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橋づくし/三島由紀夫のあらすじと読書感想文

2011年2月6日 竹内みちまろ 参照回数:

 「橋づくし」(三島由紀夫)という作品のあらすじと読書感想文です。「橋づくし」は、短編集となっている新潮文庫の「花ざかりの森・憂国」に収録されています。一般の知名度は低いかもしれませんが、コアなファンや研究者の間では極めて評価の高い作品です。

 「橋づくし」の冒頭の段落を引用します。

「陰暦八月十五日の夜、十一時半にお座敷が引けると、小弓(こゆみ)とかな子は、銀座板甚道(いたじんみち)の分桂家(わけかつらや)へかえって、いそいで浴衣(ゆかた)に着かえた。ほんとうは風呂(ふろ)に行きたいのだが、今夜はその時間がない」

 陰暦八月十五日の夜は、いうまでもなく、中秋の名月。かぐや姫が月に帰る満月の夜です。ちなみに、2011年の中秋の名月の日は、9月12日。

 「橋づくし」は、4人の女性が願掛けをしながら7つの橋を渡る道程を描いた作品です。本文中、「月が望みを叶(かな)えてくれなかったら、それは月のほうがまちがっている」『まあ、お嬢さん、粋(いき)ねえ。黒塗りの爪紅(つまべに)なんて、お月さまでもほだされる』「気がつくと、あれほどあきらかだった月が雲に隠れて、半透明になっている」など、月や月明かりに関する描写がふんだんに盛り込まれています。

 「橋づくし」の時代設定は、22歳の女性二人が「爪紅」という言葉を使った42歳の女性をからかい、からかわれた女性が「知ってるわよ。マネキンとか云うんでしょ、それ」とやりかえすころ。寝静まった銀座の街から見上げるのは、『晴れてよかったわね。本当に兎(うさぎ)のいそうな月』。

 4人の行動には、「今夜の願事(ねぎごと)はお互いに言ってはならない」『家を出てから、七つの橋を渡りきるまで、絶対に口をきいちゃだめ』『いい橋を選(よ)っといてくれた?』(=橋の選択は自由か)「一度知り人から話しかけられたら、願(がん)はすでに破れたのである」などと、細かなルールがあるようです。

 また、正確には4人が渡る橋は6つなのですが三方向に分かれている橋を2回と勘定します。それぞれ渡る前と渡ったあと、合計14回、手を合わせてお祈りをします。

 「橋づくし」は3人称で書かれています。「橋づくし」の語り手は、中秋の名月の夜に7つの橋を渡ると願い事がかなうという風習については、何の説明もしません。「橋づくし」の冒頭で、男女が橋を渡りながら死出の旅へたつ『天の網島・名ごりの橋づくし』から、プロローグ的に一節が引用されているだけです。しかし、4人の行動や細かなルールを追っていくうちに、読者はいつのまにかそういった風習があることをすり込まれていきます。語られる文章はどこか報道の文章に似たともいえる小気味よいリズムを持っています。「橋づくし」の語り手は、「この三人の願いは、傍(はた)から見ても、それぞれ筋が通っている。公明正大な望みというべきである」と、3人称の語り手なのにいきなり「べき」論を持ち出して主観を展開し、あげくに、「三人の願いは簡明で、正直に顔に出ていて、実に人間らしい願望だから、月下の道を歩く三人を見れば、月はいやでもそれを見抜いて、叶えてやろういう気になるにちがいない」と熱を入れて大仰に語り(というか主観的、あるいは、願望的な持論)を展開します。それでいて、一行が一つずつ橋を渡りながら知り合いから声を掛けられるなどの出来事に遭遇するうちに、いつのまにか、登場人物たちやその行動から距離をとって、読者に作品世界の中の出来事をどこか曇りガラスの向こう側にある風景のような見せ方をします。ラストシーンで1人の女性が持っていき場のない憂鬱さを皮膚感覚の中で感じている様子を描写するなど、「橋づくし」は読み応えじゅうぶんな作品です。

 また、「橋づくし」には「憂国」の主人公である自決した男のような人物は登場しませんが、「橋づくし」に登場する女性たちは月明かりの明暗を感じたり、小指をからませて歩くような大の仲良しのくせに相方が途中で抜けてしまうと「落伍(らくご)した者は、これから先自分とはちがう道を辿(たど)るほかはないという、冷酷な感慨」が浮かんだりします。女性たちの描き方も、訪問先の座敷の勝手で食事を無心することにより置き屋に納める食費が浮いているなど生理現象としての(というか何らかの精神的な不安定さに起因すると想像できる)空腹感や金銭的現実性を持ち出したり、風情のない橋にも潮の匂いを感じて海を感じさせたり、3人の願いがそれぞれ、”金がほしい””旦那がほしい””映画俳優のRと結婚したい”というものであったします。

 「橋づくし」のストーリー展開に注目すると、最後の最後で、警察官から不審者と思われて追いかけられてしまった満佐子(願が破れた)は、男のあとを追って自刃した「憂国」のもう1人の主人公である女性に、どこか似ていると思いました。また、最後まで口をきかずにただ1人14回の祈りを成し遂げた満佐子の家の使用人である”みな”は心理描写をされずに橋を渡っているうちに満佐子にとって未知の存在となり満佐子もそれを本能的に感じているという展開が、「憂国」の女性が自刃するときに未知なるものを感じるという結末の作り方に似ていると思いました。さらにもう一ついうならば、ラストシーンにたどり着くまでは、語り手は、いちいち、ここの風景はきれいなのですよ、このときの満佐子はこんな気持ちになっていたのですよ、満佐子の気持ちはこうでそれは価値観としては妥当なのですよ、などと、いちいち読者に口を挟ませないでおいて、現象を客観的に描くという範疇を超えて「語り手」が半ば勝手に持論を展開してきたのですが、最後の場面だけ、違和感に落ち着かせる先を見出せないいまま放置された満佐子の様子を、価値判断なしに、提示するだけにとどめていました。結果として、読者は、解釈や味わいを自分で探すはめになります。ひらたくいいますと、読者にゆだねられたということになると思いますが、鮮やかだと思いました。

 また、「橋づくし」の「語り手」が、「冷酷な」という形容詞をそのまんまさらりと使っているところも、おもしろかったです。冷酷さを表現するために「冷酷」という言葉を使ってしまったらある意味終わりですし、「美しい」という言葉を使わずに「美しさ」を表現することが文学であるという伝統的な考え方は今でも根強いと思います。しかし、三島由紀夫は、さらりと、「冷酷な」という言葉を使っていました。

 また、1人が脱落したあと、3人は無事に入船橋を渡ります。川の向こうに「聖路加病院の壮大な建築」が見えてきたときです。「語り手」はそれまでは読者を迷わせるような語り方はしてこなかったくせに、突然、「それは半透明の月かげに照らされて、鬱然(うつぜん)と見えた」などと語り始めます。直後に、病院の建物の金の十字架が赤く照らし出されている様子や、闇に包まれているのですが病院の背後にある会堂の「ゴシック風の薔薇窓(ばらまど)が見える様子が描かれています。しかし、病院が「鬱然と見えた」のはわかるのですが、誰にそう見えたのかというと、それは語り手にとってそう見えただけであるような気がしました。価値観は多様ですので、同じ風景を見ても、ある人には「鬱然」としていても、別の人にはそうぜんと見えるかもしれません。また、第5の橋である暁橋は、「毒々しいほど白い柱」「奇抜な形にコンクリートで築いた柱」などと描写されますが、登場人物がそう思ったのではなくて、たんい語り手が「毒々しい」「奇抜な」と、客観的現象として、もしくは、作品世界の中の現実として、そう語っているだけです。

 リアリズムといいますか、読者としましては、「橋づくし」という作品は、客観的に提示された情報をたよりに自分自身の感性や思想を動員して作品世界を歩くというよりは、「橋づくし」は、価値観すらをあらかじめに付与された世界が用意され、その中で、ストーリーを提示された作品として読む(読ませる)タイプの作品なのかなと思いました。どこをどう操作すれば人間の心を(ある意味では)支配できるのかという発想で、三島由紀夫は、「橋づくし」という作品を書いたのでしょうか。「美しさ」を「美しい」という言葉を使わずに表現することが目的ではなくて、たとえば「美しい」という言葉をストレートに「美しい」と使うことを手段としてストーリーを読ませ、そのストーリーを手段として何かを表現することを、三島由紀夫はもくろんでいるのかもしれません。突きつめてしまえば、好き嫌いですが、「橋づくし」は、ストーリーもの全盛、といいますか、(いい悪いは別にして)ストーリーもののエンターテイメントしか受けない現代にも通じる作品かもしれないと思いました。

 ながながと書いてしまいましたが、「橋づくし」は、読みごたえがある作品です。読書感想文の最後に、4人がたどる道程をメモしておこうと思います。今とは違った風景なのかもしれませんが、いつか、できれば中秋の名月の夜に、文学散歩してみたいです。

【橋づくしコース】

(0)十一時半に小弓(42歳)とかな子(22歳)のお座敷が引ける

(1)小弓とかな子、銀座板甚道の分桂家で浴衣に着替える

(2)小弓とかな子、寝静まった銀座を、新橋の「米井(一流料亭、満佐子は箱入り娘)」へ歩く

(3)4人出発、満佐子=伊勢田の黒塗りの下駄、みな=妙なありあわせの浴衣地のワンピースに引っかき回したようなパーマネント

(4)月下の昭和通り、自動車屋の駐車場に多くのハイヤーが停車、黒塗りの車体に月光が流れる、昭和通りにオート三輪など車は走っているが、街は寝静まっている

(5)東銀座1丁目と2丁目の境で昭和通りを細い道へ向け右折、月光はビルに遮られる

(6)程なく、三吉橋に到着(三つ叉)、欄干低し、三つ叉の中央の三角形の各角に古雅なすずらん灯(4灯式、消えている灯の磨ガラスが月明かりに照らされ真っ白に見える、川水は月明かりに擾(みだ)されている)がたつ、向こう岸に中央区役所の陰気なビル

(7)4人、渡る前、中央で橋が三つ叉になっている個所でそれぞれの方向へむけて2回、渡ったあと(区役所前)、合計4回手を合わせる

(8)川沿いを南下、築地から桜橋へ向かう都電通りに出る

(9)築地橋に到着、袂に忠実に柳が植えてある

(10)築地橋の柳の下で、桜橋方向へ手を合わせる

(11)築地橋は風情のない橋、が、潮の匂いを感じる、川下に生命保険会社の赤いネオン

(12)電車通りを渡る、S興行の古い黄色のビル川との間の道で、かな子に異変

(13)入船橋の目の前で、かな子脱落、かな子が電車通りへ向けて駆け出す、下駄の音がビルに反響、電車通りの角の所で折よくタクシーがひっそり止まる

(14)入船橋到着、橋詰めの低い石柱に鉄板で入船橋の名が、向こう岸にはカルテックスのガソリンスタンド

築地橋を渡ったときと逆方向へ渡る

(15)川の橋のかげになっている場所に、桟橋の上に立てた錯雑した小屋(植木鉢を置き、屋形船・なわ船・つり船・あみ船の看板を掲げている

(16)川は入船橋の先で、ほとんど直角に右折、第5の橋・暁橋まで川沿いの道をだいぶ歩く

(17)川沿いには、右側に料亭が多い、左側には工事用の石や砂利や砂がそこかしこに積んである。

(18)やがて、左に、川むこうの聖路加病院の壮大な建築が見える。病院の背後には会堂、雨粒を感じるが雨はそれ以上は激しくなる気配なし

(19)暁橋、奇抜な形のコンクリートの柱が、毒々しいほど白い(塗装のため)

(20)袂で手を合わせるとき、満佐子が橋の上で裸で通されている鉄管につまずいて転びそうになる、橋を渡れば聖路加病院の車回し

(21)橋の上で、小田原町の風呂屋の帰りの女性が小弓に「まあしばらくね」と話し掛ける、小弓脱落

(21)第6の橋は、緑に塗った鉄板を張っただけの小さな境橋

(22)満佐子は、先達の小弓に道順を従っていたため最後の橋がどこかを知らないが、道沿いに進めばいずれ暁橋に並行する橋があることをわかっている

(23)小田原町の外れの問屋の倉庫が並んでいる所で工場場のバラックが川の眺めを遮っている、再び、雨粒がほほを打つ

(24)橋詰めの小公園の砂場を点々と雨粒がうがっているのが、街灯の明かりの直下に見る、三味線の箱みたいな形のコンクリートの柱に「備前橋」

(25)川向こうの左側に築地本願寺、同じ道を戻らないためには備前橋を渡り築地へ出て東劇から演舞場の前を通って家へ帰る

(26)満佐子、願が成る安堵の気持ちを持って袂で手を合わせる、横目でうかがると「みな」も手を合わせている、美佐子は心を乱す

(27)満佐子、パトロール中の警察官に声を掛けられる、投身自殺を疑われたよう

(28)満佐子、橋を渡ってから事情を説明することにして、警察官の手を振りほどき駆け出すも橋の中ほどでつかまり「逃げる気か」と聞かれ言葉を返す、満佐子の願が破れる、痛恨の目つきで、すでに橋を渡り終えたみなが14回目の祈念を凝らす様子を見る

(29)家に帰り着いた満佐子は、母に泣いて訴え、母はわけがわからないまま、みなを叱る。みなは、何を祈ったのか聞かれも、にやにや笑うばかり


→ 憂国/三島由紀夫のあらすじと読書感想文


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