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神曲/ダンテのあらすじと読書感想文

2006年8月12日 竹内みちまろ 参照回数:

神曲


 「神曲」(ダンテ/平川裕弘訳)を読みました。解説を要約してダンテの生涯を追ってみたいと思います。みちまろが読んだ「神曲」は、河出の世界文学全集です。昭和43年の発行です。古本屋で100円で買いました。今日の学説からははずれていることもあるかもしれません。人物や地名の表記などが今日では一般的ではないこともあるのかもしれません。そのあたりの知識はないので、本に書いてあるとおりにしました。

ダンテ、1265年〜1321年


 ダンテの生涯を知る資料は「神曲」をはじめとするダンテ自身の作品が中心となっているようです。詳しい年代などについては伝記作家の間で決着がついていないこともあるそうです。ダンテは、詩人であるとともに、政治家であり、政治理論家でもありました。「帝政論」という政治論をラテン語で書いたこともありました。人類には1つの普遍的世界国家が必要であり、君主には神から権限を委任されたローマ民族であるべきとし、ローマ法王の宗教権力と神聖ローマ皇帝の世俗権力は分離されるべきと主張しました。

 ダンテの家は代々法王党に属していました。35歳のときには、フィレンツェで国務大臣級と思われる役職に任命されました。しかし、数年後に、黒党が実権を握ると国外追放になってしまいました。以後は、20年近くの流浪の生活を送りました。フィレンツェに帰ることなく死にました。「神曲」は流浪の生活の中で書かれました。そんな境遇もあってか、「神曲」には、政治家や、ローマ法王や皇帝、そして、フィレンツェの人々への直接的な批判も繰り返し書かれていました。

久遠の女性


 「神曲」にはベアトリーチェという女性が登場します。解説にはダンテの「久遠の女性」と紹介されていました。ベアトリーチェはダンテとほぼ同じ歳のようです。ダンテは9歳のときにベアトリーチェを見初めました。十八歳のときに再会しました。ダンテは恋心に燃えました。しかし、ベアトリーチェは別の男性に嫁ぎました。25歳の若さで死んでしまいました。ベアトリーチェが死んでからの10年間をダンテは自堕落に過ごしたらしいことが解説に書かれていました。「神曲」は35歳のダンテが暗い森へ迷い込んだ場面からはじまります。「正道を捨てた」ダンテは、谷の先に、まばゆい光に包まれた丘を見つけます。ダンテは丘に登ろうとします。しかし、豹と獅子と牝狼の3匹の獣に行く手を阻まれます。3匹の獣はダンテが犯した罪の象徴だそうです。丘に登る望みを捨てたダンテは谷底へ向かいます。そこで、BC70年〜19年を生きたラテンの詩人の魂に会います。詩人は、清らかな夫人から、恐れのあまりもと来たほうへ引き返そうとしている友人を救ってくださいと頼まれたのでした。清らかな女性とはベアトリーチェでした。ダンテは「地獄」、「煉獄」、「天国」をラテンの詩人をはじめとする案内者にしたがって旅をします。復活祭の一週間のできごとでした。

神曲/地獄編


 ダンテは詩人のあとについて地獄の外門の前まできました。地獄の外門には、「憂の国に行かんとするものはわれを潜れ」、「われを過ぎんとするものは一切の望を捨てよ」などの言葉が刻まれています。ダンテは「先生、この言葉は難しいですね」ともらします。詩人はここは一切の感情を捨てることが良いのだと教えます。ダンテは門をくぐりました。

 「神曲」はダンテの一人称で語られています。「神曲」の中で、ダンテは「読者よ、その姿形の描写にはこれ以上の詩行を当てることはできない」などと繰り返し読者に語りかけます。「神曲」は案内者に導かれた旅の行程が内容となりますが、「その間の話題はその時には話すにふさわしかったが、いまは黙するにふさわしい」などと旅の行程のいちいちを書き連ねることはしません。詩のことはよくわからないのですが、ダンテは、読者を十分に意識したうえで作品としての完成度を追求しているように思いました。

 「地獄編」では永劫の責め苦にあえぐ亡霊たちの姿が語られます。古今東西を問わずに、ダンテが描いた「地獄」は、絵画作品をはじめとして、多くの作品に引用されています。怪物が大なべの中に逆さづりにした人間をほうりこんでいるような場面です。ダンテに習って、みちまろも地獄の様子をくどくどと書くことは控えます。

 ひとつ感じたことがありました。地獄の様子をダンテに説明する案内者の言葉に、なんの救いもないことでした。案内者の言葉をいくつかピックアップしておきます。

「誉れもなくそしりもなく生涯を送った連中」

「神に仕えるでもなく、そむくでもなく、ただ自分たちのためにだけ存在した」

「天はこうした奴が来ると天国が汚れるから追い払うが、深い地獄の方でも奴らを受け入れてはくれぬ、こんな奴らを入れれば悪党がかえって威張りだすからだ」

「神のお気に召さずまた神の敵の気にも入らぬ卑劣な連中」

「この本当に人生を生きたことがない馬鹿者ども」

「彼らについては語るな、ただ見て過ぎろ」

 ダンテがあまりにむごい姿に、思わず泣く場面がありました。ラテンの詩人はダンテをしかります。

「おまえまでまだそのような愚かしい真似をするのか? ここでは情を殺すことが情を生かすことになる。神の裁きにたいしてれんびんの情を抱く者は不ていのやからの最たるものだ」

 地獄の最後の場面でした。ダンテは亡者に「私の助けが欲しければ、おまえが誰か名を名乗れ」と言います。亡者は自分の名を明かします。地獄に落ちた経緯を語りました。亡者は「そろそろこちらへ手を伸ばして俺の目を開けてくれ」とダンテに約束の履行を願います。

「私はその目を開けなかった。奴にたいしては約束を破るのが礼儀だからだ」

 さすがは、一切の望みを捨てた世界だと思いました。

神曲/煉獄編


 地獄のすべてを見終えたダンテは煉獄へと向かいました。煉獄は罪を清める場所です。地獄は阿鼻叫喚に満ちていました。煉獄では臨終の間際に非を悔いて地獄落ちをまぬがれた魂の歌声が響いていたりします。「地獄編」のダンテは見るもののすべてに驚愕していました。「煉獄編」のダンテは落着きを取り戻していました。ラテンの詩人に質問したりします。強引ですが、誤解を恐れずに言うと、「煉獄編」はQ&A方針でつづられていました。

 ダンテが「どのような罪が清められているのか、教えてください」と聞く場面がありました。ラテンの詩人は「自然的愛」と「意識的愛」の違いを語ります。「自然的愛」は誤ることがありません。「意識的愛」は「目的が不純であるとか力に過不足があるとかで、誤ることがある」そうです。詩人は「隣人の不幸への愛」には3種類あることを告げます。相手が立派な地位から転落することを願ったり、自分が蹴落とされることが心配で他人の失敗を願ったり、不正に怒り復讐の血にかられたりします。そして、詩人は、そのような三様の「(非道の)愛」とは別に、もうひとつ、「度を誤って善を追う愛」があることをダンテに教えます。人間はみな精神を静めてくれるような善の存在に気がつくとそれを求めます。しかし、善を手に入れようとするさいに、「おまえたちの愛が遅鈍であると」煉獄に来るはめになると言います。さらに、詩人は、他の(物質的)善もありますが、それは至福でもなく、良い本質(神)でもなく、善の根でもなく果でもないことを告げます。それは人を幸せにはしないようです。

「この(物質的)善をあまりに愛した者は私たちの上の三つのたにの中で泣いている、ただどうして三つに分れたかその理由については私はいわぬ、おまえが自分で理由を見つけるがいいだろう」

 詩人はダンテの顔をじっと見つめます。ダンテは「いっさいの善行もその逆の行いもみなもとをただすと愛に帰するようですが、では愛とは何なのでしょうか」と教えを請います。詩人は語ります。人間たちの認識力は実物からイメージを作りあげます。魂が自分の好きなものを目指すのは本質的な現象なので、魂を向かわせるために人間は楽しみや好きなものをイメージします。その魂の傾斜が愛だそうです。愛にとらわれた魂は、愛の対象を望むようになり、それが喜びを与えてくれるまで休もうとしません。

「およそ愛と呼ばれるものならそれ自体でみな称賛に値すると主張する人の目には真理は隠れ、真相は映じていないのだ。なるほど愛の質料は常に良いものと見えるだろう、だがたとえ蝋が良くともそこに刻まれた印がすべて良いとは限らない」

 愛を理解したダンテは別の疑問を持ちました。愛が自然の感情であれば、愛に向かう魂には責任がないのではないかと思います。詩人は、信仰の問題はさておいて、理性の範囲内でなら私にも説明できる答えました。感情を持つこと自体は良いことでも悪いことでもないそうです。人間の価値は思考能力で決まると言います。人間は善や悪を愛し、そのような愛を取捨選択することができます。その理を根本まで突き詰めた人が取捨選択の自由を認めたからこそ後世に道徳学を残したことを教えます。だから、心の中に燃え上がる愛は必然的に発生したとしても、それを抑制する力が人間の中にはあることを告げました。

 煉獄のはてでダンテを待っていたのはベアトリーチェでした。ベアトリーチェは母の厳しさをもってダンテの10年にわたる行いを責めます。ダンテは過ちを悔いました。罪を清めます。ダンテは、10年ぶりに愛しいベアトリーチェの笑顔を見ました。まぶしさのあまりに目がくらんでしまいました。

神曲/天国編


 ベアトリーチェとともに天国にたどりついたダンテは、ベアトリーチェや出会った魂たちと信仰の話をします。ベアトリーチェは、「もし被害者が加害者に対してなにもしないのに暴力を加えられた、というだけならば、被害者にも責任がないわではない」こと告げました。なぜなら、暴力は意志が薄弱になるにつれ強くなるからです。ダンテは、人間には性分というものがありますが、ひとりひとりが生まれる家庭は性分のとおりになるわけではないので、後天的な環境により「どうしても育ちが悪く」なり、道を踏み外すこともあることを知ります。

 「天国編」は、またまた強引ですが、質疑応答形式でした。ダンテは、アダムやヨハネやカブリエルに会います。聖人から「信仰とは何か?」と問われます。キリストの姿を見かけたり、マリアの光に包まれたります。「天国編」の内容は、いわゆる「神学」と言われる領域にあるように思えました。「ダンテさん、お言葉ですが、人間の祖先は猿であります」と言ってはいけない世界のように思えました。このへんのことはよくわかりませんでした。「天国編」で興味深かったことは、聖人と呼ばれるフランチェスコの生涯が語られたり、ドミニコが法王から権限を委託されて教団を設立した経緯が語られたり、カッシーノに僧院を開いたベネディクトゥスが身の上を語ったりしていたことでした。

神曲の感想


 「神曲」を読んだのははじめてでした。難しい内容でした。脚注と解説に頼りきってなんとか読んでみました。素直な感想としては、「地獄編」と「煉獄編」は、文字として伝えられている情報の意味内容を把握することはなんとかできそうな気がしましたが、「天国編」になると、何が書いてあるのかさっぱりわからない個所もありました。キリスト教の知識やヨーロッパ史の知識、また、当時のフィレンツェの状況やたくさん出てくる人物たちの背景などを知らないと深く読みすすめることは出来ないと思いました。「神曲」には哲学書や倫理書的な要素もあると思いました。読み物としては、読者の存在を意識して親切に書かれているので、読みやすいと思いました。詩的なことについては、翻訳であり、また、みちまろが詩人の感性を持ち合わせていないので、わかりませんでした。まとめとしては、「神曲」は、人生のステージの中で読み返すべきであり、そのたびに、新しい発見がある本だと思いました。


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