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トットチャンネル/黒柳徹子のあらすじと読書感想文

2015年7月2日 竹内みちまろ 参照回数:

トットチャンネルのあらすじ


 黒柳徹子さんは、子どもの頃、周りの人たちの「徹子ちゃん、徹子ちゃん」という声が「トットちゃん、トットちゃん」と聞こえていました。自分のことを「トットちゃん」と呼ぶようになり、周りの人たちからも「トットちゃん」と呼ばれるようになりました。

 戦争が終わって8年目に近づこうとしていた頃、黒柳さんは、東洋音楽学校(東京音大)の4年生で卒業を間近に控えていました。同級生はみな就職先が決まっていたことを知った黒柳さんは、駅の近くの電柱に「雪の女王」の人形劇のポスターが張られているのを見つけ、観に行きました。「雪の女王」を観た黒柳さんは「(人形劇を)自分の子供に見せられたら」、「人形劇の出来るお母さんは、そうはいないんじゃないかな」などと考えます。

 「雪の女王」を観た少し後、黒柳さんは、新聞でNHKの広告を見つけました。NHKがテレビジョンの放送を始めるに当たり専属の俳優を募集するというもので、採用者はNHKの専属になるとのこと。黒柳さんは、NHKならいいお母さんになる方法を教えてくれるかもしれないと考え、生まれて初めて履歴書を書きました。

 NHKのオーディションは、履歴書が送り返されてくることから始まりました。履歴書をNHKに持参しなければならないところ、黒柳さんは郵送してしまっていたのでした。

 第1次試験当日、黒柳さんは、受験番号が5000番代ということは知っていたものの、NHKの廊下も、トイレも、階段も、どこも若い男女で身動きが取れないほどに込み合っていることに驚きました。女の人の服装も様々で、帽子に手袋という社会人ふうの人もいれば、宝塚のような袴姿の人、バレエのタイツふうの人、中国服、セーターにズボン、セーラー服など。黒柳さんにはみんなが綺麗に見えました。

 最初の試験は5人ずつまとまって部屋に入り、渡された2つの紙に書いてある言葉を読むというものでした。黒柳さんは「赤巻紙、青巻紙、黄巻紙」、「あーら、しばらく、お元気?」という言葉を他の受験者を真似てセリフっぽくしゃべりましたが、試験官から爆笑されてしまいました。

 1次試験になぜか合格した黒柳さんは、2次試験の筆記テストを受けるためにNHKに行くものの、会場がNHKではなくてお茶の水の明治大学であることを受け付けの女性から聞きます。定期入れの中にしまってあった大切な1000円札を使ってタクシーに乗り、明治大学に向かいます。試験は始まっていたものの、なんとか受けることができました。試験問題はぜんぜん分からず、勇気を出して隣で試験を受けていた男性に「教えて頂けませんか?」と頼むも「いやです」と断られてしまいました。

 パントマイムの試験、面接試験などを受け6000人の中から28名の合格者が集められ、3か月間の第1次養成に進みました。そこで残った人が引き続き4月から翌年3月までという1年間の第2次養成を受け、翌年となる昭和29年(1954年)4月からNHKの専属になるというスケジュールでした。

 黒柳さんは、自分が合格になった理由を、試験の点数が悪くて演劇のことをまったく知らないことが露呈したものの、「これだけ、なんにも演劇について知らないと、逆に白紙みたいなもので、テレビジョンという、全く新しい分野の仕事を、素直に、雑念なく吸収するかもしれない」という意見が逆にあがり、1人くらい全く演劇の手あかのついていない子を採用してテレビジョンと一緒に始めてみようという意図があったからであることを知りました。

 1年間の養成が終わると、黒柳さんたちは、NHK放送劇団5期生であると同時にテレビ俳優1期生になりました。当時のテレビは、どの番組も生放送でした。収録の現場では上野動物園の人気者・チンパンジーのスージーちゃんが大暴れをしたりします。黒柳さんは、「ガヤ」という群衆の声を演じたり、先輩俳優から怒られたりしながら、俳優生活を始めました。

 黒柳さんの転機となったのは、NHK始まって以来という最初の大がかりなオーディションで決定した、ラジオ番組「ヤン坊ニン坊トン坊」の声の役でした。3匹の白い子猿の声を、子どもではなく大人が演じることになりました(当時としては革新的な発想)。黒柳さんは「トン坊」を演じ、番組は大ヒット。ヤン坊、ニン坊を演じたNHK劇団の里見京子さん、横山道代さんといっしょに、黒柳さんは「NHKの三人娘」として、毎日新聞に載るようになりました。

 黒柳さんの俳優生活は続きます。森繁久彌さんから「どう? 僕と一回!」と声を掛けられたり、人の顔色を見るように話していたスタジオ管理の担当者だった30歳くらいの男性がディレクターになったとたんに横柄な態度を取るようになって悲しい気持ちになったり、お見合いをしたりします。スタジオ管理の担当者だった男性が黒柳さんに対する態度をコロリと変えたとき、黒柳さんの1時間の出演料は58円で、ラーメン1杯にも満たない金額でした。

 NHKでカラー・テレビが本放送になります。NHK劇団にはマネージャーなどはおらず、黒柳さんは、すべて自分で時間を調整し、交渉し、整理していました。伝票が回ってくると、その仕事をやりたいかではなく、単に時間が空いているかどうかだけを見て引き受けました。黒柳さんはほとんど寝ていなくても、セリフをちゃんと憶え、まじめにリハーサルに出て、本番をなんとかこなしていました。

 ある日、黒柳さんは、本番中に、相手のセリフがほとんど聞こえないことに気が付きます。次の日も同じで、さらに目まいがしているとも感じました。健康診断をしていた病院の院長に電話をすると「今、すぐ、おいで!」と告げられ、「都合をつけられない」と答えると「死ぬよ」と言われます。病院に急ぐと「過労だな、すぐ、入院しなさい」と診断され、あ然とします。

 黒柳さんは、ディレクターに1人ずつ頼みに回るも、見たところ黒柳さんには異常はなくしっかり歩いてしゃべるので「これ、一本だけやってくれない?」と拝み倒されました。黒柳さんは「もう、私がいないと、NHKは、つぶれちゃうんじゃないの?」と冗談めかして言いながらも悪い気はしませんでした。結局、ずるずると仕事を続けます。耳鳴りがもっとひどくなり、朝に起きると膝から下に真っ赤な花びらのような鮮明なあざがいくつもできていました。「死ぬよ」という医師の言葉が頭をよぎり、ついに入院することになりました。

 黒柳さんは体を休めることに専念するようになりました。自分が出演できないテレビ番組を恐る恐る見ると、知らない女の子が出て来て「みなさん、こんにちは! 今日から、私が当分、司会、やりますよ、どうぞ、よろしくね!」と告げ番組が始まりました。黒柳さんが渥美清さんと夫婦を演じているドラマでは、渥美さんが「奥さん、どうしました?」と聞かれ「実家に帰ってます」と答えました。たった、それだけでした。

 黒柳さんは、自分が必死になって続けようとした仕事が自分なしでも進んで行く様子を見て、「テレビは、すべてが使い捨て」と分かったそうです。

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トットチャンネルの読書感想文


 今回読んだのは「新版 トットチャンネル」(新潮文庫)で、2016年1月の日付がある「はじめに」にて、黒柳さんは、テレビが高価で一般家庭に普及していなかった時代を振り返り、「見ている人が少ない、ということは、まだ視聴率も問題にされなかった。何かを言って、問題にされることもなかった。思えば、窮屈なところがおよそない、自由な時代だった」と回想していました。

 「トットチャンネル」を読むと、自由な時代であり、一方では、何もかもが初めてで、すべてが生放送という環境の中、みんな情熱を傾けて目の前の仕事に真剣に取り組んでいた姿を垣間見ることができました。例えば、土手にへばりついて移動する忍者役の俳優が土手を掴んだ瞬間、土手を模していた布が下がって木の箱が見えてしまい、生放送の中、忍者役の俳優が大きな布を元に戻し始め、忍者が布を元に戻している間に放送時間が終わってしまったというエピソードが記されていました。当時、スタジオには、「終」と記されたエンド・マークのカードが至るところに落ちていて、いよいよ困ると誰かが「終」をカメラの前に押し付けて、終わりにしてしまうことがよくあったそうです。今であれば考えられないことですが、当時はみんな真剣になって、そんなことをやったいたことが伝わってきました。

 併せて、「トットチャンネル」の中で、「インタビュー」というエッセイが印象に残りました。

 「ヤン坊ニン坊トン坊」の大ヒットのおかげで、黒柳さんは、よくインタビューを受けていたそうです。当時は、大手新聞社が週刊誌を出していたくらいの時代で、取材に来たのは新聞社の記者たちでした。記者たちは、社会に出たばかりの黒柳さんたちに優しく接し、不自然なことを聞いたり、させたりする人はほとんどおらず、丁寧に話を聞き、話した通りのことを記事にまとめてくれていたそうです。黒柳さんは「本当に、その頃のジャーナリズムの人達を、トットは信頼していた」と記しています。

 また、「(何か嘘を書くかも知れない)とか、(こんなことを質問してるけど、実は、別のことを聞き出そうとしているのだ)とか、(どうせ聞いたって、始めから書くことは決めてあるんだろう)なんて、そんなこと、これっぽっちも疑った事はなかった。そしてまた、裏切られたこともなかった。自分の話したことが、こんな風な文章になるのかと、トットは、くり返し、印刷されたものを読んで、感動した」とも。

 しかし、ある時、数か月で廃刊となった週刊誌の記者が、ぶしつけに、「カストロの胸毛について、どう思う?」などと聞きました。黒柳さんが言ってもいないことを黒柳さんの発言としてねつ造した記事を読み、「これまで知らなかった世界があることを知って、トットはおびえた。自分らしくあるために、一体、どんな風に生きていったら、いいのかしら」などと記されていました。

 「トットチャンネル」に記されていた時代には、いわゆるワイドショーというものもなく、芸能マスコミも存在しなかったのかもしれません。一方では、ワイドショーや芸能ニュースというものは、テレビが人々の生活の隅々まで普及し、テレビ放送に関する技術が革新的に進歩した結果、生まれたものなのかもしれないと思いました。

 そして、「トットチャンネル」を読んで、芸能の分野で仕事をする人と、芸能マスコミの間には、信頼関係というものが存在しないのかもしれないと思いました。もし、取材対象者と取材者の間に信頼関係が存在しないにも関わらず、さまざまなニュースが生みだされているのだとしたら、それは、黒柳さんが感じていたとおり、とてつもなく恐ろしいことかもしれないと思いました。


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