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大造じいさんとガン/椋鳩十のあらすじと読書感想文

2012年8月23日 竹内みちまろ 参照回数:

 『大造じいさんとガン』(椋鳩十/むく・はとじゅう/偕成社)という本をご紹介します。著者紹介によると、椋鳩十さんは、「動物文学に新生面をひらいた」作家。『大造じいさんとガン』には、13の掌編が収録されていました。あらすじと読書感想文をまとめておきたいと思います。

 表題作『大造じいさんとガン』は、大造じいさんという72歳の狩人が語る35、6年前の物語でした。ある年、沼地にガンの群れがやって来ました。ガンの群れは、左右のつばさに1個所ずつまっ白な交じり毛があるために「残雪(ざんせつ)」と呼ばれた1羽のガンに率いられています。沼地を狩り場にしていた大造じいさんは、残雪が来るようになってから、1羽もガンを手に入れることができなくなっていました。

 大造じいさんは、今年こそはと思い、わなをしかけました。翌日、1羽のガンを生け捕りにすることができました。しかし、その翌日以降は、ガンたちに警戒されたため、1羽も捕まえることができませんでした。こうして、大造じいさんと残雪の戦いが始まります。

 1羽しか捕まえることができなかった翌年、大造じいさんは、タニシをばらまいて待ち伏せをします。しかし、残雪に気づかれて、狩りは失敗しました。

 そのまた翌年、大造じいさんは、ガンが一番最初に飛び立ったもののあとについて行くという習性を持っていることを知っていましたので、2年前に生け捕り、なつかせていたガンを利用して、ガンをおびき寄せようとしました。が、大造じいさんの不意を突く形で、残雪に導かれたガンの群が一斉に飛び立ちました。不思議に思った大造じいさんが見ると、白い雲の辺りから、ハヤブサが急降下してきました。危険を察知した残雪が、群を逃がすために飛び立ったのでした。しかし、大造じいさんに餌付けされていたガンは、野性の感が鈍っていたのでしょう、1羽だけ飛び遅れました。ハヤブサは大造じいさんのガンに容赦なく攻撃を仕掛けます。その時、残雪が舞い戻ってきました。大造じいさんは、残雪を仕留めるためにいったんは銃を構えますが、撃ちませんでした。残雪とハヤブサはもつれ合って、沼地に落ちます。2羽はなお激しく戦っていました。大造じいさんが近づくと、大造じいさんの姿を見かけたハヤブサは、飛び去っていきました。残雪は、残りの力を振り絞って、頭領としての威厳を保っています。大造じいさんは、残雪を助け、春になったら、残雪を逃がしました。大造じいさんは、「ガンの英雄」を「ひきょうなやりかた」ではなく、「どうどうとたたか」って捕まえたかったのでした。

 『大造じいさんとガン』のあらすじをまとめると以上のようになります。しかし、もう一つ、『大造じいさんとガン』という作品は、構成が特徴的でした。冒頭で、知り合いの狩人からイノシシ狩りに誘われた語り手である「わたし」が、狩りのために72歳の大造じいさんの家に集まったときに、大造じいさんから残雪の話を聞いたことが紹介されたうえで、本編へ突入していました。

 狩りに来て話を聞いたという以外に「わたし」に関する情報は提示されていませんが、『大造じいさんとガン』を読んで、狩人の話を聞いた「わたし」が語り手になるという構造が印象的だなと思いました。収録されていたほかの作品も読んでみました。

 「黒」という名前の黒犬が登場する『黒ものがたり』は、長野県に住んでいた「わたし」が、クマ狩りに使うつもりで飼っていた黒犬を、仕事の都合でクマがいない鹿児島県へ引っ越さなければならないため、近所に住んでいた安じいさんに「黒」を預けて、猟犬に仕込んでもらう物語でした。数年後、安じいさんから「ことしはめずらしくクマがさわぎます」との知らせをもらった「わたし」は、長野へ戻り、「黒」を連れて、安じいさんとクマ狩りに出かけます。この『黒ものがたり』という作品では、「わたし」が狩を生業にしている人間ではないことが語られました。この、狩りを生業にしているわけではない「わたし」を仮に「都会の人間」と名づけ、狩りを生業とする安じいさんを「自然の人間」と名づけると、「都会の人間」から見た、動物と「自然の人間」との関わりの描き方が読んでいて、面白かったです。

 また、3つの掌編からなる『佐々木さんの話』の中の「えものをにがした狩人」という掌編には、屋久島に住む狩人と、サルとの関わりが描かれていました。サル狩りの名人・佐々木さんは、村人から畑を荒らすサルを捕まえて欲しいと依頼され、ちょうど動物園や大学の実験室からサルの注文を受けていたので、引き受けます。語り手の「わたし」は、狩りの話を聞くために、屋久島へ佐々木さんを訪ねていました。

 狩りを生業としない、言葉を換えれば、自身が自然の一部として自然と共生しているわけではない「都会の人間」なら、たとえば、動物を食べるために殺す「殺生」という概念があったり、動物実験を行うことは「かわいそう(だけど仕方がない?)」という概念があったりすると思うのですが、狩りを生業とし自然と共生している狩人たちは、そういった概念を持たないように感じました。

 「えものをにがした狩人」は、わなにかかった子どもサルに、母親サルが、檻ごしに乳を与えている姿を見て、狩人である佐々木さんは、わなを蹴り飛ばして、子どもサルを逃がす話でした。狩人は逃がした理由を語りませんが、自らは手を下さないくせにそれでいて「殺生」だの「かわいそう」だのにこだわる「都会の人間」的な発想や概念は持って居らず、佐々木さんは、理屈では説明できませんが、自然と共生する人間の本能のようなものから、子どもサルを逃がしたように思えました。

 そして、自身も「都会の人間」である語り手の「わたし」が、狩人から話を聞いたことによって垣間見た「自然の人間」の姿を語るという構造が、『大造じいさんとガン』という本では、とても印象的でした。


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