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山椒大夫/森鴎外のあらすじと読書感想文

2011年8月21日 竹内みちまろ 参照回数:

山椒大夫のあらすじ


 紅葉のころ、岩代の信夫郡(しのぶごおり)から越後(現・新潟県)の春日をへて今津へ出る道を、30歳を超えたばかりの母親、気丈な14歳の姉・安寿(あんじゅ)、おとなしく賢い12歳の弟・厨子王(ずしおう)、40歳くらいの使用人の女性の4人が、10年以上前に筑紫の安楽寺へ向かったまま帰らぬ夫を訪ねる旅路を歩いていました。潮汲みの女性に尋ねると、人買いが出没するため、付近では、国守の掟で旅人を泊めてはならないことになっていることを知ります。潮汲みの女性から聞いた橋の下で一夜を明かすことになりました。

 橋の下にふらっと現れた山岡大夫に勧められた家に泊まった4人は、翌日、勧められるまま山岡大夫がこぐ船に乗りました。山岡大夫は、人気のない岩陰に船をつなぎ、船足は早いほうがよいと、越中宮崎の三郎の船に姉弟を、佐渡の次郎の船に母と使用人の女性を乗せ、消えてしまいました。母親は、今生の別れと覚悟をきめ、姉には「守本尊の地蔵様」を、弟には「お父さまの下さった護刀(まもりがたな)」を大切にするよう叫び、使用人の女性のあとを追い、海に飛び込もうとしました。しかし、船頭に引き倒されて縛られてしまいました。姉弟は、田畑から漁、蚕、機織り、陶器など手広く商売に成功している丹後の山椒大夫(60歳)に売られました。

 奴隷として買われた2人は、「けなげにも」運命に従うほかないと定めました。姉は潮汲みに、弟は芝刈りに出て、当初は「死んでも別れぬ」と男女別々の小屋へ入れらることを嘆いたり、厨子王一人を先に父親のもとへ脱走させる話をしていました。しかし、脱走の話を山椒大夫の子・三郎(30過ぎ)に聞かれ焼印をするぞと脅されてからは、おとなしくなり、とりわけ、安寿は口数も減り、静かに毎日の作業をこなすようになりました。

 正月が過ぎ、世間では明日から仕事始めという日、安寿が三郎の兄・二郎に、弟と同じ場所で作業がしたいので厨子王といっしょに山へやってほしいと頼みました。厨子王は急な話に驚きますが、ずっと静かだった安寿の顔によろこびの表情が戻っていました。2人で芝刈りに出ると、安寿は同じ奴隷で伊勢から売られてきた小萩から聞き知った、中山を越えれば都へ出ることができる道を厨子王に教え、守本尊を厨子王に託し、厨子王を独りで行かせました。安寿は沼に入水しました。

 厨子王は、中山の曇猛(どんみょう)律師に助けられ、追っ手を逃れ、僧形で都へたどり着きました。東山の清水寺に泊まりました。翌朝、関白師実(もろざね)が枕元へ立っており、参籠しているときに、左の格子に来て寝ている童子が尊い守り本尊を持っているというお告げがあったことを話した。厨子王は、筑紫へ左遷させられた平正氏の子と知れ、守本尊のおかげで師実の養女の病気が回復しました。厨子王は、元服して正道と名のり、丹後の国守に任命されました。平正氏はすでに他界していました。

 厨子王は、まず、丹後一国で人身売買を禁じました。奴隷を解放して給料を払うことを損失のように思っていた山椒大夫も、かえって、生産性があがり、富を増しました。中山の曇猛律師は僧都になりました。

 厨子王は佐渡へ行きました。母親を探させるも見つからず、一人、市中を歩いていると、農家で、髪の乱れた視力を持たない女性を見かけました。

 安寿恋しや、ほうやれほ。
 厨子王恋しや、ほうやれほ。
 鳥も生あるものなれば、
 疾う疾う逃げよ、逐わずとも。

 そうつぶやいていた女性と厨子王は、抱き合いました。

山椒大夫の読書感想文


 『山椒大夫』は、人身売買、家族の絆、奴隷解放、犠牲もの、出世物語、教訓話など、いろいろな側面から考えることができる作品だと思いました。ただ、そうはいっても、話としては短く、ドラマはドラマとしてあるのですが、あっさりと、そして、きれいにまとめられてしまったという印象がありました。鴎外が参考にした元の話には、凄惨な場面もあり、復讐ものとしての側面もあったようです。

 小説技法や、鴎外論になってしまうかもしれませんが、一つ、おやっと思った個所がありました。奴隷として買われた安寿と厨子王の様子が描かれた場面で、2人は、「筑紫にいる父が恋しい、佐渡にいる母が恋しい」と手を取り合って泣きます。しかし、なんで2人が、母親が佐渡にいることを知っているのだろうと思ってしまいました。船に乗せられたときに、船頭から、母親は「佐渡へ渡って粟の鳥でも逐(お)わせられることじゃろう」とは言われていますが、描き方の問題なのですが、2人とも、母親が佐渡にいることを規定事実として知っているような印象を受けました。ストーリーを進める上で、母親は佐渡にいなければならず、2人はそのことを知らなければならないことは事実ですが、なんだか、小説らしくないと言いますか、小説というよりは、教科書的な説話という感じがしました。

 冒頭の場面にしても、4人の旅の一行の様子から始まるのですが、「母親」「三十歳をこえたばかりの女」など、小説の導入部として読者に絵を見せたり、読者の興味を引いたりというよりは、まちがいのない正確(=ストーリーにとって必要)な情報を提示するためだけに書かれているような印象を受けました。ラストシーンも、視力を失った母親にはお守りは見えないわけで、どうして、厨子王だとわかったのだろうという思いがあります。冒頭付近の地の文「人買が立ち廻るなら、その人買の詮議をしたら好さそうなものである」という一文にも「?」という感じでした。旅の一行が困ってしまったという状況を強調したいという(作者の)意図はわかるのですが、小説として考えた場合、あるいは、普通に考えて、「人買が立ち廻るなら、その人買の詮議をしたら好さそうなものである」などと簡単に言えてしまうほど事態は単純ではないような気がします。公共、公約数的、確率的な考え方からいえば、確かに個別の旅人は困りますが、全面禁止してしまうことにより、人買いの撲滅に貢献することができる面もあるような気がします。

 『山椒大夫』の感想というよりは、鴎外の小説論のようになりましたが、なんといいますか、頭でっかちな書き方をする人のようにも感じられ、漱石とは違ったタイプの小説家だなと思いました。


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