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獣の奏者/上橋菜穂子の読書感想文

2017年1月13日 竹内みちまろ 参照回数:

 「獣の奏者」は読み終えて色々なことを考えましたが、今回は、エリンの内面の変化について書いてみたいと思います。

 エリンは、「降臨の野(タハイ・アゼ)」でリランと飛ぶ場面で終わる「U王獣編」までは、ひたすら母であるソヨンの心を探していたように思えました。

 ラゴゥ沼に落とされたソヨンの心情については「深い傷を負っている自分が助かる望みは、最初からなかった」と記されています。また、「闘蛇の裁き」に掛けられる以前に、「牙」を死なせることを選んだ時点で、ソヨンは自分の命は捨てていたのかもしれません。ソヨンにとっては、戒律を守ることは命よりも大切なことだったのだと思います。また、ヨハルがラーザにさらわれた闘蛇衆が秘密を漏らさないために「闘蛇衆として、自害してくれていればいいが」と危惧していましたが、「獣の奏者」の世界では、人々にとっては自らの命よりも秘密を守ることが大切だと考えられていたのかもしれません。

 エリンは、野性の王獣が雛を襲いに来た闘蛇を引き裂く様子を見ます。エリンは、王獣がソヨンが吹いた指笛と同じような音を出して闘蛇を硬直させていたことから、ソヨンがラゴゥ沼で指笛を吹いて闘蛇を操ったことに気が付きます。

 エリンは、闘蛇を操ることがなぜ、たとえ娘を助けるためであっても一瞬躊躇させるほどの「大罪」なのか、闘蛇を操ることができたのならなぜソヨンは自分と一緒に生きてくれることよりも死を選んだのか、そして、王獣が雛を慈しむように抱く姿を見て、「あの王獣は我が子を救うために闘蛇を操ることを、天の上で、ためらっただろうか」と思います。「ためらっただろうか」という記述は反語で、エリンは心の中で、(母親だったら我が子を救うために一瞬たりともためらいはしない)という思いがあったのかもしれません。

 エリンの心は「母に訊いてみたいことが、山ほどある。母はたくさんの謎の答えを教えてくれぬまま、逝ってしまった」、「母が残していった言葉の意味を――母がなぜああいうことをしたのかを知りたかった。それができたら、きっと、冷たい疑いの欠片に邪魔されることなく、まっすぐに母を思うことができる……」と描写されています。

 「降臨の野」にリランと共に向かう途中、エリンは祖母(=ソヨンの母)に会います。エリンは、一緒に一族のところへ行こう、さもなくばお前は「大罪」を犯さなければならなくなるのだろうという祖母の申し出は、「わたしは、そんなふうに罪という言葉で人を縛るやり方が大嫌いです」と、心を動かされることなく拒みました。しかし、1人になると、心の中で、ソヨンに「あなたは、わたしがこんな人間に育ったことを、哀しむだろうか」と話し掛けます。

 ソヨンが何も語らずに死んでしまったので当たり前のことですが、エリンはついに最後までソヨンの心を知ることはできませんでした。

 そんなエリンですが、「V探求編」が始まり、闘蛇村での「牙」の大量死を調べるうちに、闘蛇衆が闘蛇は人の手で増やすことができることを知ってしまわないために、ソヨンが自らの命を捨てたことに気が付きます。

 エリンは、ソヨンが自分を生んでしまったために、闘蛇をゆがませながらもアケ村で生きる道を選んだのだろうかと疑問します。「毎日毎日、あの冷たい<イケ>につかりながら、母は、なにを思っていたのだろう。戒律に疑問を抱くことは、なかったのだろうか?」と思います。しかし、ソヨンが岩屋で「牙」の死体に頭を下げていた様子を思い出し、ソヨンが闘蛇に謝っていたのだろうと思い、「母は、そういう人だったのだ」と思います。

 続けて、「わたしは……どうする?」と自らに問い掛けていました。そして、「……生き物の身体をゆがめて、子どもをつくれなくするような薬は、与えられない」、「それだけは、けっしてできない」と決意していました。

 それからのエリンは、特滋水が闘蛇や王獣の繁殖を妨げていることをヨハルに教えたり、自ら王獣部隊を作って、王獣を飛ばしたりします。特滋水で王獣や闘蛇の生理をゆがめることへの嫌悪感や、何の知識も真実も伝えずに戒律や恐怖だけで人を縛ろうとするやり方への嫌悪感(=自分たちだけが知っていて「ただ言うとおりにしろ」と命令する人たちへの嫌悪感)もあったでしょうし、人も獣もあるがままの姿で生きられるようにしたいという願い(=王獣を野に帰したいという願い)や、自分が少女のころに開けてしまった扉を閉じる足がかりを残したいという願いもあったかもしれません。

 そんなエリンの姿を追う内に、「V探求編」以降では、エリンは、ソヨンの心を思うことが「U王獣編」までと比べて減っていると思いました。

 なぜ、エリンはソヨンを思わなくなったのだろうと考えてみました。「大罪」について知るようになったからかもしれませんし、アケ村での「牙」の大量死の真相を知ったからかもしれません。

 ただ、ソヨンがラゴゥ沼で一瞬指笛を吹くことをためらったことに対しては、「大罪」について理解したとしても、「王獣なら一瞬でもためらうようなことはしない」と思っているエリンには、心に暗い影を残すのではないかと思いました。

 しかし、エリンは、「V探求編」以降では、ソヨンがラゴゥ沼で一瞬指笛を吹くことをためらったことに対しては、こだわりを持っていないように感じました。

 エリンがそこまで強くなった背景には何があるのだろうと思いました。

 エリンが愛する人と結ばれて、子どもを生み、母親になったからかもしれないと思いました。

 「残った人々の谷間」を探すために神々の山脈へ行こうとしたエリンに、イアルは「おまえは、ジェシを母無し子にするつもりか」、「おまえにとって、一番大切なものは、なんだ?」と怒りをぶつけた場面で、エリンは心の中で「わたしが、なにをいちばん大切に思っているかなんて、よくわかっているくせに……」とつぶやきます。神々の山脈に行こうとしたエリンの心には、このままでは自分のせいでジェシもイアルも一生を檻の中で暮らすことになってしまう、神々の山脈へ行く途中で自分が死んでもジェシとイアルは自由になることができる、などという思いがありました。エリンにとって大切なものはジェシであり、イアルでした。

 「獣の奏者」には、王獣の親離れについての記載もありましたが、エリンは愛する人と結ばれて自らが母親になったことで、ソヨンへの思いから離れることができたのかもしれないと思いました。


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