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無明長夜/吉田知子あらすじと読書感想文

2010年5月19日 竹内みちまろ 参照回数:

 「無明長夜」(吉田知子/むみょうちょうや/よしだ・ともこ)を読みました。手元にあるのは一九七〇年発行の新潮社ハードカバー「無明長夜」です。定価は五五〇円。「無明長夜」を含めて七作品を収録。巻末には「収録作品発表誌年月」の一覧が掲載されていました。収録誌だけをピックアップすると、「新潮」、「ゴム7号」、「紅炉11号」、「ゴム8号」、「文学界」、「早稲田文学」、「新潮」となっていました。「ゴム」と「紅炉」は文芸同人誌でしょうか。

 作品「無明長夜」を読み始めて思ったのは、まず日本語がうまいということでした。いわゆる観念的と呼ばれる作品だと思うのですが、すらすらと読めて、文字をたどっているだけで、詩が生まれてくるような気がしました。「無明長夜」は冒頭から「私」による語りであることがわかる構成で、最初に「私」の人物像を読者へ語っておいて、その後は、ひたすら、「私」による観念世界が展開されます。どんどん小説世界に引き込まれていきました。読了後にページをめくってみれば、序盤から中盤にかけて、「私の内部の、私とは別のところにいる生きものが生理的な涙を排泄していました」(原文は「生理的」と「排泄」に傍点あり)、「見えなかったものが急に見えるようになった、という妙に頼りない気がしました」、「――そこまで考えついたとき、私は自分が手袋を脱ぐときのように、くるりと裏がえしになるのを感じました」など、もしかしたら読者を導くための記述なのかもしれないと思われる文がありました。しかし、読んでいる最中はただ「私」の一人語りによる観念世界に引き込まれていました。ラストの村の子どもたちから遠慮を知らない言葉ではやし立てられながらも、「裸が透けて見えるアメリカ製のナイロンのネグリジェを着て」、「金色の光を浴びながら天女の羽のような薄い布をピラピラと振って彼らの歓呼の声に応じました」という場面は、もう、現実なのか、夢なのか、何がなんだかわからなくなって、ただ、言葉に圧倒されました。

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 作品「無明長夜」を読み終えて、帯に記載されていた三島由紀夫の評を読みました。「夢と現実が等価のものになる分裂症の病理学的分析もたしかなら、文章もたしかで、詩が横溢(おういつ)している」と記されていました。そうか、主人公の「私」は「分裂病」なのかと、ようやく、すとんと落ちました。三島由紀夫は「異常な才能である」という言葉で評を締めていました。「分裂病」という言葉を使わずに、いや読み終えてすらも、それが「分裂病」であったことが理解できずに、もう何がなんだかわからないほどの状態に言葉の力で陥りました。ちなみに、作品「無明長夜」の中では、「分裂病」という言葉は使われていません。三島由紀夫が選評の中で使っているだけです。今に思えば、「無明長夜」もすごかったのですが、作品のほぼすべてを短い文字数で語ってしまっているように思える三島由紀夫の評もすごいような気がしてきました。みちまろはまだまだ読書量が圧倒的に足らないようです。

 単行本「無明長夜」に収録されていた作品の感想メモも書いておきたいと思います。

 「寓話」は、「芸術家」と「批評家」が交錯する物語だと思いました。「芸術家」と「批評家」の関係というものはいつの時代にもあったのだろうかと思いました。けっきょくなんなのか、どうなったのか、その最後の秘密を語っていないところが秀逸だと思いました。

 「豊原」は重かったです。一九四七年の樺太。朝に起きたら隣で母親が死んでいた少年の物語です。枕元にはとうてい一人では持ち運ぶことができない引き揚げのための荷物が置かれています。「僕」は、母が死んでいるのを知って「わざとその日を選んだのだとしか思われなかった」ことが書かれています。「母が僕に無関心になったおかげで僕は初めて仲のよい友達ができた」というふうな形式で語られる回想を、(語り手としての)大人の観察ととるか、大人にならざるをえない(たぶん旧制の)中学生の言葉ととるかで印象は変わると思いますが、いずれにせよ、厳しい現実が詩的に語られる佳作だと思いました。

 「海へ」は、いつになったら『内地』へ帰ることができるのかと絶望にくれる人々のデッサンでした。当初は、明日になれば引き揚げ船が出ると安心していたのですが、三日がたち、一週間がたち、二週間がたつうちに、最初はまずくて窓から捨てていたスープをみんな飲むようになり、赤ちゃんが息をしなくなり、子どもが「死んじゃうよう、喉がかわいたよう」と叫んでも母親は何も言わなくなります。冬になれば海が荒れて、今よりも引き揚げ船は出なくなる。そんな光景が描かれていました。

 「静かな夏」は、読み始めてすぐに、ただ事ではない空気が流れていることがわかりました。ラスト・シーンで描かれる、日常を生きる人間の中に確実に浸食していく確かな狂気の存在が鮮やかでした。

 「終りのない夜」は、どこか精神を病んでいる「私」の物語。謎の老婆と出会い、気がついたら、自分で自分の両手をにぎりながら、「私はとうとう、まっさかさまになり、そして、栓が抜けるときのかすかな音がして、すぽんと抜けでてしまった」という物語。ストーリーはいらない、純文学は(病的なまでの)「こだわり」を描くものだと主張するような作品だと思いました。「無明長夜」へと続くひとつの断片なのかもしれません。

 「歯」は、一行目から「夜なか、彼女の家の前を幼児が泣きながら歩いていく」というものでした。どこか、異常性が感じられます。読み進めると、部屋の中に一つ目小僧がいたり、足もとを誰かが走りまわっているために目を覚ましたり、水道からカニババが出たので家の中で誰かが死ぬと言われ胴体を渾身の力をこめて押さえたら、しなびた白菜だったりと、「静かな夏」や「終りのない夜」から引き続く独特の世界が描かれていました。

 単行本「無明長夜」は、収録作品の順番は、作品の発表順になっています。未収録の作品もあるかもしれませんし、完成したものから時間軸にそって発表されていったわけではない可能性はありますが、単行本「無明長夜」収録作品の中では、「歯」は、「無明長夜」の直前に「早稲田文学」にて発表されたようです。単行本「無明長夜」は、「無明長夜」という一つの作品へ向かう、一人の作家の旅なのかもしれないと思いました。


→ 父の墓/吉田知子あらすじと読書感想文


→ 日本難民/吉田知子あらすじと読書感想文


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