【アイドルの履歴書第1回】ぱいぱいでか美、蝶よ花よと可愛がられていた少女


2014年10月25日 13時51分  参照回数:−


【アイドルの履歴書第1回】ぱいぱいでか美、蝶よ花よと可愛がられていた少女

ぱいぱいでか美 (提供写真)



 アイドルの知られざる素顔に迫るインタビュー【アイドルの履歴書】。第1回は、アイドルが好き過ぎてアイドルを名乗れない“歌って踊れるバンドウーマン”ぱいぱいでか美。



 かつて絶大な人気を誇ったアイドルは言った。「人生の主役は自分ではなかった」と。異性の心を奪い、同性の憧れと嫉妬を一身に受け、割れんばかりの歓声と、持ちきれないほどの花束と、名声を手に入れてもなお敵わない存在、それが我が子であった。

「子どもが生まれた瞬間、私の人生の主役はこの子だと気付いた」と、彼女は言った。誰しも生まれた時はアイドルである。人生の主役が自分でなくなるその日まで、限られた時間の中で再びアイドルを目指す彼女たちを追いかけた。(インタビュー・文:姫乃たま)



 三重県で生まれ、九つ上の兄と理解のある両親から、蝶よ花よと可愛がられていた少女が、東京でぱいぱいでか美という名を背負ってバンドウーマンになる以前の話。

――小さい頃はどんな性格の子でしたか。

ぱいぱいでか美:歌うことが好きで、目立ちたがり屋で、自己顕示欲がすごく強かったです。それが年を重ねるごとに強くなっていって、凝縮されたのが今の私です(笑)。よくバンドマンのインタビューで「友達が少なかった」とか、「いじめられてた」とか見かけますけど、そういうのが一切なくて「学級委員やりまーーーす!」みたいな感じで。音楽も、モー娘。とか、SPEEDとか流行りものが好きで、明るくて、友達もたくさんいました。

――うおお、ここまでまっすぐ明るい子ども時代を過ごした演者さんは初めてです(笑)。例にもれず私も友達が少ないので……。家ではどんな子でしたか。

ぱいぱいでか美:九つ年上の兄がいたので、甘やかされ尽くして育ちました。王道の流行りものしか知らずに大人になってもおかしくなかった私が、いまサブカルっぽいところに身を置いているのは、きっと兄の影響です。兄は閉鎖病棟に入院するくらいの鬱病で、そのことに関しては私も両親も重く受け止めてないんですけど、自分にも同じ血が流れているんだなって時々思うんです。兄が近くにいたのは大きかったですね。

――自分とは正反対なお兄さんが身近にいたことで、視野が広がったんですね。

ぱいぱいでか美:一方で私は中学までいい調子でのんびり生きてました。特に中三までは頭がよかったので、いま思うとすごく恥ずかしいですけど、周りの人を見下してたんです。そのかわり、自分が一番大事でその他に優劣はないと思ってたので、みんな平等にギャルでも腐女子でも仲良くしてました。

――無敵だったでか美ちゃんが、いい調子でいられない何かが高校に……。

ぱいぱいでか美:高校に進学する際に、偏差値高いところじゃなくていいから学校に通いながらバイトしてボイトレに行きたいって両親に話したんですけど、「15歳で判断することじゃないからとりあえず進学校に行きなさい」って言われました。言われた通り県内一の進学校になんとなく進学したら、自分より活発な人も賢い人もたくさんいて、あ、私って賢くないんだって。同級生も高一の段階で医学部に行きたいとか、人生の目標を持ってる人たちばかりで、いい加減きちんと自分のことを考えなきゃいけないんだって思いました。それで両親にもう一度「まだ16歳やけど、やっぱり音楽したいし、東京にでたい」って話して、まずは塾を辞めさせてもらいました(笑)

――まず、第一段階としてね(笑)。焦ったことで、なんとなくずっとあった音楽をやりたい気持ちが明確になったんですね。

ぱいぱいでか美:両親も「音楽やりたい気持ちが変わった時も、大丈夫なように準備しておくからね」って言ってくれて……。それから軽音部でバンドを始めて、人前で歌う機会も増えて、やっぱり音楽やりたいって改めて思いました。あと軽音部の先輩からこっそり教えてもらったBerryz工房で人生が変わりました……!そのまま三年間、気持ちは変わらなくて、高校卒業と同時に上京したんです。

――音楽の専門学校に通うために上京したんですよね。

ぱいぱいでか美:そうなんですけど、学校選びミスっちゃって。私みたいにガツガツしてる子ばっかりで刺激しあえると思ってたんですけど、学校に通ってるだけで満足してる子が多くて、発表会の前に恥ずかしがってる子を見て、どういうことだよ!って。ここでは友達できないだろうなって思いました……。オーディションも東京の専門ならがんがん受けられて、とんとん進めるものだと思ってたんですけど、オーディション自体が学校に気に入られてる子から斡旋されていくし、これはダメだと思って、他大の軽音サークルでバンドを組んだんです。

――どんなバンドだったんですか。

ぱいぱいでか美:私が鍵盤とボーカルで、ベースとギターとドラムがいて、変拍子がたくさんはいってるシリアスな感じの音楽をやってました。メンバー同士はプライベートでも遊ぶほど、すごく仲良かったです。このまま大人になっても、ずっとこのメンバーでバンドをするんだと思ってました。

――そんな仲のいいバンドを解散して、ソロになったきっかけはなんだったんでしょう。

ぱいぱいでか美:まずドラムが就職して、ギターが失踪して、バンドが崩壊したんです。私はかわりのメンバーを探してでも存続させるものだと思ってたんですけど、残ったベースも他のバンドへ加入することが決まって、すごく悩みました。そんな私を見ていた友人が、じゃあソロでやってみなよって企画に呼んでくれたんです。

――バンド活動から急にいまのオケを流して歌うスタイルに変更するのって大胆ですね。

ぱいぱいでか美:最初は鍵盤の弾き語りでした。でもバンドのライブで演奏始める前に、私がBerryz工房の曲を一番だけ踊ってたのを思い出して

――え、なんで!

ぱいぱいでか美:好きだから!じゃあ弾き語りついでにダンスもしてみようって思って、鍵盤の弾き語りとダンスを半々でやりました。そしたら観客の人から、踊ってるときのほうが全然可愛かったよって言われて、ああ、私、弾き語りむいてないんだなって。じゃあ弾き語りやめて踊ろうと思ったんです。それでオケを打ち込みで作って、歌って踊れるバンドウーマンになりました。

――ぱいぱいでか美という名前に思考が至ったのは、どんな時だったんですか……。

ぱいぱいでか美:あ、名前はバンドメンバーだったベースのティンカーベル初野っていう人がふざけてつけました。なかなかこれよりインパクトのある名前がなくて……。

――セクハラじゃないですか(笑)。CDもリリースされて精力的に活動されてますが、今後の展開について教えてください。

ぱいぱいでか美:来年の春に大好きなBerrys工房が活動停止しちゃうので、なんとかかんとか共演したいです!

【著者:姫乃たま】

1993/2/12下北沢生まれ。日本の地下アイドル。2009年より都内でライブをする傍ら、ライターとしても活動を開始。イベントの主催や、司会、モデルとしても活躍している。全曲ボーカル参加したFriendlySpoon「フレスプのファーストアルバム」が絶賛発売中。

Twitter https://twitter.com/Himeeeno

姫乃たまのあしたまにゃーな http://ameblo.jp/love-himeno/

地下アイドル姫乃たまの恥ずかしいブログ http://himeeeno.hatenablog.com/

【ぱいぱいでか美】

23歳/三重出身東京在住/桃色の女:あどけない顔つきと妖艶な身体、あられもない名前で活動中。歌って踊れるバンドウーマンとしてライブを中心に、他にもDJや司会など頼まれたら割と何でもやる。ももちことBerryz工房の嗣永桃子さんに出会って以来人生が桃色に。ハロプロは心の支え、そして今時珍しいテレビっ子。5月にシングル、6月にアルバムが出る。


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