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野菊の墓/伊藤左千夫のあらすじと読書感想文

2013年1月3日 竹内みちまろ 参照回数:

野菊の墓のあらすじ


 旧制の小学校を卒業したばかりの数え年15歳(生まれだと13歳と数か月)の「僕」こと政夫は、松戸から2里(8キロ)ばかり下って、矢切の渡を東へ渡った小高い丘に住んでいました。母親は病気をわずらっており、市川の親類で政夫の従姉にあたる数え年17歳(生まれだと15歳と少し)の民子が家の仕事や母親の世話のために来ていました。政夫と民子は大の仲良しで、民子は、障子をはたくといっては政夫の部屋に来て、ハタキの柄で政夫の背中をつついたり、政夫の耳をつまんで逃げて行ったり、本を読みたい、読み書きを習いたいと言ったりしていました。政夫は、3、4日おきに松戸へ母の薬を取に行き、政夫の帰りが遅くなると、民子は何度も裏坂の上まで出て、矢切の渡の方を見ていました。家の中や、近所で2人の仲が評判になり、母親が2人を枕元へ呼び、15、6にもなればもう子どもではないと、注意します。しかし、母親は、乳をあげたこともある民子も、政夫も、まだまだ子どもだと思っていました。母親から小言を言われてから、政夫の中に、恋心が芽生えました。

 陰暦の9月14日は宵祭で、15日の村の祭りでした。畑仕事を今日中に終わらせなければならないという13日、母親の指図で、政夫と民子が山畑の棉(わた)を採りに行くことになりました。2人は人目を気にして、別々に家を出て、村はずれの坂の降り口の大きな銀杏の木の根で落ち合いました。山畑へ向かう途中、政夫は野菊をつみます。民子は野菊が好きといい、政夫は、「民さんは野菊のような人だ」「僕(野菊が)大好きさ」と口にします。お互いに好き合っていましたが、2人はその思いを確認しあうには幼すぎました。しかし、水を汲みに行く時、初めて手をつなぎます。山で弁当を食べ、民子は、「政夫さんはりんどうの様な人だ」とひとり笑いをします。秋の日は短く、2人が帰りついたときには、十三夜の月が出ていました。2人にやましいところはありませんでしたが、台所の奉公人などの話は「はたでいくら心配してもお母さんがあれでは駄目だ」と落ち着き、政夫と民子は、「全く罪あるものと黙決されて」しまいました。

 いまさら2人をしかっても仕方がないと思った母親は、11月に学校へ行かせるつもりだったところ、お祭りが終わってすぐの17日に寮に入り、千葉の学校へ行くように言いつけました。学校へ行くのはもとからの願いだったため、政夫は承知しました。政夫と民子がもう少しませていたら、その間に将来の話をすることもできたとのことですが、幼い2人はなす術を持たず、政夫は16日の午後になって、ようやく、「民さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、僕はそんなことは何とも思わない。僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、民さんもそう思っていて下さい」などと記した手紙を書き、日暮れに、自分がいなくなってから読んでほしいと告げ、民子へ渡しました。

 12月25日、政夫が冬休みに戻ると、民子は家におらず、前々日に市川の家に帰されたとのこと。民子は、母親から小言を言われ、また、母親の心づもりは、2歳も年上の民子を政夫の嫁にすることはできないということになっていました。政夫は、市川の家にはよく遊びに行っていましたが、恋心が生まれてからは、市川の街を通るのも恥ずかしくなり、民子に会いに行くことはありませんでした。翌年の大晦日に帰省し、民子が嫁にいったことを知ります。政夫は「自分ながら不思議と思うほどの平気であった」「嫁にいこうがどうしようが、民子は依然民子で、僕が民子を思う心に寸分の変りない様に民子にも決して変りない様に思われ」ました。

 6月22日、スグカエレの電報を受け取り、家に帰ると、民子が流産が原因で死んだことを知ります。母親は、あれだけ嫌がったものを無理やり嫁がせた自分が民子を殺したのだと嘆きます。政夫が市川の家に行くと、民子は臨終のとき、政夫の手紙と写真が入った包みを握った手を胸の上に乗せていたことを告げられます。民子の墓には野菊が植えられ、政夫は、「決然学校へ」出ます。

野菊の墓の読書感想文


 『野菊の墓』は、10年余りがたったのちの政夫の回想で語られる物語でした。「民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている」とも語られます。幼い恋の物語で、それを語る「僕」はすでに老齢にも達しているようにも思われますが、よく考えてみると、語り手の「僕」は、まだ23、4歳でした。

 どんなに好き合っていても、2歳年上の民子を嫁にするわけにはいかないという価値観には、驚きました。数え年の17歳で縁談の話があり、民子も周りから強く勧められれば断るわけにいかず、みなさんのよいように…と返事をせざるを得ない立場だったようです。ただ、『野菊の墓』を読むと、そんな民子は、まだ上手に恋をすることができず、また恋をする時間もありませんでした。当時は、恋というものを経験することなく、結婚していった女性たちがたくさんいたのかもしれません。

 『野菊の墓』では、「僕」は、家に帰っても、市川の家に行っても、けっきょくは、大事な息子して扱われます。たとえ民子が死んでも、「僕」を責める人はおらず、「僕」が傷つくことはありません。何があっても、「僕」は一目おかれた存在として、丁重に扱われます。これが現代小説なら、男が守られ過ぎ! 男目線の願望しか書かれていない! などと、女性読者を中心に、手痛いお叱りがくるのかもしれません。時代背景を考えると、感傷的な回想で作品が成立するほど、男や、息子というものが大事に扱われていた時代なのかもしれないと思いました。


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