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山椒魚/井伏鱒二あらすじと読書感想文

2011年9月1日 竹内みちまろ 参照回数:

山椒魚/井伏鱒二のあらすじ


 山椒魚が岩屋から外に出ようとすると、2年間の成長で頭が出口につっかえ、出られなくなっていた。岩屋の中は泳ぎ回るには狭く、山椒魚は「俺にも相当の考えがあるんだ」と決心するも、何ひとつ考えは浮かばなかった。

 山椒魚は出口に顔をつけて外を眺めることを好んだ。先頭の一匹に続いて皆が方向転換するメダカを見て、仲間から自由になって泳ぐことができないと感じ「なんという不自由千万は奴らであろう!」と嘲笑してしまった。岩屋に紛れ込んできた小エビは、山椒魚を岩だと思ったようで、山椒魚の腹にすがりついた。山椒魚は得意げに「くったくしたり物思いに耽ったりするやつは莫迦だよ」と口にし、岩屋から出る決心をして出口に突進するも、穴に強くはまりこんでしまい、もとの岩屋の中に身を引き抜くにもたいへんな苦労となった。小エビは、山椒魚を見て、失笑してしまった。

 山椒魚の目から「ああ神様!」と涙が出た。岩屋の外で水すましやカエルが動き回るさまを見て山椒魚は感動するが、自分を感動させるものから目を背けた方がいいことに気がついた。山椒魚は、まぶたを閉じ、開こうとしなかった。

 よくない性質を帯びてきたらしい山椒魚は、ある日、岩屋に紛れ込んできたカエルを、出口に頭で栓をすることで出られなくした。山椒魚は、カエルを自分と同じ状態に置くことができることが痛快だった。「一生涯ここに閉じ込めてやる!」。2年がたち、カエルは嘆息をもらした。山椒魚は「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか?」と訪ね、もう空腹で動くことができないというカエルは「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」と答えた。

山椒魚/井伏鱒二の読書感想文


 内容に関しては、多くの方が、多くの感想を持たれると思います。なので、今回は、文体について書いてみたいと思います。

 読み終えて、太宰治の文体に似ているなと思いました。「メロスは激怒した。」で始まる『走れメロス』を書いた太宰治です。井伏と太宰は交友があり、太宰の文体が井伏の文体に似ているのかもしれません。

 また、太宰の文体と似ているのと同様に、山崎ナオコーラの文体とも似ていると思いました。『人のセックスを笑うな』で「もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやって欲しい」と書いた山崎ナオコーラです。『山椒魚』の以下の記述を読んだときに、『人のセックスを笑うな』が思い浮かびました。

「――どうか諸君に再びお願いがある。山椒魚がかかる常識に没頭することを軽蔑しないでいただきたい。牢獄の見張人といえども、よほど気難しい時でなくては、終身懲役の囚人が徒らに嘆息をもらしたからといって叱りつけはしない」

 井伏鱒二も、太宰治も、山崎ナオコーラも、物語の語り手が作者自身になると思われるときがあり、読者に直接に語りかけるような文体を用いる作品があります。潜在的2人称とも言われますが、山崎ナオコーラの作品には、とくに、作者から読者へ向けられた、やさしいまなざしを感じます。

 井伏、太宰、山崎の文体に共通するもう一つの現象として、あらすじをまとめるさいに、本文の文体をそのまま用いることができず、あらすじ文の文体への変換が必要になることがあります。具体的には、受身形の利用頻度、簡潔さを追求しない言葉選び、そして、語られる内容・語り手・作者の間の距離感を常に意識していて文章をアウトプットしていると思われる点です。最後の点は、読者を常に意識していることと同じかもしれません。ただ、とくにインターネット上に横書きの文書を書いていると感じるのですが、井伏、太宰、山崎の文章は、いい悪いは別にして、現代の不特定多数のネット利用者からは「読みにくい」といわれるタイプの文章かもしれないと思いました。もちろん、ネットを利用して横書きで読まれることを前提にしていないと思われますので、まったくデメリットではありません。むしろ、小説の文体として、個人的には、とても好きです。


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→ 富嶽百景/太宰治あらすじと読書感想文


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