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映画「ノルウェイの森」のあらすじと感想

2011年5月8日 竹内みちまろ 参照回数:

映画:『ノルウェイの森』(2010年/日本)
監督:トラン・アン・ユン
原作:村上春樹
出演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、高良健吾、玉山鉄二、霧島れいか

映画『ノルウェイの森』のあらすじ


 1967年、主人公ワタナベ、ヒロイン直子、2人の共通の友人で直子の恋人キズキの3人は、神戸で高校生活を送っていました。キズキは自宅のガレージにて、密封した車の中に排気ガスをホースで流し込み自殺。

 高校卒業後、神戸から逃げ出すようにして上京したワタナベは、70年安保闘争の渦中にある東京で、大学生活を送っていました。学生寮には、毎朝欠かさずラジオ体操をする同室の相棒や、外務官僚を目指す東大生・永沢などがいます。ワタナベは、都内の公園で直子と再開しました。ワタナベは、直子も東京の大学に入学していたことを知りませんでした。

 精神的に不安定な直子はワタナベに、電話してもいい? と告げます。2人はひんぱんに会うようになります。直子の20歳の誕生日に、ワタナベはプレゼントを持って直子の部屋を訪れます。直子は、20歳の誕生日なんか来なければよい、18と19を行ったりきたりするべき、と口にします。2人は結ばれました。

 その後、直子は、幼なじみで恋人のキズキを失ったこと、また、キズキとのセックスが一度もうまくできなかったことを思い詰め、精神を崩し、療養所へ入所。直子には、幻視、幻聴など、明らかな病気としての症状がでます。ワタナベは、直子に会いに行きます。同時にワタナベは、大学で、はつらつとしていますが一途な女性・緑と出会います。しかし直子のことしか考えられないワタナベは、結果として緑を傷つけながら、直子に会いに行きます。やがて、直子が自殺。ワタナベは、緑に電話をしますが、緑から、今どこにいるの? と問われ、自分の居場所がわからなくなりました。

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映画『ノルウェイの森』の感想


 『ノルウェイの森』を見終わって、心がとろけてしまいました。まず、ワタナベ、直子、緑、永沢、永沢の恋人ハツミ、そして冒頭で自殺したキズキなど、何かしら影を持った登場人物たちのやるせなさが伝わってきました。映画の中では、それぞれ登場人物の物語はほとんど何も語られません。しかし、語られないことによってしか表現することができない喪失や孤独が伝わってきました。

 映画が始まって間もないころ、学内の風景が映されます。早稲田大学という設定だと思われますが、ワタナベは、デモ隊と真正面からすれ違ったり、ひきつった顔をしながら途中までデモ隊と同じ方向に進み突然に一人だけ別の方向へ歩き出したりします。学生運動が嫌いなら、自分からは近寄らず、向こうから近寄ってきてもさらりとかわせばよいだけなのですが、ワタナベはそうはしません。学生運動を嫌う・憎むというよりは、どこか後ろめたさや割り切れない気持ちを持ったまま学生運動から目を背け、それでいて、デモ隊のそばを離れられず孤独に一人で硬直しながら歩く姿が印象に残りました。

 映画『ノルウェイの森』のテーマは、直子のせりふ(18と19を行ったりきたりするべき)が、逆説を用いて端的に表していると思いました。直子は自分自身の問題と向き合っています。そして、それは、ワタナベとは関係のない自分自身の問題であることを認識しています。ワタナベは自分では直子のためにと思って行動していますが、自分自身の問題と向き合うことができないワタナベが、自分自身の問題と向き合う代わりに、自分自身の問題と向き合っている直子のそばを行ったり来たりしているような雰囲気が伝わってきました。直子もそのことを本能的に感じていたのかもしれません。もしかしたら、ワタナベも。しかし、若い2人は、それを感じることはできても、理解することはできない。それゆえに、むしろやるせなさだけを一途にため込んで、いても立ってもいられなくなり、さらに、出口のない関係を行ったり来たりしてしまう。そんなワタナベの姿が心に響きました。

 表現としては、映画『ノルウェイの森』では、緑の家で緑とワタナベが柱の周りをぐるぐる回ったり、直子の手紙を受け取ったワタナベがらせん状の階段をぐるぐるのぼったり、直子とワタナベが療養所の丘を右に折れ左に折れを繰り返しながら行ったり来たりする場面から、心で感じていもてそれがなんなのか理解できず、たとえどこにもたどり着けなくても、それでも同じ場所を行ったり来たりするしかない悲しさが感じられました。

 また、原作では、37歳の「僕」がドイツの空港に降り立つ飛行機の中でビートルズの「ノルウェイの森」を耳にする場面が冒頭にあります。原作は、37歳のワタナベが20歳のころを思い出し、20歳のワタナベには、高校生だったころに友人キズキが自殺しているという過去がある、という構造になっています。

 映画『ノルウェイの森』では、冒頭で「1967年」という表示(=説明)がなされ、それが回想であることがすぐにわかります。しかし、「1967年」がどの時点からの回想であるのかの説明はありません。しかし、ワタナベの語りで、直子は自分のことを愛してなんかいなかった、という内容があります。20歳のころのワタナベはそのことを、感じていたとしても理解することはできていませんでした(それゆえに直子のそばを行ったり来たりしていました)。直子は自分のことを愛してなんかいなかった、と自分の口から言うためには時間が必要であり、原作のワタナベは、それを37歳になってようやく理解することができました(理解するために『ノルウェイの森』という作品、あるいは、回想が必要でした)。映画『ノルウェイの森』でも、直子は自分のことを愛してなんかいなかったことを理解したワタナベは自分の居場所がわからなくなった20歳前後のワタナベではないことが表現されていますので、ドイツの空港の場面は省略されていますが、映画『ノルウェイの森』が、大人になったワタナベの回想であることがわりました。

 ストーリーは、おおまかに、原作『ノルウェイの森』の内容に忠実でした。主人公ワタナベを取り巻く人間たちの姿も、ワタナベがアルバイト先のレコードショップで手を切ってしまうエピソードなども再現されています。しかし、いっぽうでは、2時間程度という短い時間の中に、単行本2冊分の話を盛り込んだので、原作を読んでいない人は、登場人物たちの背景や、細かな出来事の因果関係や、出来事の詳細などがわかりづらいかもしれません。また、映画では、療養所での直子の先輩・レイコの再生が描かれていましたが、原作ではレイコは再生を必要とする人間としては描かれていません。

 ワタナベが緑と再会したバーでトムコリンズを飲む場面がありました。緑が、あたしが今何考えているかわかる? と聞き、ワタナベが、頼むよ、場所をわきまえてくれよ、と困り果てた顔でぼやきます。ワタナベはセックスのことだと勘違いをしたのですが、緑は、そんなふうに思われているなんて考えてもみなかった、という内容を告げ席を立ちます。気丈に振る舞いながらも、私を傷付けることはしないで、と頼む緑の孤独と悲しさが伝わってきました。ワタナベも、緑から自分が席を外している間、入院中の緑の父親にそばにいてほしいと頼まれて、「もちろん」と即答する人間性や理性を持っています。しかし、直子に手紙で「傷つけてしまったのか、それだけでも知りたい」と書いた言葉は、結局は、ワタナベは、直子のためではなくて、自分のために直子の周りをぐるぐると行ったり来たりしているだけなことを表しているように思えました。

 最後に、松山ケンイチさんもよかったのですが、なんといっても、“『ノルウェイの森』は菊地凛子さんの映画”という感じになってしまっていたくらい、菊地さんがよかったです。2人が結ばれた場面、2人の間にある肌着一枚のへだたりが、記憶に残っています。


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