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失楽園/ミルトンのあらすじと読書感想文

2006年1月26日 竹内みちまろ 参照回数:

ミルトン(1608-74)


 「解説」から情報を拾って、ミルトンの生涯をご紹介したいと思います。この章は、ほぼ「解説」の要約です。

 ミルトンが生きた時代のイギリスは、激動の時代でした。ミルトンが生まれたときに、エリザベス女王はすでに世を去っていました。エリザベス女王は国民からこよなく愛されました。劇場では、シェイクスピアの新作が発表されていました。ミルトンは、ジェームズ1世の時代に生まれて、チャールズ1世、革命、共和制、王政復古の時代を生きたようです。ミルトンは、聖職者になろうとして少年時代から猛勉強をしたそうです。同時に、社会のあり方よりも心の持ち方を、人間の歴史よりも聖書の物語をより崇高なものと考えていたようです。聖職者であるとともに、詩人でもありたいと願ったことが紹介されていました。ミルトンは、詩的創作は神の天地創造に順ずると考えたそうです。アーサー王をテーマとする国民的な叙情詩の創作を考えていたそうです。ミルトンは、生涯の多くを、詩人としてよりも、ジャーナリストとして過ごしたようです。イギリスでは、旧来の制度や秩序がひっくりかえりました。まさに、混沌です。混沌の背景には、宗教的要因だけではなくて、支配階級と新興産業階級の対立や政治的、経済的要因などが複雑に絡み合っていたようです。「清教徒革命」という言葉だけでは整理がつけられない複合的な革命でした。ミルトンは、共和国が成立すると、チャールズ1世処刑の妥当性を主張するレポートを発表しました。クロムウェルに登用されます。「解説」の文脈を私なりに読み取ると、ミルトンが現実世界にかかわっていったのは、混沌の果てに創造される新しい秩序を求める気持ちがあったからのように思えました。ミルトンは過労のために失明してもなお、クロムウェルを弁護する活動に没頭したそうです。しかし、クロムウェルは苦渋を極めました。革命は挫折しました。王政が回復します。ミルトンが望んだ「新しきエルサレム」は夢とはてました。かろうじて処刑を免れたミルトンは、神への祈りを口述しました。それは、アーサー王の物語ではありませんでした。現実世界のイギリスにテーマを求めた内容でもありませんでした。ミルトンは、心のうちに、新しい楽園を求めました。ミルトンは「失楽園」を残し、世を去りました。はじっこに浮かんでいるだけの2等国は、国王処刑をクライマックスとする激動の17世紀を経て、大英帝国へと変貌していきます。

失楽園


 「失楽園」に書かれている物語を簡単にご紹介します。解説には、「『失楽園』は、いかにも旧約聖書の「創世記」の記事にもとずく、アダムとイーブの楽園喪失についての叙情詩である」と書かれていました。「解説」には、しかし、それだけではなくて、「失楽園」は人間の心の持ち方にかかわる普遍的な摂理を説いており、そのことが「失楽園」を永遠にしているという内容が書かれていました。後半部分については、次章で取り上げます。まずは、楽園喪失の物語を要約してみたいと思います。

 楽園喪失の物語は、暗黒の果てに放り出されたサタンの様子からはじまります。サタンは、火の池に横たわっていました。そこは混沌の世界のようです。もうろうとする意識を必死になって呼び覚まそうとします。自分の身に起きたことを思い出したサタンは、周りで倒れているものたちを呼び起こします。サタンが味方に引き入れたおびただしい数の天使の軍勢でした。サタンは、天国を支配する希望がまだ残されていることを語ります。サタンは、全体会議を開きました。天国を奪回するために再び戦闘をしかけるべきかと議論します。全体会議は、第3案を採択しました。予言によると、今ごろすでに「エデン」とかいう世界が創造されていると思われていました。そこには「人間」とかいう被造物がいるようです。予言が本当かどうかを偵察して、天国の代わりに、エデンを手に入れようという趣旨でした。そのために、サタンが、単騎、偵察に向かいました。サタンは、楽園の門をくぐりぬけて、エデンに進入しました。サタンの行動は、不穏な足跡を残しました。ウリエルが地上に降りてきました。楽園の門を警護するガブリエルに注意を喚起します。ガブリエルは、偵察隊を編成して、楽園内を巡回させました。ガブリエルとサタンが出くわす場面がありました。ガブリエルは、「サタンよ、汝は今こう言ったかと思うと、すぐそのあとでは反対のことを言ってる」と言って、サタンを嘲笑します。サタンは「辺境守護の傲慢な天使よ!」と毒舌をかまします。山奥に左遷されたこっぱ役人と、「今に見てろよ」を連発する偏屈おやじとの口げんかみたいで、ちょっと、おもしろかったです。

 イブは、奇妙な夢を見ました。夢の中で、「お前も一緒に食べるがよい」と誘われました。夢の内容をアダムに語ります。神に対する人間の服従を忠告するために、ラファエルが地上に遣わされました。アダムとラファエルが話しこみます。ラファエルは、天国で起きた謀反や、反乱軍との戦いの様子を語ります。サタンの軍隊を迎え撃ったのは、ミカエルとガブリエルの軍勢だったようです。サタンが新兵器を繰り出します。ベリアルやベルゼバブなどサタン軍の猛者どもが暴れまわります。でも、(ラファエルが語り手であることを差っ引いても)、総大将的存在だったミカエルは、めちゃくちゃ強かったみたいです。最後は、救世主である御子が遣わされて、サタンどもを混沌のはてに追放しました。続いて、6日間で遂行された天地創造の仕事の様子が語られました。イブは、昼の仕事に出るときに、役割分担をして別々の場所で働きたいといいます。アダムは、イブに押し切られるかたちで承諾します。ラファエルが言っていた敵がうろついているようだから気をつけるようにと注意します。蛇の体を奪い取ったサタンは、ひとりでいるイブに近寄ります。イブは、蛇がしゃべるなんて聞いたことがないと疑問を口にします。蛇にのりうつったサタンは、ここぞとばかりに、ある木の実を食べたところ、知性を得ることができたと告げます。イブは、それはどこにあるのかと問いかけます。サタンは、知恵の実のところまで、イブを案内しました。

希望


 「失楽園」を読もうと思ったきっかけは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー/大塚久雄訳)という本の中にミルトンの言葉が紹介されていたからです。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、プロテスタンティズムの精神が資本主義の発展に寄与したという現象を考察した本です。ミルトンの言葉が紹介されていたのは、カルヴァンの予定説に関する記述の個所でした。予定説とは、誤解を恐れずに言うと、神はあらかじめ救済する者とそうではない者とを振り分けているという考え方です。予定説を信じる人たちは、はたして自分は救済を予定されているのかという恐るべき緊張と戦わなければならないようです。ミルトンは、予定説を批判して、「たとい地獄に堕されようと、私はこのような神をどうしても尊敬することはできない」と言ったようです。カッコでくくった場面は、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中でも引用個所として紹介されていました。原典は、ミルトンの論文のようです。マックス・ヴェーバーは、「ミルトンは早くから二重の決断という形をとった予定説から抜け出しはじめており、ついに老年にいたって、まったく自由なキリスト教信仰に到達している」と評していました。

 「失楽園」を読むまでは、書かれている内容は、楽園追放の物語だと思っていました。罪を犯したアダムとイブは、孤独を慰めあうようにして、楽園を去るのだと思っていました。2人の背中に絶望を想像していました。読み終えて、「失楽園」は、楽園追放、あるいは、楽園喪失の物語ではありました。しかし、それだけではありませんでした。罪を犯し、死を運命づけられたアダムとイブは、むしろ、おだやかな気持ちで楽園を去って行ったのだと思いました。2人は、「絶望」ではなくて、「希望」を持っていたようです。禁断の果実を味わったアダムとイブは、楽園から追放されます。しかし、罪を犯してしまった2人は見捨てられたわけではありませんでした。ミカエルが2人のもとにやってきます。ミカエルは、アダムとイブに、2人の子孫がたどる道を予言します。洪水と箱舟や、バベルの塔や、ダビデ王や、約束の地や、アブラハムやイスラエルやモーセと呼ばれるアダムとイブの子孫たちが登場します。やがて処女から生まれる救主が現れて、アダムとイブの子孫たちが運命づけられた罪を背負って十字架にかけられることを告げます。救主は、アダムとイブができなかった神の律法への服従を果たすことになるようです。

「なぜなら、その時にはこの地上はすべて楽園となり、このエデンの園よりさらに幸福な場所となり、さらに幸福な日々が続くはずであるからだ」

「私は、かくも大いなる教えを受け、かくも大いなる心の平和をえた今、喜んでここから出て行こうと思います。私は、人間としてこの器に盛りうる限りの知識を、充分にえたと思います。かつてこれ以上のものを望んだことは、私が愚かであったからです」

 ミカエルは、2人を東の門の方へ、その先にある野原へと導きました。ミカエルは、そこで、ふっと消えてしまいます。

「彼らは、ふりかえり、ほんの今先まで自分たち二人の幸福な住処の地であった楽園の東にあたるあたりをじっと見つめた」

「世界が、――そうだ、安住の地を求め選ぶべき世界が、今や彼らの眼前に広々と横たわっていた。そして、摂理が彼らの導き手であった。二人は手に手をとって、漂泊の足どりも緩やかに、エデンを通って二人だけの寂しい路をたどっていった」

 私は、文学者の役割とはなんなのだろうか、また、詩人の役割とはなんなのだろうかと考えることがあります。私は、文学者でも、詩人でもありません。でも、文学や詩が好きです。私は、文学の基準を三島由紀夫に置いています。わからないことがあると、三島由紀夫にかえります。三島由紀夫は、あるエッセイのなかで、人々を宗教の一歩手前で置き去りにして、人々に絶望を見せつけるのが「よい文学」であると書いていました。私は、たまに、つまらない小説を書きます。(小説の中で)、女を殴ったこともありました。なんの救いもない、どうにもならない現実と、そこで生きることを余儀なくされる命を描くことが「よい文学」ではないかと思っています。しかし、円地文子の「女坂」という小説を読んだときに、何もかもが、わからなくなってしまいました。詳しい内容をご紹介することは省略しますが、「女坂」は、どうにもならない人生を孤独に生きた女性の物語でした。円地文子は、最後の一文を「希望」で終わらせていたように感じました。「絶望」を描くこともできたろうに、なんでわざわざ、「希望」を書いたのだろうと思いました。最後の一文には、円地文子の文学者としての思想が込められているのではないかと思いました。

 「失楽園」も、ラスト・シーンから、ミルトンの思想を感じた作品でした。思想とは、人間存在へ向けた「まなざし」かもしれないと思いました。ミルトンは、混沌の時代を生きたようです。激流に身をさらし、最後は、渦に飲み込まれてしまったようです。ミルトンの人生には挫折と苦悩だけが残ったように思えました。しかし、それでもなお、そのまなざしは「希望」を失わなかったのかもしれません。だから、心のうちに、新しい楽園を見ることができたのかもしれないと思いました。


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