前で、後白河法皇のことをねんごろに話しました。清盛は、ようやく思い直して、後白河法皇を鳥羽殿から出し、都へ還御させました。

 後白河法皇は、八条烏丸の鳥羽天皇の皇后・美福門院得子の御所へ入りました。3日のうちのよろこびのこととは、泰親はこれを言ったのでしょう。

 そのような時に、熊野の別当・湛増から、飛脚で、高倉の宮・以仁親王の謀反の旨が都へ伝えられました。

 平宗盛は、知らせに大いに騒ぎ、その時清盛は福原の別邸にいましたが、清盛に以仁親王の謀反を知らせました。

 清盛はおおいに怒り、「それなら以仁親王をからめ捕って、土佐の幡多郡へ流してしまえい」と言いました。

 以仁親王追討の任務にあたった責任者は、三条大納言実房、実務を司る蔵人は頭弁光雅と言われました。武士では、大夫判官・源兼綱、出羽判官・光長があたり、甲に直垂姿の騎馬300余りが以仁親王の御所へ向かいました。

 武士の中にいた大夫判官・源兼綱は、三位入道・源頼政の次男でした。しかし、清盛が兼綱を以仁親王追討軍に加えたのは、平家がまだ、頼政が以仁親王に謀反を勧めたことを知らなかったからでした。

(2011年11月17日)


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