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村上海賊の娘/和田竜のあらすじと読書感想文

2014年5月8日 竹内みちまろ 参照回数:

村上海賊の娘のあらすじ(ネタバレ)


 毛利家の当主である毛利輝元直属の警固衆(水軍)の長・児玉就英(こだま・なりひで)と、毛利家の支柱・小早川隆景の海賊衆(警固衆)を束ねる乃美宗勝(のみ・むねかつ)は、瀬戸内海の能島(のしま)へ向かいました。平安期の村上天皇に源を発するという村上家へ、大坂本願寺への兵糧米10万石の輸送を依頼するためでした。

 村上家は3家に分かれており、それぞれ拠点とする島の名前をとって「因島(いんのしま)村上」「能島村上」「来島(くるしま)村上」を名乗り、3家を合わせて「三島(さんとう)村上」とも呼ばれていました。因島村上は毛利家に、来島村上は毛利家に恩義がある河野家に臣従しており、一方、能島村上は独立勢力として瀬戸内海を航行する船から帆別銭を吸い上げ、最盛期を迎えていました。

 児玉就英と乃美宗勝は、実質、能島村上家の当主・村上武吉(たけよし)を味方につけるためにやってきていました。能島には三島村上の当主が集まっていました。毛利元就が3千の兵で陶晴賢軍3万を破った厳島合戦にも参加している乃美宗勝は、村上武吉から「久方ぶり。五年前に能島を攻めに来て以来じゃな」と憎まれ口を叩かれます。村上武吉は能島に出兵した毛利家が返り討ちに遭って撤退したことを言ったのですが、乃美宗勝は、「いや、それを言われると、願いの儀が申し上げにくくなりますわ。ご勘弁ください」と下手に出ます。33歳の若きホープである児玉就英は怒りに震えますが、村上武吉は、そんな児玉就英へ、娘の景(けい)を児玉就英に輿入れすることを条件に、毛利家に味方すると言い放ちました。

 景は、海賊船に乗り込んで帆別船を払わない船に自ら乗っ取りをかけるほどの娘で、瀬戸内海では醜女として通っており、20歳になっても嫁のもらい手がありません。海賊へ輿入れすると公言していた景は海賊衆であり美丈夫の児玉就英との縁組みを望みました。が、憤怒した児玉就英はその場で断り、村上武吉の前で席を立ってしまいました。廊下で出くわした景には、「わしが輿入れを断ったのは、能島村上殿の条件の出しようが気に入らなんだからだ。他意はない。姫の美醜でもない。そう心得られよ」と言い置いて、帰ってしまいました。

 景は、廻船が能島村上の領内に侵入した際、乗っ取りをしていました。廻船の中には、荒くれどもにだまされて船を出したとたんに船内に閉じ込められた安芸門徒と呼ばれる一向宗の信者たちがいました。門徒たちは、織田信長に包囲され窮地に陥っている大坂本願寺へわずかながらも兵糧を持参し、そのまま兵士となって戦うつもりでした。門徒の源爺は「見目麗しき村上海賊の姫様」と詰め寄ります。源爺は「姫様はまるで南蛮人のごとき面をなされてござりまする」と語りかけます。南蛮人が集まる堺や、堺がある泉州(大阪府南西部)では、南蛮人の女を美しいという者が多いと告げ、海賊に輿入れしたいと思っていた景に、泉州にも海賊がいることを話しました。

 源爺から自分たちを大坂本願寺まで送ってほしいと頼まれた景は、共も連れず、信者達を廻船に乗せて、大坂本願寺へ向けて出航してしまいました。

 泉州に出た景は、海賊の眞鍋七五三兵衛(しめのひょうえ)の船に捕まりますが、海賊の流儀にのっとって釈放されます。源爺たちを大坂本願寺方の木津砦に送り届け、その後、織田方の天王寺砦に入ります。織田軍の木津砦への攻撃が始まり、大坂本願寺から1万余の援軍が出陣してきました。

 本当のいくさを始めて見た景は、戦場の空気、いくさでの出来事、そして何よりも、戦う男たちの思想が、自分が思い描いていた華やかさとかけ離れていることを知ります。源爺のためを思って起こした行動も、源爺が往生していないとでも言うのかと反駁され、拒まれてしまいました。

 打ちのめされた景は能島へ帰り、父の村上武吉になぐさめられます。もう船に乗るのはやめて輿入れして奥に入りなさいと諭され、うんと返事をします。

 しかし、景は、毛利方1000艘と織田方300艘がにらみ合う木津川河口へ向かいました。

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村上海賊の娘の読書感想文(ネタバレ)


 ストーリーは続くのですが、読書感想文に移りたいと思います。

 「村上海賊の娘」は読み終えて、人間の流儀というものの尊さを感じました。

 実戦を見た景は、男たちがひとえに家の存続のために戦っていることを知りました。景があこがれ、夢に見ていた、人が美しくなるために戦うとでもいうような世界は実戦には存在しませんでした。

 しかし、景は、毛利方1000艘は大坂本願寺を見捨てて引き返すことになるだろと告げられ、兵糧が底をついてなお砦に立て籠もっている本願寺の門徒たちを助けたいと思っていることに気が付きました。

「瀬戸内を出たとき、あいつらは極楽往生がすでに決まっていると信じていた。それでも、弥陀の御恩に報いるために、行かぬでもいい戦に行って命を捧げたんだ。戦場では退けば地獄だと脅され、話が違うと知っても、あいつらは仏の恩義を忘れようとはしなかった。オレは見事だと思った。立派だと思った。オレはそういう立派な奴らを助けてやりたい。オレはあいつらのために戦ってやりたい」

 景の父・村上武吉は、そんな景に触れて「俺の子だなあ」と感じ、痛快に笑います。そして、景を大坂湾へ送り出します。村上武吉が「我が娘が戦に赴けば、当方の勝利疑いなし」と確信していたとおり、戦闘船に女を乗せてはならないという禁じ手を破ることになった景は、村上海賊の男たちに恐るべき変化を巻き起こすのですが、景は、理屈や机上の計算ではなく、衝動のままに戦ったのだと思いました。

 景が、門徒たちに敬服したのは、門徒たちの生き様が「見事」で「立派」だったからです。もちろん、理屈で考えれば、景の発想も思想も笑止千万で、青臭いの一言で片づけられてしまいます。そのうえ、戦争では、景のような人間はかえって疫病神となり、戦略も、戦術も台無しにする可能性すらあります。

 しかし、なぜ、台無しにする可能性があるのかを考えると、門徒を見事で立派だと感じた景の心が純粋であり、同時に、本願寺を見捨てて引き返す決断をした武将たちが、利害の計算で動いていたからだと思いました。一向宗の門徒は、教義を信じているがゆえに強かったのですが、景も、純粋なゆえに、理屈を超えて、人の心を動かしたのかもしれないと思いました。

 人々が自分たちのために損得を秤にかけながら生きていた時代に、純粋な衝動に駆られるままに命を懸けた景の姿は、言葉では説明することができませんが、美しいと思います。それは一瞬のきらめきでしかないのかもしれませんが、一瞬でしかないがゆえにさらに尊く、また、表に出ることはないのかもしれませんが、そんな理屈を超えたきらめきの積み重ねが歴史の根底を作っているのかもしれないと感じました。


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