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青年/森鴎外のあらすじと読書感想文

2012年11月24日 竹内みちまろ 参照回数:

青年のあらすじ

 (旧制の)中学卒業後、独学でフランス語の勉強を続け、東京に出てきた小泉純一は、つてをたどって東京新聞の一面に小説を連載している『大石けん太郎』を尋ねるため、東京方眼図を片手に、芝日陰町の宿屋を出ました。中学の同級生で、美術学校に通っている瀬戸速人に会います。優秀な成績で中学を卒業しながら進学や就職を希望したかなった純一は、家は裕福ですが、親類の異議をはねのけて創作家になるために、上京しました。往来に出た純一は、盛んに声を掛けてくる物売りの前を足早に通り過ぎます。上野の山の方へ歩く途中、長屋で、血色の悪いやせこけた子どもがうろつく様子を見ます。純一は、国にはこんな哀れな場所はないと感じます。純一は、自分で歩いて探し当てた初音町の下宿に引っ越しました。

 天長節(天皇誕生日)の日、純一は、瀬戸から誘われて、未来の文士が集うという青年倶楽部へ行きます。そこで、小説家の『ふ石』の話を聞きます。いっしょに帰ることになった大村荘之助へ、純一は、「いったい新人というのは、どんな人をさして言うのでしょう」と突然聞きます。大村から、「瀬戸には気を着けて交際したまえよ」と声を掛けられ、「ええ。わかっています」と答えました。

 純一は、「ふ石」が「新しい人」と呼んでいたイブセンの上演を有楽座へ見に行きました。純一が1人で席に着くと、話をしていた令嬢や、右手の奥さん(坂井れい子)が一斉に振り向きます。純一は、れい子から、「あなたは脚本を読んでいらっしゃるのでしょう。次の幕はどんなところでございますの。」と尋ねられます。故人である坂井れい子の夫は、名高な学者で純一の国の出身でした。学者は40を過ぎてから娘にしてもいいような美しいれい子を嫁にし、一年とたたずに脊髄病で亡くなっていました。純一は、れい子から、「フランス語をなさるのなら、宅に書物がたくさんございますから、見にいらっしゃい」と声を掛けられました。純一は、自分を見つめてるれい子の「謎の目」の虜になり、「あの目の奥には何があるかしらん」と煩悶しするようになります。

 純一は、本を借りるという口実で、れい子の家を尋ねました。純一は、温められたぶとう酒を飲み、れい子は、長椅子に背を持たせ白足袋を履いた足を差し出しながら、純一を見つめます。本を借りて帰った純一は、れい子の家で行われたという「ある閲歴」について、「勇気があってあえて為したのではなくて、人に余儀なくせられてみだりに為したのあであるか」などと、煩悶します。「坂井夫人は決して決しておれの恋愛の対象ではないのである」と自分にいいきかせますが、「またあの謎の目が見たくなることはありますまいか」「わがために恥ずべきこの交際を、向こうがいつまで継続しようと思っているかが問題ではあるまいか」などと思いを巡らします。

 純一は、大村と精養軒で食事を取りながら、「積極的新人ができれば、社会問題も内部から解決せられるわけでしょう」などと語らいます。下宿している家によく遊びに来るお雪さんと話をしたり、瀬戸から金を貸してくれと無心されたりしますが、煩悶の末、れい子の家を訪れました。れい子から、れい子が暮れの27日に出発し、箱根へ一人で行っているので、「お暇ならいらっしゃいましな」と声を掛けられます。純一は30日に東京を出発し、大晦日に箱根に着きました。れい子に会いましたが、れい子は画家の岡村といっしょでした。岡村は40歳を越し、血色がよく、純一へ、「晩に来たまえ」と声を掛けます。純一は、2人がいる宿を尋ねますが、れい子と岡村が仲睦まじく通じ合う様子を見て、「僕は今夜はもうおいとまをします」と宿へ帰りました。

 純一は、小説を書こうと決意します。翌日の元日の朝、東京へ向かいました。

青年の読書感想文


 『青年』は、読み終えて、純一を見つめる鴎外の「まなざし」のやさしさが印象に残りました。純一は、田舎出の世間知らずで、大志は抱いているのですが、本気になってまだ小説を書いていない状態です。今風に言えば、ぜんぜん「イケテナイ」存在。現代社会だったら、白い目で見られるリスクすらあります。しかし、時代背景もあるのでしょうが、そもそも、青年というものは、そういうものかもしれません。

 純一は、れい子と岡村のいる宿から戻り、東京での生活を顧みます。「(東京では)思いがけなく接触した人から、種々な刺激を受けて、蜜蜂がどの花からも、変わった露を吸うように、内に何物かをたくわえた。その花から花へと飛び渡っている間、国にいた時とは違って、おれは製作上のつたない試みをせずにいた。これがかえっておれのためには薬になっていはすまいか。今何か書いてみたら、書けるようになっているかもしれない」

 また、「純一が書こうと思っている物は、現今の流行とは少し方角を異にしている」とあります。さらに、「純一はこれまで物を書き出す時、興奮を感じたことはたびたびあったが、今のような、夕立の前の雲が電気に飽きているような、気分を感じたことはない」とも。

 元日の朝、純一は、昨日着いたばかりで広げた荷物を再び鞄に詰め込みます。しかし、帰って書いてみようという意志に衰えはありませんが、「これまでたびたび一時の発動に促されて書き出して見ては、挫折してしまったではないかというささやき」に襲われます。また、宿で純一を気に掛けてくれた美しい女中が残念がっている様子に寂寥感を覚え、同じに、れい子は自分が帰っても何とも思わないことを悟ったりもします。しかし、「この寂しさの中から作品が生まれないにも限らない」と必死になって、自分に言い聞かせます。

 『青年』を読み終えて、現代の日本は、はたして、青年が青年らしく、迷ったり、とまどったり、悩んだり、自分を道を模索したり、回り道をしたりすることに寛容なのだろうかと考えてみました。『青年』では、「イケテナイ」青年を、「イケテナイ」のひと言で切り捨ててしまうことをせず、純一がかっこ悪く悩み戸惑う様子を最後までていねいに描ききっています。そんな『青年』には、純一を温かく見守る鴎外のやさしい「まなざし」が流れているように感じました。


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