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八百屋お七物語/井原西鶴のあらすじと読書感想文

2013年8月20日 竹内みちまろ 参照回数:

八百屋お七物語のあらすじ


 東京・神田須田町から新橋金杉橋に至るまで、破魔矢売り、着物・たび・雪駄を売る露天などが建ち並ぶ暮れの12月28日夜、火事が起きました。

 本郷界隈の八百屋八兵衛は氏素性の立派な商人で、八兵衛には、16歳の清楚で美麗な「お七」というひとり娘がいましたが、お七は、火の手が近づいたため、母親に付き添い、平素から頼りにしている旦那寺の吉祥寺(駒込)へ避難しました。

 吉祥寺は火災を逃れてきた人たちでごった返していました。坊主さえ油断ならない世の中ですので、母親は八方に気を配って、お七の身を大切にしていました。一方、お七は、僧があるだけ出してくれた着物の中に、黒羽二重で立派な紋が染め出された大振袖から仕立てられた、いわくありげな小袖を認め、炊き込めた香の匂いも残っていたことから、「身分ある人の娘が若死してしまい、形見として残っているのも辛い気持と、このお寺に寄進したものだろうか」と思いを巡らし、浮き世ははなかく、後生安楽を願うことだけがまことの道だと無常観にとらわれていました。

 そんな折、寺に預けられていた小野川吉三郎という16歳の素性正しき浪人が、夕方の光で、左の人差し指に刺さった小さなトゲを抜こうと悪戦苦闘していました。母親が毛抜きを受け取り試みましたが、老眼のため小さなトゲを摘むことができません。お七は、自分ならすぐに抜けると思いますが、馴れ馴れしく近づくことも出来ずたたずんでいました。母親から「これを抜いてあげなさい」と言われ、心が弾みました。

 さっそくトゲを抜き出すと、吉三郎は思わずお七の手を強く握りました。お七は手を離したくないと思いましたが、母親の手前仕方なく手を離します。しかし、わざと毛抜きを持ったままでいて、毛抜きを返すという口実で吉三郎を追いかけ、手を握り返しました。お七は吉三郎に恋をしました。

 吉三郎は、吉三郎と衆道の契り(男性同士の恋愛の約束)を結んだ兄貴分で現在は松前(北海道)に行き秋頃に戻る予定の男から、松前に行っている間、寺に預けられていました。

 お七と母親は、焼け出されて吉祥寺で暮らしていましたが、お七は、吉三郎へ恋心を募らせ、恋文をこっそり届けます。入れ違いに吉三郎からも恋文が届き、相思相愛となりました。しかし、母親の監視もあり、大晦日は恋の思いの闇にむなしく暮れ、正月2日の「姫はじめ」の日にも枕をひとつにすることができず、吉三郎と会えぬまま、日ばかりが明けていきました。

 正月15日の夜、米屋の八左衛門が亡くなります。寺は、わずかな者を残して空っぽになりました。外は春の雷がとどろいていました。母親はお七の身を案じて、お七を夜着の下に引き寄せて「耳をふさいで」などと注意していましたが、吉三郎に会う機会は今夜しかないと思ったお七は、強がって、「世間の人は、なんで雷をこわがるのでしょう。命を一つ捨てればよいこと、わたしはすこしも恐ろしくはないわ」と口にします。

 夜が更けると、お七は、客間から忍び出ます。炊事担当の梅という女の体を跨ごうとすると、梅がお七の袖を引っ張り、ひと束の小型の鼻紙を手渡してくれました。「今夜は鼠のやつがうるさく騒ぐ……」などとこぼしていた寺の炊事の老婆は、お七の肩を叩いて、吉三郎の寝所の場所をささやいてくれました。お七は、お礼に、締めていた紫鹿子の帯を解いて与えました。

 午前2時の鐘が鳴り、当番の小僧が、香が燃え尽きて落ちた鈴の糸をかけ直し、香を盛り継ぎます。小僧が寝所へ戻ろうとすると、お七は、愚かな思いつきから、髪の毛をばさばさにして、怖顔をつくって、暗がりから小僧を脅かしました。しかし、さすが腹は座っているものと見え、小僧は少しも驚かず、「汝元来、帯ときひろげて、世にまたとない淫奔女である」などと目をむいて言い放ちます。照れくさくなったお七は、小僧に駆け寄り、「おまえを抱いて寝にきたのよ」と口にしますが、小僧は「吉三郎様のことなら、おれと今まで足を差し合わせて寝ていたんだよ」などと笑います。小僧の裾には香木の移り香が残っており、お七は、「とても我慢できない」と悶絶します。お七は、なんでも好きな物をあげるからと小僧を言いくるめ、寝所に行くと、吉三郎が寝ていました。同じ寝所に戻った小僧はすぐに寝てしまい、お七は吉三郎の横に寄り添います。吉三郎は目を覚まし、「わたくしは、十六です」「長老様がこわい」などと口にします。お七も「あたくしも十六になります」「わたしも、長老様がこわい」などと告げ、2人で涙を流します。そのうちに、雷が鳴り、お七が吉三郎にしがみつきました。吉三郎が「手足がすっかり冷えているよ」とささやくと、お七は「こんなに身を冷たくさせたのは、誰のせいなのでしょう」などと返します。2人は、結ばれました。夜が明けると、2人は、「うらめしいことだ」「昼を夜にしている国がないものか」などと言い合いますが、お七を探しにきた母親に見つかって、お七は連れ出されてしまいました。

 お七は吉三郎と引き裂かれ、家で母親に厳しく監視されていました。しかし、使用人の情けで手紙だけは数多く取り交わしました。

 ある夕方、板橋の宿に近い里の者らしい子どもが松露・土筆を籠に入れて売りに来ました。その日は雪が降り止まず、村まで帰るのが難儀だと里の子が困っていると、お七の父親が、土間で隅で夜を明かすように声を掛けます。里の子は、小笠で顔を隠し、腰蓑をまとって寝始めます。

 土間は冷え上がり、あわれに思ったお七が、湯を出すように梅に頼みます。お七は、暗がりの中、里の子の前髪を弄び、「お前も江戸にいたならば、男色の兄貴分ができる年頃だが、気の毒になあ」と口にします。また、里の子の足をいじくりながら、「感心に、あかぎれは切れていないな、これなら口をすこし吸おうか」と口を寄せました。しかし、里の子が、悲しく切なく、歯を食いしばって涙をこぼすと、「葱やにんにくを食べた口かもしれない」と、お七は思いとどまりました。

 その夜、午前2時の鐘がなったとき、表の戸を叩く音がして、お七の父親のたった一人の姪「はつ」に赤子が生まれたことを告げます。お七の両親は慌てて家を出て行きます。戸締まりをしたお七は、里の子を思いだし、「気持よく眠っているのですから、そのままにしておおきになったら」という使用人の言葉に知らん顔をして、お七が顔を近づけると、奥ゆかしい香の匂いがし、お七が袖に手を差し入れてみると浅黄羽二重の下着をつけており、これはと思ってよくよく見ると、里の子は吉三郎でした。

 吉三郎は、せめてひと目会いたいとやってきたのでした。お七は、凍える吉三郎を、使用人と協力して自分の寝所へ連れ込みます。吉三郎の身体をさすり、薬を飲ませるとようやく吉三郎に笑顔を出るようになりました。が、そこに、父親が帰ってきました。お七は、吉三郎を衣桁(いこう、衣紋掛け)の影に隠します。父親は、産着をどうするかなどさんざん騒いだあと、ようやく、お七の寝所と襖一枚隔てた隣の寝所へ戻りました。お七と吉三郎は、声を出すことができず、灯りの下に硯と紙を置いて、ひと晩中、思いのたけを書き合いましたが、それでも恋心を語り尽くすことができませんでした。

 吉三郎に会う方法がなく、お七は、ついに、風の激しく吹くある日の夕暮れ、寺へ逃げていった世間の騒ぎを思い出し、「また火事があったら吉三郎様に逢うことの種にもなるだろう」と、放火を思い立ちました。煙が少し出ただけで人々は立ち騒ぎ、怪しい出火を注意してみると、煙の中からお七が現れ、お七は包み隠さず話しました。

 放火の罪に問われたお七は、慣例通り、神田のくずれ橋(神田昌平橋)、四谷の札の辻、芝の札の辻、浅草橋、日本橋と引き回されます。覚悟を決めていたお七は、やつれることもなく、以前のように黒髪を結い上げ、美しい姿を見せました。人々は17歳の花の盛りで散らなければならないお七を惜しみますが、どうすることもできません。

 4月のはじめ、いよいよ最期の覚悟を促しても取り乱すことはなく、死出のはなむけの花として咲き遅れの桜をひと枝手渡されると、お七は、「世の哀れ春ふく風に名を残しおくれ桜の今日散し身は」と辞世の句を詠みました。夕暮れ、品川あたりの鈴の森の仕置場で火刑に処されました。

 一方、吉三郎は、お七を思い詰めて病気になり生死の境をさまよっていました。吉三郎の様態をおもんぱかった周りの者たちから、お七は助命になったなどと聞かされていました。四十九日にお七の親類がやって来て、吉三郎に会わせてほしいと申し出ますが、吉三郎の様子を語り、引き取ってもらいます。お七の親類は、せめてと、卒塔婆を立て、供養して帰りました。

 吉三郎は、お七の百カ日に当たる日に、病床から初めて起き上がります。竹の杖を頼りに寺の中を歩いていると、真新しいお七の卒塔婆を見つけました。「気おくれしたように噂されるのも残念だ」と、自害するため腰の刀に手を掛けますが、法師たちに止められます。法師たちから、松前に行っている兄貴分から預かっている吉三郎に自害されるわけにはいかないと説かれ、刀を取り上げられ、監視を付けられてしまいました。

 吉三郎は、兄貴分に面目が立たず、また、舌をかみ切ったり、首を吊ったのでは世間の聞こえがよくないので、どうか刀を貸してほしいと懇願します。お七の親がそれを聞きつけ、お七が最期の時に口にした、「吉三郎様にまことの情があるならば、浮世を捨て、どの宗派でもかまいませぬ、ともかく出家なされて、こうして死んでゆくわたしのあとを弔ってくださるなら、どんなにか嬉しくおもうでしょう。夫婦の縁は二世(にせ)といいますが、そうしていただければその縁は朽ちますまい」との言葉を吉三郎に告げます。

 しかし、吉三郎はそれでも聞き入れず、いよいよと覚悟を定めて舌をかみ切る気配を見せたとき、お七の母親が吉三郎の耳元で何かをささやきました。吉三郎は、「それでは、ともかく」と頷き、自害を思いとどまりました。

 その後、兄貴分も戻り、道理を尽くした意見を言ったので、吉三郎は出家することになりました。剃髪してみると古今まれに見る美僧となりましたが、総じて恋の果てに出家した者は道心堅固なるもの。吉三郎の兄貴分も、故郷の松前に帰り出家したとのこと。男色女色入り乱れての恋であり、あわれで、はかなく、夢、幻である。

八百屋お七物語の読書感想文


 井原西鶴の「好色五人女」に描かれた「八百屋のお七」は、すぐに読み終えることができる短篇でした。しかし、それを原形にするなどして、お七が大火事を起こす「振袖火事」ものや、振袖をまとったお七が火の見櫓に登る歌舞伎や浄瑠璃など、様々な話が創作されていきます。

 井原西鶴が描いたお七は、うぶな少女というよりは、箱入り娘で結果としてうぶではあるのですが恋に関しては奔放で、男性への好奇心も旺盛という印象を受けました。性に関することなどは、西鶴の価値観や、時代背景、浮世草子としての「好色五人女」の作品性なども関わると思いますが、火刑が決まったあとのお七の毅然とした態度から、江戸時代の17歳と、現代の17歳は違うのだなと思いました。

 人々は、お七を憐れみ、お七の死刑を惜しみます。しかし、決まりは決まりで違えることはされませんでした。吉良邸に討ち入った赤穂浪士も人々の同情を集め助命の嘆願が殺到しましたが、結果、決まりを違えることなく、切腹を命じられました。会津藩の家訓ではありませんが、人々が作りだした「ならぬものはならぬ」という社会を成立させるためのルール(といいますか叡知?)を感じました。


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