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ミニシアター通信 > あらすじ&読書感想文2 > ノルウェイの森/グレート・ギャツビー

「ノルウェイの森」と「グレート・ギャツビー」の類似点について

2013年3月27日 竹内みちまろ 参照回数:

 「グレート・ギャツビー」(スコット・フィッツジェラルド/村上春樹訳)を読みました。訳者あとがきで、村上春樹さんが、「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、「グレート・ギャツビー」「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)「ロング・グッドバイ」(レイモンド・チャンドラー)をあげ、その中で一冊と言われたら、「グレート・ギャツビー」をあげると書いていました。

 村上さん訳の「グレート・ギャツビー」を読み終えて、「ノルウェイの森」に似ているなと思いました。せっかくなので、「ノルウェイの森」と「グレート・ギャツビー」の類似点をメモしておきたいと思います。

 「グレート・ギャツビー」は、戦争から帰って来た西部出身の29歳の「僕」が、東部でギャツビーと出会う物語です。「僕」は作中で30歳になり、ギャツビーは事件に巻き込まれて射殺されてしまいました。

類似点その1:回想という語り方


 「ノルウェイの森」は、37歳の「僕」が、19歳から20歳だったころを回想する物語です。自殺した同級生・直子は、37歳の「僕」にとっては、顔すらも思い出しにくくなっている存在でした。しかし、それでも「僕」は、必死に、直子を理解しようと思い、そして、今だから初めて理解できるのではとも思います。回想の中の「僕」は、20歳になり、もう子どもじゃないんだ、大人になると決意したんだと言い聞かせていましたが、37歳の「僕」は、「直子に関する記憶が僕の中で薄らいでいけばいくほど、僕はより深く彼女を理解することができるようになったと思う」とも語っています。

 「グレート・ギャツビー」も、ギャツビーと過ごしたひと夏を、2年後の「僕」が回想する物語でした。2年後の段階では、「ギャツビーのことを考えようとしばし努めたのだが、彼はもう既に遠いところに去っていた」とあります。同時に、「ずいぶんあとになるまで、これらの出来事(=慌ただしい夏の日々に起こった行きずりの挿話)をとくに意味のあるものとは考えなかった」とも記しています。また、2年後に考えてみると、「結局のところ、僕がここで語ってきたのは西部の物語であったのだと、今は考えている」とあります。「僕」も、ギャツビーも、その他の人物たちも、西部からやってきて、どこか東部の生活に馴染めないところがありました。

類似点その2:「僕」の物語は語られない


 「ノルウェイの森」は、直子から言われた「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて」という言葉を守るために、「何ごとによらず文章にして書いてみないことには物事をうまく理解できない」タイプの「僕」が、回想を書き起こす物語です。しかし、直子や出会った人たちのことは語られますが、大学生だった当時の「僕」自身の物語はほとんど語られません。また、37歳の「僕」が飛行機の機内でビートルズの「ノルウェイの森」を聞いて取り乱した際、頭をよぎった「失われた時間」「死にあるいは去っていった人々」「もう戻ることのない想い」などの「これまでの人生の過程で失ってきた多くのもののこと」についても、本編で語られる直子などの物語を除くと、何も語られません。

 「グレート・ギャツビー」では、「僕」は、再従弟の子であるデイジーから、「西部にいる女性と、あなたが婚約したっていう話を聞いたんだけど、それは本当?」と聞かれる場面があります。婚約はしていないのですが、うわさがたった女性はいて、「僕」は、「故郷に残してきたしがらみをまずきれいにしておかなくてはならない、ということも承知して」おり、また、「僕は週に一度はその娘に手紙を書いていたし、末美には『ラブ、ニック』と記してい」ました。ただ、「その娘」とは誰なのか、どんな関係なのか、故郷に残してきたしがらみとは何なのかは、語られません。「僕」は、ギャツビーの話に耳を傾けながら、「ずっと何かを思い出しかけていた。捉えがたい韻律、失われた言葉の断片。遥か昔、僕はどこかでそれを耳にしたことがあった。ひとつの台詞が口の中でかたちをとろうとして」「あえいでいた。しかし結局声にはならなかった。思い出しかけていたものは意味のつてを失い、そのままどこかに消えてしまった。永遠に」と語ります。しかし、ここでも、声になりそうな寸前までいった「ひとつの台詞」が何なのかは、結局、語られませんでした。

類似点その3:直子も、ギャツビーも、何かを希求している


 「ノルウェイの森」の直子は、いろいろな思いが「頭の中でぐるぐるとまわってい」ます。直子は、「抱えている問題」を解決するために、「正確な言葉を探し求めながらとてもゆっくりと話す」女性でした。直子は、高校生の頃に起きた恋人のキズキの自殺で、心の中に何かが起きていました。直子は、「いつももう一人の私(=直子)が抱えて」いる「ちゃんとした言葉」を「虚空の中に」「探し求めつづけ」ていると「僕」に話していました。

 「グレート・ギャツビー」でも、「過去を再現できないって!」「できないわけがないじゃないか!」と叫ぶギャツビーに触れた「僕」が、「この男は何かを回復したがっているのだ」と語る場面があります。「僕」にとって、ギャツビーは、「デイジーと恋に落ちることで、その理念は失われてしまった。彼の人生はその後混乱をきたし、秩序をなくしてしまった。しかしもう一度しかるべき出発点に戻って、すべてを注意深くやり直せば、きっと見いだせるはずだ。それがいかなるものであったかを……」と希求する人物に見えました。

類似点その4:「僕」は時計の針を進めようと、もがきながら生きている、そして、大人になる決意をしている


 「ノルウェイの森」の「僕」が、「正確な言葉」を探す直子といっしょに東京の街を歩く場面があります。直子から「二、三歩」後ろにさがって、「僕」は、昼下がりから夜になるまで歩いたりします。また、直子のアパートを訪れたり、京都の施設に入所した直子に会いに行ったり、手紙を書いたり、「もしよかったら二人で暮らさないか?」と提案したりします。

 また、「僕は、自殺した同級生のキズキに、「おいキズキ」と心の中で語りかけます。「お前と違って俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ」「俺は今よりももっと強くなる。そして成熟する。大人になるんだよ」「俺はもう十代の少年じゃないんだよ」「俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ」など。

 「グレート・ギャツビー」の「僕」は回想の中で、30歳になっていました。「三十歳――それが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。情熱を詰めた書類鞄は次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう」と語っています。また、ギャツビーがデイジーから電話がかかってくることを期待していなくて、同時に、かかってきてもこなくてもどちらでも構わないという気持ちになっていたのではと想像する場面では、「僕」は、ギャツビーについて、「もしそうだとしたら、かつての温もりを持った世界が既に失われてしまったことを、彼(=ギャツビー)は悟っていたに違いない。たったひとつの夢を胸に長く生きすぎたおかげで、ずいぶん高い代償を支払わなくてはならなかったと実感しているはずだ」と語ります。そして、ラストでは、「ギャツビーは緑いの灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を」「だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも」と語っています。

 ***

 「ノルウェイの森」も、「グレート・ギャツビー」も、読み応えのある作品です。若いころに読んだこともあるのですが、大人になってから読み返すと、まったく新しい発見があり、ますます、魅力に取りつかれます。

 どちらの本も、これからも、何回も読むと思います。


→ グレート・ギャツビー/フィッツジェラルド/村上春樹訳のあらすじと読書感想文


→ 「ノルウェイの森」のあらすじと読書感想文


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