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ちいさいモモちゃん/松谷みよ子のあらすじと読書感想文

2012年8月30日 竹内みちまろ 参照回数:

ちいさいモモちゃん/松谷みよ子のあらすじ


 「ちいさいモモちゃん」:夏、パパとママの家に、モモちゃんが生まれました。モモちゃんは、ママのおっぱいをたくさん飲んですくすく大きくなりました。ある日、ママが縁側でおむつを替えていると、まっ黒なネコが来て座りました。「ぼくを、このおうちの子にしてくれないかな」と頼みます。捨てられて帰る家がないといいます。ママは、モモちゃんをひっかいたり、かじったりしないようによく言い聞かせて、この家のネコになることを許しました。名前はママが「クー」と付けましたが、モモちゃんが「プー、プー、プーや」と言いましたので、「プー」になりました。

 モモちゃんは、仕事をしているお母さんのために赤ちゃんを預かる「あかちゃんのうち」に、日中は預けられることになりました。モモちゃんが「あかちゃんのうち」に入ると、小さいゾウさんみたいなコウちゃんがやってきて、「あい」と言って、サイダーの栓をくれました。モモちゃんとコウちゃんは仲良しになります。2歳と少しになったモモちゃんは、何を見ても、「あれは?」と聞きます。モモちゃんが「あれは」と聞いたのは、キリの実でした。木のぼりができないママが困っていると、「ぼく、できる!」とプーが叫び、キリの木に駆け上り、かわいい豆がついた枝をひとつ、くわえて持ってきました。モモちゃんが、「プー、つよい。プー」と喜ぶと、プーは「そうさあ、だってぼく、モモちゃんのプーだもん、ね、ママ」と得意顔。ちいさいおばあさんがいつも焼きいもを焼いている「いつもけむりのでているうち」の前で、おばあさんから、おいもと取り替っこしないと言われても、モモちゃんは「やあよ、やあよ、やあよ」と上を向いてしまいます。「あかちゃんのうち」の先生もほしがりましたが、モモちゃんはあげません。モモちゃんは、みんなから「ちょうだい」と言われますが、「コウちゃんに、あげる」と言って、差し出しました。

 「モモちゃんとプー」:ある日、モモちゃんは、自分のちいさなイスをかかえて、家の外についている鉄の階段を上りました。プーの首に白いハンカチを巻き付けて、床屋さんごっこをします。でも、プーは「ぼく床屋さんいや、きらいだよう」と階段を駆け下りてしまいました。「そこで遊んではいけません」とママから叱られたモモちゃんは、「わかったよう」と口をとんがらかして返事をしてから、イスを持ったまま階段を下りようとしました。しかし、イスを持って降りることが怖くて、イスを下へ放り投げました。ママはカンカンに怒って、モモちゃんを押し入れに閉じ込めます。「ごめんなさい、もうしません、ママァー」と泣いても、「プーよう、プーよう、プー」と呼んでも来てくれません。泣き続けて目をこすった時に、モモちゃんは、「あれっ」と思いました。ひどくちいさなネズミがちらちらと光りながら、近づいてきました。モモちゃんは、まっ白な毛皮を着せられて、はつかネズミのお姫さまになってしまいました。……気がつくと、押し入れの中で寝ていたモモちゃんは、プーにぺろぺろ、ほっぺたをなめられていました。

 冬が近いある朝、もうじき赤ちゃんが生まれるお母さんが目を覚ますと、時計が止まっていました。「おねぼうしたんじゃないかしら」と思ったママは、おいも屋のおばあちゃんが持ってきてくれたふかふかのスリッパに足を突っ込み、急いで階段を降りました。が、階段のふちですべって、下まですべり落ち、気を失ってしまいました。−−ママは、なまり色の雲がたれこめている原っぱを、とぼとぼ歩きました。「あかちゃんは死んだのかしら」「死んだんだわ、だって、こんなに暗いもの」などと思ったときに、雲の裂け目からひと筋の光がさし、あかね色に輝く野ばらの実が、きらっと光りました。ママの目から涙があふれました。次の次の日の明け方、アカネちゃんが生まれました。

ちいさいモモちゃん/松谷みよ子の読書感想文


 「ちいさいモモちゃん」と「モモちゃんとプー」は、読み終えて、あかちゃんや幼児の視点というものを思い出しました。3歳になったモモちゃんが水ぼうそうにかかったとき、注射をしても泣かなかったごほうびに、お菓子屋さんで約束のガムを買ってもらえることになりました。ママが、「ガムくださいな。そう、オレンジの十円のね」とがま口を開けると、モモちゃんはびっくりします。「やあん、二十えんのガムよう」と言いますが、「十円のにきめてあるでしょ」とママは取り合ってくれません。モモちゃんは、「二十えんのガムだあ」と泣き続けました。この「びっくり」して、「泣く」気持ちは、かつて、誰にでもあった気持ちではないかと思いました。ママにはママの考えがあるのですが、モモちゃんはそれとは別にモモちゃんの発想で生きています。注射をするときに「モモちゃん、おおきいんだもん。おねえちゃんだもん(だから泣かないよね)」と言われたから、20円のガムに違いないと思います。違いないといいますか、モモちゃんの中では、違うとか違わないとかいう問題ではなく、20円のガムであることが決定していました。それが、「十円のにきめてあるでしょ」というひと言で、否定されてしまいます。子どもにはどうすることもできないのですが、20円のガムを買ってもらえなかったことが悲しいのではなく、20円のガムに決まっていたことが(子どもには理解のできない理屈で)むげに否定された理不尽さが悲しいのではないかと思いました。「ちいさいモモちゃん」には、そんな子どもの発想と視点が散りばめられていて、忘れていたことを思い出させてくれるような作品だと思いました。

 また、生まれたばかりのモモちゃんが少しずつ大きくなり、家の中を歩いたり、家の外に設えられている階段を上ったり、物干しに上がったり、家を出て外を歩いたりするうちに、世界に触れていく場面も印象に残りました。

 「ちいさいモモちゃん」に、仕事で帰りが遅いママに腹を立てて、2歳半のモモちゃんがプーといっしょにママを迎えに外に出てしまう話があります。駅前の通りでママに会っても、モモちゃんの機嫌は直りません。ついに、モモちゃんは駅の中へ駆け込んでしまいました。モモちゃんは、空色の電車に乗って出発してしまいます。電車にはモモちゃんと同じように怒った顔をしている10人ほどの子どもたちが乗っていました。終点の「雲のステーション」に到着すると、ママが恋しくなり、泣きだしてしまいます。涙で雲がとけて、底が抜け落ち、ママに抱きとめられるのですが、「雲のステーション」とは何なのだろうと思いました。

 モモちゃんが大きくなって、行動範囲が広がった「モモちゃんとプー」になると、モモちゃんは、より大きな世界へ飛び出すことになります。同時に、境界とでもいうべき場所や、ときにその向こう側に広がる異世界とでもいうべき場所に足を踏み入れることもあります。最も象徴的なのは、影をなめられたら3日のうちに死ぬというまっ黒な存在「ウシオニ」ではないかと思います。モモちゃんは、ウシオニになめられて、影を飲み込まれてしまうのですが、影を失ったモモちゃんは、抜け殻のような体だけが残ります。ママが黒い風のように去っていったウシオニを追いかけます。ママがモモちゃんの影を取り戻し、パパが影をぺろっとなめてモモちゃんの足にはりつけることで、ことなきをえて、最後は、めでたし、めでたしとなるのですが、いったいウシオニとは何なのだろう、また、ママが迷い込んだ世界は何なのだろうと思いました(ママは階段から落ちたときも暗い原っぱに迷い込みました)。しかし、そういった何なのだろうという疑問は残るのですが、思わず納得してしまう説得力があります。ほかにも、物干しへのぼってはいけないと言われていたモモちゃんが物干しにのぼると涼しい風が吹き、そこでプーがつかまえた、どうしても月の場所まで行ってみたくなったという雨戸格子の中に住んでいるコウモリに会ったりします。

 大人になると忙しくなり気にもとめなくなったり、いろいろな知恵がついて見えなくなったりすることがあるのですが、「ちいさいモモちゃん」を読み終えて、子どもが見て、感じる世界というものは、自然や命の存在のありのままの姿なのかもしれないと思いました。


→ ふたりのイーダ/松谷みよ子のあらすじと読書感想文


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