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(107)高倉上皇の厳島神社御幸の沙汰

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 治承4年(1180年)3月上旬、高倉上皇が、安芸国の厳島神社に御幸するといううわさが立ちました。「天皇が位を譲ったのちの諸社への御幸始めは、八幡、賀茂、春日へ行くのが当然なのに、はるばると安芸国まで御幸するとはいかなることか」と人々は不審がりましたが、ある人は「白河院は熊野へ、後白河院は日吉へ御幸した。なので、御幸は、下の者にはわからない叡慮によるものだ」と言いました。

 高倉上皇は、心中に深い立願をしていました。厳島神社は平家が深く崇め敬っていますので、表面上は平家に心を寄せる形をとり、内実では、後白河法皇をずっと鳥羽殿に幽閉している平清盛の怒りが修まるように、祈願するためと言われました。

 比叡山延暦寺の大衆が憤慨しました。「天皇が譲位してから最初の御幸は、八幡・賀茂・春日でないときは、当山の山王権現へこそ御幸するべきなのに、はるばる安芸国まで御幸するとはどのような先例に習ったものか。厳島神社へ御幸するというのなら、神輿を繰り出して御幸を阻止するまで」。

 そのため、高倉上皇の厳島神社への御幸はしばらく延期されました。しかし、平清盛が骨を折って延暦寺をなだめたので、山門の大衆は静まりました。

 3月17日、高倉上皇は御幸の出発ということで、平清盛の北の方・二位の尼の屋敷がある八条大宮へ行きました。その夜からさっそく厳島の御神事が始まりました。摂政・藤原基通から中国風のひさしがある大型の車や、諸国の牧場から集めて左右の寮で飼い官人供奏などに用いた乗り換えの馬などが届けられました。

 翌18日、高倉上皇は、平清盛の屋敷へ入りました。平宗盛を呼び出し、聞きました。

「厳島神社への御幸のついでに、明日、鳥羽殿へ寄り、後白河法皇に会いたいと思うが、清盛に知らせなかったらまずいだろうか」

 宗盛は、「どうしてそのようながありましょうか」と答えました。

 高倉上皇は、「それでは、お前は今夜、鳥羽殿へ行き、私が明日、会いに行く旨を告げよ」と命じました。

 宗盛は畏まって承り、急ぎ鳥羽殿へ行き、告げました。後白河法皇は、あまりのうれしさに「これは夢ではなかろうか」と言いました。

(2011年11月10日)


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