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白蓮れんれん/林真理子のあらすじと読書感想文

2014年6月23日 竹内みちまろ 参照回数:

白蓮れんれんのあらすじ

 明治のころ、26歳の柳原Y子は、51歳の伊藤伝右衛門と再婚することになりました。柳原家は名門で、Y子は皇太子(=大正天皇)とは従妹の間柄でしたが、柳原家は豊かではなく、また、Y子は妾の子で、家同士で決められた耐え難い結婚生活を打ち止めにした経験があり、いわゆる“出戻り”でした。伊藤は貧しい家の出ですが、九州の炭鉱王と呼ばれる富を築いていました。

 しかし、Y子が筑紫まで下ってみると、子どもがいないといわれていたのに伊藤には跡取りとなる養子がおり、まかされるつもりでいた女学校も、ふたを開けてみれば伊藤は金を出しただけでY子は経営に加わることができませんでした。おまけに、伊藤家には、伝右衛門の夜の世話もしている女中頭のサキがおり、Y子が、財産の管理や来客の対応などについてのサキのがまんならないふるまいをとがめても、サキはY子をばかにした、あるいは、勝ち誇ったような笑みを浮かべて、口答えをしてきます。伊藤から、娘の静子が生まれてからすぐに睾丸の手術をしたため子どもをつくることができない体であることを告げられた際は、九州の地に嫁いで、温かい家庭であったり、家族であったり、家であったりと、これまでの人生の中で得られなかったものを手に入れたいと願っていたことに気が付き、Y子はいつの間にか、「ふふ、ほほほ……」と「狂った女のように肩を上下させて」笑っていました。

 それでも、正妻として、伊藤の娘である静子と、伊藤の妹の初枝をしっかりと育てなければと思っていたY子は、2人を自身の母校である東京の東洋英和に入学させます。最初はいやがっていた2人も、帰省するたびに、垢抜けた大人の女性に成長していきました。しかし、静子と初枝の教育以外のいっさいに、Y子は関与しようとしなくなり、妾や女関係が複雑な伊藤家にいるうちに、いつしか、Y子は関係性ではなく単なる好き嫌いで人間を判断するという、ある意味で防衛本能ともいえるような立ち振る舞いを始めるようになります。

 そんな生活の中で、歌がY子の慰めとなりました。「心の花」という同人雑誌に「白蓮」というペンネームで寄稿するようになります。白蓮が読む秘められた恋や、許されない情念や、不幸の底にいる女などを詠んだ歌は、師匠の佐佐木信綱をも驚愕させますが、Y子の歌人としての名声は高まっていきます。おまけに、金で九州の老人に買われた美貌の華族令嬢というわかりやすい不幸が人々の好奇を引き、新聞の連載や女性雑誌のグラビアなどにも取り上げられるようになります。

 Y子は、九州帝大教授の久保博士とその妻・より江のサロンに参加するようになります。Y子にとっては、より江は平凡な女でしかありませんでしたが、久保博士はそんなより江をこのうえなく愛しています。Y子は、より江と、文学的要素に溢れる久保博士が作り出す「居心地のいい温かい家庭」に嫉妬します。同時に、世の中にはこれほどのすばらしい男性がいるのだということを知りました。

 Y子は歌の中で自らの不幸を嘆き、そして歌の中で久保博士を誘惑し、歌の中で久保博士をもてあそびます。初枝からは「そんなに不幸にお酔いになることはないのに」とつぶやかれたりもしますが、Y子は、社交に熱をあげ、家には、伊藤と肌を合わせることの嫌さから、ユウという愛人を自ら世話して連れてきました。

 そんなY子の前に、Y子の戯曲を上演したいという東京帝大の学生・宮崎竜介が現れました。竜介はY子の生活を聞き、「あなたという人は可哀想すぎる。なんて不幸な人なんだ」と野獣のような咆哮をあげます。そして、Y子を抱きしめ、唇を吸います。Y子は、「不幸な人なんだ」という言葉を甘美に聞きました。



白蓮れんれんの読書感想文

 『白蓮れんれん』のクライマックスは、Y子と竜介が出会ってから始まるのですが、このあたりで感想に移りたいと思います。

 Y子は、竜介と出会い、生まれて初めて恋をして、そして、恋をすると胸がトキメキで膨らむことを知ります。そして、伊藤を捨てて、竜介のもとへ走ることを決心しました。

 『白蓮れんれん』では、心を決めてからのY子の姿が印象に残りました。

 Y子が出奔し、新聞に伝右衛門への(正確には、竜介の友人たちが書いた)公開絶縁状が公開されます。しかし、伝右衛門は、「Y子にいっさい手出しするな」と家中の者に命じ、姦通罪で訴えることもせず、Y子の籍を伊藤家からあっさりと抜きました。伝右衛門の行動には男としての矜持を感じられますが、Y子は、「伝右衛門に対する後ろめたさや感謝の気持ちをいっさい自分に禁じ」ていました。「そんな温かいものを持ったら最後、自分はもう一歩も進めないはずだ」と自分に言い聞かせ、「夜叉となってもこの腹の子を育てなければならない。これから本当の血みどろの戦いが始まるのだ」と決意します。

 有夫の妻がほかの男に走る小説は古今東西に溢れるほどありますが、例えば、「アンナ・カレーニナ」のヒロイン・アンナは、最後は不幸な死を遂げます。そこにはもちろん作者であるトルストイの思惑が反映しているのですが、有夫の妻がほかの男に走ったあとの顛末というものに対する、人々の期待や希望を交えた世情というものも反映しているのかもしれません。しかし、世情というものは、部外者だから自分のことは棚に上げてあれこれと無責任な立場で言うことができるだけで、渦中にいる人間は、どうすべきだとか、どうあるべきだとか、そんなことをしてもこんな羽目に陥るだけだなどと悠長なことは言っていられません。

 Y子は伊藤へのいっさいの感情を自分に禁じ、後ろを振り返ることをせず、宮崎との間の子どもを育てるために夜叉となる決意をしていました。誤解を恐れずに言えば、Y子の行動がいい悪いとか、許される許されないとか、倫理的にどうだとか、恋愛論だとか、そういったことはY子にとってはどうでもよかったのではないかと思いました。それゆえに、Y子の行動には、部外者の口出しのすべてを跳ね返すだけの説得力があるような気がしました。

 世の中には、行動する人間と、行動せずに口だけを出す人間がいるとしたら、Y子は前者であり、そのY子の人生は、読者をも含む後者に、人間が自分の人生を生きるとはどういうことなのかを問いかけているようだと思いました。


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