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「平家物語 巻の八」のあらすじと概要

2012年1月11日  参照回数:

 平家物語「巻の七」で、倶利伽羅峠の戦いで源義仲に大敗した平家が安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ちたことが語られました。「巻の八」は、平家が都落ちするさいに、いち早く行方をくらませていた後白河法皇が比叡山延暦寺に避難し、そこから、都へ戻る場面から始まります。源義仲が5万騎で後白河法皇を守護しました。

 平家物語「巻の八」で語られる内容は、都に入った後白河法皇と源義仲の動き、西国へ逃れ四国の屋島にたどり着いた平家の動き、そして、鎌倉の源頼朝の動きです。

 平家物語「巻の八」のあらすじを振り返ってみたいと思います。

 後白河法皇は比叡山延暦寺に難を逃れたあと、義仲に守られて都へ還りました。平家と安徳天皇がいなくなった都での唯一のキーパーソンとして、公卿、殿上人、武士たがこぞって後白河法皇のもとを訪れます。後白河法皇は、故高倉上皇の子であった尊成親王を皇位につけ、後鳥羽天皇が誕生しました。安徳天皇は平家の手の内にありましたので、寿永3年(1183年)から1185年までの2年間、2人の天皇がいたことになります。

 また、後白河法皇は、都の義仲には「朝日将軍」の院宣を、鎌倉の源頼朝には「征夷大将軍」の院宣を出しました。

 都を落ちた平家は、九州の太宰府にたどり着きました。しかし、時流の向きは平家から源氏に変わっていて、九州では、武士の緒方惟義が、後白河法皇の命令と称し、平家を九州から追討する旗を挙げます。ここで、しばらく、緒方惟義の祖先の話が語られます。祖先は大蛇でしたが人間の男の姿になってある女のもとに通っていました。男の素性を知るために女は、朝帰りする男の服に「しずの緒環(おだまき)」という糸をつけて、あとを追い、洞窟で男が大蛇であることを知りました。「しずの緒環(おだまき)」と言えば、源義経の妻・静御前が、鎌倉の鶴岡八幡宮で、源頼朝の前で、謀反人となっていた義経を思って詠んだ歌が有名です。

  吉野山 峰の白雪踏み分けて

   入りにし人のあとぞ恋しき

  静や静 しずのおだまき繰り返し

   昔を今になすよしもがな

 平家物語「巻の八」では、頼朝が征夷大将軍の院宣を受け取る場所として鶴岡八幡宮が登場し、鶴岡八幡宮の様子も語られます。

 九州を追われた平家は、四国の屋島にたどり着き、仮りの内裏を造ります。

 都では、源義仲の狼藉が始まっていました。無骨で都のしきたりを知らない上に、我が強くて、なんでも自分勝手にふるまってしまう人物として語られています。

 また、屋島の平家は、義仲が都で狼藉をはたらいているあいだに、山陽道8か国(播磨、美作、備前、備中、備後、安芸、周防、長門)と、南海道6か国(紀伊、淡路、讃岐、阿波、伊予、土佐)の都合14か国を討ち取り、勢力を盛り返しました。義仲は7000騎の兵を出しましたが、備前の国(岡山県)の水島という場所で、四国の兵を率いた平知盛や平教経と戦い完敗しました。

 それを聞いた義仲は、自ら1万騎を率いて西を目指しました。しかし、都で、義仲不在をいいことに、源行家がわが物顔で勝手な振る舞いを始めたと聞き、都へとって返します。

 源行家は、義仲が戻ってくる前に都から西へ逃げましたが、室山という場所で平家と戦い、完敗しました。平家は、水島・室山の戦いに勝ち、勢いを増しました。

 都では、ついに後白河法皇が、義仲追討を決意。比叡山延暦寺・園城寺三井寺や、公卿殿上人らから2万の兵を集め、御所の法住寺殿に立てこもりました。しかし、数こそ集まりましたが戦闘力はほとんどなかったようで、すぐに、戦いに応じた義仲軍に敗れ壊滅。後白河法皇は義仲の手に落ち、ますます義仲が横暴に振る舞います。

 鎌倉の頼朝が、義仲追討のために、弟の源範頼と源義経に6万の軍をつけて都へ向かわせます。

 西国には平家、都には義仲、東国には頼朝という状態になりました。

源頼朝について


 平家物語「巻の八」では、源頼朝の姿が詳しく語られ始めます。平家物語で語られる源頼朝の人物像について、少し書いてみたいと思います。

 頼朝は、義仲と比べて背は低く、色白の男のようですが、評判は上々です(もちろん、平家物語自体が“勝者の視点”で語られていることはありますが)。しかし、頼朝が自ら陣頭に立って戦ったのは、今のところ旗揚げ直後に大敗した石橋山の合戦のみ。しかし、「巻の八」では、神に等しく崇められていた八幡太郎・源義家の嫡流として、東国の武士の心を掌握し、武名を全国に広げ、鎌倉に居ながらにして、後白河法皇から征夷大将軍の院宣を受けるまでになります。その院宣を受け取る者を、頼朝方について石橋山の敗戦後も旗色を変えず神奈川県横須賀市の衣笠城に立て籠もり、城を枕に討ち死にした三浦義明の嫡子・三浦義澄にしたところなど、にくい配慮です。三浦氏は当時の関東で最大級の勢力を誇っていたことも計算のうちかもしれませんが、武力と親族しか頼れるものがなく、けっきょく武力を前提にした恐怖政治に落ち着いてしまった義仲とは別格という感じすら受けます。

 また、頼朝は、平清盛の弟の池殿・平頼盛へ、書状を盛んに送ってよしみを通じていた(調略をしかけていた?)ことも語られます。こちらも、そもそも平治の乱のさい、源頼朝は処刑されるべきでしたが、平清盛の継母で、平頼盛の実母の池の禅尼が嘆願して、伊豆流罪に減刑されました。その恩に報いるという形にはなっていますが、頼朝を頼って一門の重鎮・平頼盛が都落ちのさいに平家から源氏に寝返ったことが、平家から源氏へという時流をますます加速させた大きな原因の一つに挙げられます。

 いっぽうでは、頼朝は、源義仲に対しては、互いにしこりがあったこともあり、威圧的に接し、討伐の軍を長野県善光寺まで進めたこともありました。後白河法皇から奥州討伐の院宣をもらい、東北の奥州藤原氏や佐竹氏を、武力と政治力で支配しようとする姿も。また、征夷大将軍の院宣を持った使者は細々と配慮してもてなしましたが、法住寺合戦の後、都から、後白河法皇方で戦った鼓判官・平知康が頼朝の不審を買った陳述のために鎌倉に来ても相手にしませんでした。役に立つのか立たないのかを見極め、メリットになる者だけと親しくし、親しくすべきでない者は相手にせず、アメとムチを巧みに使い分けているようにも見える頼朝は、自ら前線に立つことなく鎌倉を離れません。しかし、それでいて、歴史を動かしていきます。都の“怪物”後白河法皇と、鎌倉の“政治家”頼朝の戦いも楽しみです。


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「巻の三」のあらすじ

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