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序の舞/宮尾登美子のあらすじと読書感想文

2005年11月24日 竹内みちまろ 参照回数:

 『序の舞』(宮尾登美子)という小説をご紹介します。画家の上村松園の生涯が描かれています。

 上村松園は、明治期から戦争が終る時代にかけて活躍した美人画の画家です。京都に生まれて、京都の市井を生きる女性を描くことに生涯をついやしたようです。女性として初の文化勲章受章者です。誰にも到達のできない境地にたどり着いた画家の1人かもしれません。「序の舞」は、上村松園をモデルにした小説です。綿密な取材はしていると思いますが、著者の創作力が加えられていると思います。従って、創作に分類される作品だと思います。「序の舞」は、松園が描いた作品の題名の1つです。「序の舞」は、1つ1つのエピソードが冷静で客観的な視点で積み重ねられていました。ただ、会話文だけは、登場人物の情念をえぐり取ったような文体で書かれていました。

 ヒロインが、年下の青年に心を奪われていく場面がありました。ヒロインは、すでに数々の賞を受賞しています。私塾に弟子を取り、京都を代表する文化人の一人として恥ずかしくないほどの地位と名誉と財産をなしていました。田舎から出てきた素朴な青年は、女だてらに自分の腕一本で道を切り開いているヒロインに感銘しています。ヒロインを「先生」と呼びます。ヒロインは、青年が、欲しくて、欲しくて、たまりませんでした。ヒロインは、青年に、すがりました。

「先生は嫌どす。津也と呼んどくれやす。うちこそ、長いあいだの思いが通じてこんな嬉しいことはおへんのどす」

 全編が抑えの効いた文章で上品に書かれているだけに、会話文から伝わってくるヒロインの情念が心に響きました。

外側に向かう心、内側に向かう心


 「序の舞」(宮尾登美子)の文庫本は、上下巻に分かれています。上巻の終わりのころに、ヒロインが、ある男性と別れる場面がありました。上記した青年とは別人です。ヒロインは、駆け出しのころでした。男性とは、淡い恋心を育んでいました。男性は、絵の才能に見切りをつけて人生をやり直すことにしました。別れの場面で、男性が、ヒロインに、京都の社会を語って聞かせる場面がありました。小学校のころから絵だけを描いてきたヒロインは、世の中のことを何も知りませんでした。男性は、西陣の職人たちが、身分を守る労働組合もない状態で、安い賃金と不景気がくると真っ先に首を切られる状態で暮らしを立てていることを語ります。青年は、どんなに真面目に働いても報われないのは、社会の構造が悪いからだと義憤します。絵画も、一部の金持ちの道楽ではないかという疑問を持つようになっていました。

 この場面を読んで、青年は、もしかしたら、マルクス主義に傾倒するのかもしれないと思いました。時代背景や、京都という土地柄を考慮すると、違和感のない展開だと思います。そんなことを頭に入れて読み進みましたが、「序の舞」は、最後まで、マルクス主義の「マ」の字も出てこない小説でした。下巻では、京都での生活にけじめをつけた青年が、故郷で職人としての道をしっかりと進んでいるうしろ姿が語られました。

 絵画の世界は、全くの閉ざされた世界のように感じました。派閥によって何もかもが決まっていたりするようでした。ヒロインは、自分の腕だけを頼りにして、全てが男の論理で動く世界に、身を乗り出しました。ヒロインは、「女だから」というくやしさばかりをかみしめます。師匠の子どもを身ごもってしまった場面では、つくづくと、「女は損だ」と苦渋をなめさせられました。しかし、そんなヒロインは、巷で叫ばれはじめていた女性解放運動とは接点を持ちませんでした。

 西陣の職人たちを苦しめている社会の構造や、女ばかりに苦渋を押し付けている世の中のカラクリを目の当たりにしても、それならば世の中を変えていこうという発想は描かれていませんでした。どうでもいいキャラクターを除くと、本書に登場する人間たちは、画家なのか否かを問わずに、外の世界に目を向けて生きるのではなくて、自分の内側にある何かを追い求めて生きているように思えました。結果として、いい悪いは別にして、共産主義や女性解放運動、そして、あのはげしい戦争すらも、まったくの無縁の世界が描かれていました。

道を極めるということ


 「序の舞」では、上村松園という名前こそ出てきませんが、上村松園が残した数々の名作が実名で登場します。ヒロインが、そんな名作を生み出していく過程も、本書の読み応えの1つだと思いました。「花ざかり」という絵を描き上げるまでのヒロインの姿が印象に残っています。「花ざかり」は、院展に出品されて、上村松園の名を、京都から全国に広めた作品のようです。手元にある新潮美術文庫収録の画集を開いてみると、「花ざかり」と同じ構図の「人生の春」という作品の解説には、「花嫁の恥じらいと不安感、母親の責任感と緊張感など、内面的な要素が加味されて、この作品を豊かなものにしている」と書かれていました。小説の中では、ヒロインは、花嫁姿を経験することができないままに終ってしまった自分の青春への恋慕を込めて筆を執っていました。

 「花ざかり」を見た師匠とヒロインが、2人だけで顔を会わせる場面もありました。ヒロインは、師匠の元を無断で離れて、別の師匠に師事していました。ヒロインは、師匠の子どもをこっそりと生んで里子に出していました。子どもは、わずか4ヶ月で死んでしまいました。師匠は、「あんたの今後の『花ざかり』、ほんまによっかなあ。『人生の春』見たときも、あんたが歯をくいしばってこれ描いた様子が誰よりもわしにはよう判ってたんや」とねぎらいの声をかけます。師匠は、「あんたなあ、今日はわしにほんまのこと打ち明けてくれへんか。塾やめたんは、わしの子供生んだためやなかったか?」と切り出しました。師匠は、ヒロインの別の作品を見たときに、「あの絵は男には描けへんし、女でも子を生んだ者やないとあそこまで情緒はだせへん」と思ったことを告げます。ヒロインが自分の子どもを生んだことを確信したことを語りました。師匠は、まる7年間も、ヒロインと言葉を交わさずに、顔すらも会わせていませんでした。しかし、師匠は、ヒロインが発表する作品だけは見続けていまいした。「花ざかり」は、いっしょに出品された師匠の作品よりも、上位の章を取っていました。ヒロインは、形や色ばかりを追いかけるのではなくて、「自分の身を切り、滴るその血を絵筆に含ませて描くだけの苛烈な覚悟」がなくては、よい作品は生まれないことを知りました。そうやって、ヒロインは、画家として、1つ上の階段に踏み出しました。

母への思い


 大江健三郎の言葉を借りれば、「ある人間の生涯を考えるとして、その誕生の時から始めるのじゃなく、そこよりもはるか前までさかのぼり、またかれが死んだ日でしめくくるのでなしに、さらに先へ延ばす仕方で、見取図を描くことは必要です」となるようです(「M/Tと森のフシギの物語」)。小説「序の舞」には、ヒロインの人生に加えて、ヒロインの母親の生涯と、ヒロインの息子のうしろ姿も書かれていました。ヒロインの父親は、ヒロインが小さなころに死んでしまいました。ヒロインの母親は、姉とヒロインの2人の娘を、1人で育てます。「序の舞」は、母親へのヒロインの思いを描いた小説でもあると思いました。印象に残っている場面があります。母親が、2人目の子どもを身ごもったヒロインをさとす場面でした。母親は、昔話をはじめます。

「あの頃お母ちゃんは、後家やさかいいうて人にあなどられたらあかん思うて、気張って気張って暮らしたもんやった。夜になって店しまい、上げ店の板戸をぱたんと閉めると、それはそれはほっとしてなあ。
 戸の外をどんなに冷たい世間の風が吹き荒れてても、板戸のなかは母娘三人、安心して住めるぬくいところやと考えてふるい立ったもんやった」

 母親は、子どもを始末せずに未婚の母になることを、ヒロインに勧めました。

 せっかくの雰囲気を壊すようですが、ちょっと、理屈っぽい話になると、「序の舞」は、ヒロインが生まれてから死ぬまでをカヴァーする物語ですが、全編を通して、時間軸を利用した伏線がいくつも張りめぐらされていました。伏線は、母親が昔話で語ったり、ヒロインがふと開いた新聞記事がキッカケで思い出されたりします。そんな伏線の多くは回帰構造を持ち、やがては、ストーリーを、「夕暮」という一枚の絵に集約していくように感じました。

 「夕暮」は、障子を開けた女性が、両手を高くかざして、左手でつまんだ針の穴に、右手の指先で糸を通そうとしている絵です。上村松園が口述した「青眉抄」という随想集には、幼かった松園は、これだけ縫ったらおしまいなのに、ほんとうに暗くなったと独り言をこぼしていた母親の背中をじっと見詰めていたことが書かれていました。

「ざっとあれから五十年の歳月が経っていますが、今でも眼を閉じると、そんな母の姿がありありと私の網膜に映じて消ゆることがありません」(「青眉抄」)

 「夕暮」を描いたときに、母親は既に死んでいました。「序の舞」を読んで、ヒロインの生涯は母親を思い慕う生涯だったように感じました。母親は、ヒロインには、家事の一切をやらせずに、子どものころから絵だけを好きなだけ描かせていました。ヒロインが息子を生んだあとも、同じ家に住みながら、ヒロインは、息子の面倒は、母親と姉に任せていました。ヒロインを見守り続けてきた母親は、80歳に近い人生を生きて、寝たきりになりました。そんな母親は、「こうして寝て考えてるといろいろなことが判ってきましてな」とヒロインに告げます。ヒロインは人物画だけを描いてきましたが、ヒロインの息子は、花鳥山水を描く道に進んでいました。ヒロインの母親は、ヒロインに言います。

「孝ちゃんはな、小さなときからさびしいてさびしいて、そのさびしさを紛らわせるために、小鳥やら金魚やらを自分の友だちとして自分ひとりで慰めてきたんやったのえ」

 ヒロインの息子が花鳥山水を描くのは、「骨の髄までしみとおるようなさびしさを絵具に打ちつけて描いているのと違いますか」と語ります。ヒロインは、「自分の母親としての役は無きに等しかったことを、いま改めて知らされた思いが」しました。

息子のうしろ姿


 母親を亡くしたあとに、ヒロインは、更なる境地へと向かって作品を量産していったように書かれていました。その一方で、息子も、画家の道を進んでいました。ヒロインが息子の絵を手伝おうとする場面がありました。息子は、かたくなに拒みました。駆け出しの画家だった息子は、母親に手伝ってもらっていると陰口を言われていました。しかし、そんな息子は、いつのまにか、大きく成長していました。青年となった息子は、世間は母親の絵は実はみんな息子である自分が書いていると言っているなどと、くったくのない笑顔で、母親に冗談を告げるまでになっていました。

受け継がれる人生


 「序の舞」で描かれた物語は、一般社会からは、かけ離れた出来事だと思いました。「序の舞」は、何か王朝時代の巻物のひもを解くような趣のある小説でした。そんなヒロインたちは、社会に向かって、声をあげて何かを訴えることはしません。ヒロインは、女だからという悔しさを飲み込みながら、ひたすらに、自分の心の中に目を向けて、生きていこうとします。「序の舞」は、そんな心が、母親からヒロイン、ヒロインから息子へと受け継がれていく物語だと思いました。そういった命の1つ1つの積み重ねが、社会を変えていくのも歴史的な現象かもしれないと思いました。


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