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「平家物語 巻の十一」のあらすじと概要

2012年2月10日  参照回数:

 「平家物語巻の十」で、後白河法皇が、屋島の平家に、安徳天皇と三種の神器を都へ戻すように院宣を出し、平家がつっぱねる様子が語られました。「巻の十一」では、いよいよ、源平の戦いのクライマクスである、屋島の戦い、壇の浦の戦い、安徳天皇の入水、平宗盛の処刑などが語られます。

 「巻の十一」のあらすじを追ってみたいと思います。

 源範頼に続いて、源義経が後白河法皇から平家追討の院宣を受け、西国へ出発しました。

 義経が山陽から四国へ渡る際に、ひと悶着がありました。それは、頼朝からの信頼も厚い実力者・梶原景時が、船いくさに慣れていないので、馬のように船を自由に動かすために、船に「逆櫓(さかろ)」をつけたいと申し出たことにより起こりました。逆櫓とは船の先端にも櫓をつけて、船を自由に動かすためのアイデアでしたが、義経は、いくさは真正面から戦い勝ってこそ気持ちがいい、そんな逃げ支度は不要、やりたければ勝手にやれ、義経はやらないなどと、いっしゅうしました。義経は、自分に従う者だけをつれて船を出し、わずか数十騎で、一夜にして四国へ渡ってしまいました。

 四国へ渡ってからの義経は、まさに、電光石火、鬼神のごとき働きをします。

 まず、上陸した勝浦の平家の守備隊100騎あまりを攻撃し、撤退させます。そのうえ、説き伏せて、味方に加えてしまいました。

 夜を徹して、大坂という山を越え、屋島へなだれ込みます。平家では、いきなりやってきた義経の80騎に肝を潰し、1000騎ばかりはいたのですが、屋島の内裏を捨てて、船に逃げてしまいます。義経は、内裏や御所を焼き払いました。

 陸の源氏と、船の平家がにらみあっていました。平家方から小舟がいっそう、陸に近づいてきて、若い女房が、金地に日の丸を描いた扇をかざし、手招きします。

 源氏では那須与一が弓の名手として、選び出されましたが、外しては味方の恥になると、いったんは辞退します。しかし、義経にはそんなことは通用せず、俺の命令が聞けないなら今すぐ鎌倉へ帰れ、と一喝。与一は、それ以上断っては悪いことになるとあきらめ、当たる外れるはさておき、命令なので、矢を放ちましょう、と弓を引きました。

 那須与一は、見事、扇を射とめました。源氏、平氏ともに、最高の盛り上がりを見せ、平家では、50歳くらいの男が、扇を立てておいた場所で舞いを始めました。命令なのであれも射よ、と言われた与一は、男を射ました。源氏は盛り上がりますが、平家はし〜んとしました。

 平家から、勇将・平教経と、侍大将格の悪七兵衛景清が陸にあがってきました。源氏とさんざんに戦い、強さを見せつけます。源氏も海に馬を入れ混戦となり、義経が弓を落とし、危険を冒してその弓を拾いあげるという「源義経の弓流し」が起こります。老臣たちは、義経を、弓など捨てなさい、命が大切です、と諌めましたが、義経は、義経の弓が強ければわざとでも流すが、こんなに弱い弓を敵に拾われて、これが源氏の大将軍の弓ぞと笑われたら源氏の名折れだと、真意を明かしました。

 平家は、長門の国(山口県)の壇の浦に流れ着き、四国から山陽に渡った義経も、源範頼の軍勢と合流して、壇の浦に陣を敷きました。四国や、九州、和歌山などから、船団が集まってきましたが、ほとんどは源氏の白旗をかかげ、源氏3000艘、平氏1000艘で戦いがはじまります。平氏には中国風の大船がありましたが、寝返りにより、大船で引きつけた敵を、強兵を置いた小舟で包囲するという作戦がつつぬけになりました。

 壇の浦の戦いの際に、義経と梶原景時で、また、悶着がありました。景時が先陣をたまわりたいと大将軍の義経に願い出ましたが、義経は「俺がいなければそうすのだが」と一蹴しました。「大将軍は先陣に立つものではありません」「大将軍は鎌倉の頼朝殿ただひとり」「義経殿は、人の上に立つ器ではない」「大バカ者め」「頼朝殿よりほかに主を持たない景時に何を申すか」と、それぞれの郎党を加えて、切り合いになるところでした。三浦義澄と土肥実平が、義経と景時に組み付き、事なきをえました。

 壇の浦の戦いは、平家の惨敗に終わり、安徳天皇、安徳天皇の祖母で清盛妻の二位の尼は、三種の神器の勾玉と草なぎの剣とともに、入水しました。勾玉は源氏が拾い上げ、鏡も海に捨てられる前に源氏が確保しました。平教経や、平知盛らが、さんざんに戦ったすえに体に碇(いかり)や鎧を巻いて海に身を投げましたが、平家の棟梁の平宗盛と、その子・清宗は源氏に生け捕りにされました。清盛娘で、安徳天皇母の建礼門院・平徳子も海に身を投げましたが、源氏に拾い上げられました。

 宗盛親子は鎌倉へ送られ、再び京へ向かい、近江の国で首を切られました。義経は宗盛父子を護衛して関東へ下りましたが、一足先に、梶原景時が「義経こそ最後の敵」と頼朝に「讒言」していたため、義経は鎌倉へ入れず、すぐに、折り返し、宗盛を京へ送るよう命じられました。


「巻の一」のあらすじ

「巻の二」のあらすじ

「巻の三」のあらすじ

「巻の四」のあらすじ

「巻の五」のあらすじ

「巻の六」のあらすじ

「巻の七」のあらすじ

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