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秋葉原事件 加藤智大の軌跡/中島岳志のあらすじと読書感想文

2015年9月12日 竹内みちまろ 参照回数:

秋葉原通り魔事件


 2008年6月8日(日)午後12時33分、歩行者天国で賑わう東京・秋葉原の街に、加藤智大(ともひろ/当時25歳/自動車製造工場に勤める派遣労働者)が、2トントラックで突っ込み、歩行者をはね飛ばし、トラックから降りて、ダガーナイフで通行人を次々と刺す事件が発生。死者7名、負傷者10名。最高裁は、弁護側の「被告は事件当時、心神喪失もしくは心神耗弱だった疑いがある。死刑判決は破棄されるべきだ」との主張を退け、2015年2月2日、「動機に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるをえない」として上告を棄却。2月13日に判決訂正申し立てがなされましたが、17日付けで棄却され、死刑が確定しました。

『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』


 『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』(中島岳志/2011年3月第1刷発行)は、犯行に至るまでの加藤の軌跡を、生い立ちから丁寧に追ったドキュメンタリーです。

 プロローグには「彼はなぜリアルな友人がいたにもかかわらず孤独だったのか。なぜ、ネット上の仲間にのみ『自己承認』を求めたのか。なぜ、現実世界の友人ではダメだったのか。そして、そんな加藤に対して、なぜ一定の共感が集まるのか」などと記されています。そして、「彼の軌跡をじっくりと追及することで、事件の背後に潜む現代社会の問題を見つめる必要がある。そうしなければ、この事件は単なる『ネタ』に終わってしまう。時代と向き合うチャンスを逃してしまう」と危機感を募らせていました。

 しかし、加藤の軌跡を丁寧に追うも、著者である中島さんは、加藤本人は「真実」を語っていないと感じているのかもしれません。東京地裁の最終弁論で、加藤は、「今は事件を起こすべきではなかったと後悔し、反省しています。遺族と被害者の方には申し訳なく思っています。以上です」としか語りませんでした。

加藤智大の生い立ち


 加藤は1982年9月28日に、青森県で、地元の金融機関に勤める父親と、その職場で知り合い結婚後に退職し専業主婦になった母親との間の長男として生まれました。

 父親は青森北高校を出た後に、母親は太宰治らが卒業生に名を連ねる名門の青森高校を出た後に金融機関に就職します。加藤が生まれて3年後に、3歳年下の弟が生まれます。

 加藤は、小学校・中学校では勉強もスポーツもできました。車が好きでレースゲームに熱中しており、高校は、試験で点を取る勉強ではなく工具を持って現場に近いことを学びたかったため、工業高校か地元の私立高校に通いたいと思っていたそうです。しかし、母親の意向で、母親と同じ青森高校に進学。高校入学後は、勉強に遅れを取るようになります。

加藤智大の母親


 加藤の母親は、知り合いの主婦が「躾と虐待の区別が分かっていない」のではと雑誌の取材で答えるほどでした。

 加藤は、幼い頃から母親から叱責され続けました。が、怒る理由は一度も説明されたことがなく、理由を聞いたり、抵抗したりするとさらに叱責が続くため、叱られることにただ耐えるようになります。加藤は、母の罰に耐えかねてよく泣きましたが、母親はスタンプカードを作り、泣くたびにスタンプを押して、スタンプが10個たまるとさらに罰を与えました。

 加藤は食事を食べるのが遅く、しかも母親が作る量が多かったため、食べ終わるのに時間がかかりました。母親は、加藤が食べている途中の食事をチラシの上や廊下にぶちまけ、加藤に食べさせたりしました。加藤は、食事の量が多いことを訴えたかったのですが、もしそうしたら、「最悪、食事を抜かれるということが容易に想像できたから」訴えられませんでした。

 小学校の部活で「野球部に入りたい」と言ったとき、母親は理由を説明せずに「ダメ」の一点張り。加藤は母親の勧めに従い陸上部に入部しました。

 中学3年生のときに2人目の彼女の存在が母親の知るところとなり、彼女からの手紙を引き出しから見つけ出し冷蔵庫に貼り付け、成績にプラスにならないからと、執拗に「あの子と付き合うのはやめなさい」と迫ります。さらに「付き合いをやめないと転校させる」と怒り、転校させられるのが怖くて、加藤は、彼女と付き合うのを止めました。

高校卒業後


 2001年4月、加藤は、岐阜県にある中日本自動車短期大学の自動車工業科に入学し、寮生活を始めます。同校は自動車整備士を育成するための学校。

 しかし、加藤の奨学金は父親の銀行口座に入金されていましたが、父親は奨学金を加藤に渡さなかったといい、加藤は、自動車整備士の資格を取らないことで父親に「アピール」しようと考え、資格を取る意欲をなくしました。

 加藤は、感情や気持ちを言葉で伝えることが極端に苦手で、代わりに、何らかの行動に出て相手に自分の感情や気持ちを分かってもらおう、あるいは、察してもらおうとする、という行動パターンを取るようになっていました。

 加藤は、卒業が迫っている頃、勉強もせずに同級生とのトラブルを起こすなどし、寮を追い出されます。自動車整備士の資格を取得できず、進路も決まらないまま卒業し、青森時代の友人が暮らしていた仙台の下宿に転がり込みます。

 加藤は、ある会社に職を得て、警備事業部に配属され、交通誘導の仕事をするようになります。内勤になり準社員に昇格しましたが、人手が足りなくなると現場に出ました。

 あるとき、交通誘導をしていた加藤の「止まれ」の指示に従わないダンプカーが走り去りました。加藤は、「指示に従わないなら、誘導員はいらないだろう」とキレて、「ダンプへの抗議として」無断で帰宅しました。それから出社しなくなり、退社します。

「リアル」と「ネット」、「ネタ」と「ベタ」


 その後は、埼玉県上尾市の自動車メーカーの工場で働き始めます。青森や仙台を離れて1人で上尾にやってきた加藤は、携帯サイトの掲示板にはまるようになります。また、「私もオタク的要素を持っていたので、秋葉原に自然と興味を持つようになりました」という加藤は、週に1回、秋葉原に1人で行き、ゲームコーナーを見て回ったり、メイド喫茶に行ったりしました。正社員から、「派遣のくせに、黙ってろ」と言われ、その正社員へのアピールとして退社します。

 茨城県つくば市の住宅関連部品を製造する工場を経て、青森の運送業者でトラックを運転する仕事を得ます。能力が認められて正社員に昇格しました。が、掲示板の管理人や、掲示板で知り合った女性に会いに行く旅に出るために会社を辞めました。

 加藤は、派遣社員として、静岡県の関東自動車工業の工場で働き始めます。その頃、加藤は、車のローンを払うのを止めていたり、金融機関からの借金を踏み倒していたり、青森のアパートは夜逃げ同然で出てきていたりしました。現実世界での生活が手詰まりになっていきます。

 工場では、200人の派遣労働者のうち150人を解雇することになり、加藤も、いったんは首切りのリストに入りました。

 一方で、のめり込んでいたネットの掲示板では、加藤は、別人が加藤になりすまして書き込みをする「なりすまし」や、改行などを繰り返し掲示板を見えにくくする「荒らし」に憤っていました。しかし、やがて、荒れ果てた加藤のスレッドには、「なりすまし」や「荒らし」すらも書き込みをしなくなり、加藤一人を除いて、誰もいなくなりました。

 加藤は、スレッドで、誰かからの反応を得るために、「事件」への言及を行うようになります。はじめは「ネタ」に過ぎなかった「事件」が、具体的な想像力を伴う「ベタ」なものへと転換していきました。

『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』の読書感想文


 『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』の中で、1個所、おやっ?っと思った所がありました。

 著者の中島さんは、確かに加藤は「悪い」としながらも、加藤のような青年に「過剰に鞭打つように『自己責任』を強いる社会とは何なのか」などと、社会のあり方に疑問を向けている場面です。加藤への共感を示す若者が多数いることなどにも触れた後、以下の様に記されています。

「なぜ無差別殺傷事件は連鎖するのか。なぜ、彼らが殺傷の対象とするのは『特定の個人』ではなく『不特定の誰か』なのか。なぜ、『誰でもよかった』のか。事件は加藤だけの問題なのか。彼のパーソナリティにすべてを還元できるのか」

 「なぜ、彼らが殺傷の対象とするのは『特定の個人』ではなく『不特定の誰か』なのか。なぜ、『誰でもよかった』のか」という記述を読んで、文中の「彼ら」にも加藤は含まれていると思いますが、はたして、加藤は「誰でもよかった」のだろうかと考えてしまいました。

 加藤は、現実世界よりも掲示板というネットの空間にのめり込んでいったのだと思います。同書にも、何かあったら仕事は辞めて次の場所へ行けばいいといように現実世界が代替え可能なものとなっており、一方で、ネットの世界の掲示板が代替え不可能な存在になっていく様子が記されていました。

 ただ、現実世界が代替え可能な存在になっていたという加藤の中でも、「秋葉原」は代替え不可能な場所であったのかもしれないと思いました。だから、加藤は、「秋葉原」という場所を選び、「秋葉原に集う人々」を選んだのではないかと思いました。

 加藤以外の掲示板に書き込みをしていた人にとって、「秋葉原」という場所が大切なのか、もしくは、何らかの形で掲示板で「秋葉原」が話題に挙がっていたりしたのかなどの詳細はわかりません。また、著者の中島さんは「秋葉原に集う人々」を含めて「不特定の誰か」と記したのかもしれません。実際に、当日秋葉原にいた人々は、加藤とは無関係であり、被害者の方々は無差別に被害に遭っています。

 ただ、加藤にとっては、秋葉原でなければならなかった、のかもしれないと感じました。

 秋葉原は、加藤にとってどんな場所だったのだろうと思いました。「オタク的要素を持って」いる人が「自然と興味を持つようにな」る場所なのかもしれません。もしくは、加藤にとっては、秋葉原は、そこで行動を起こせば分かる人には分かってもらえる場所、もしくは、そこに集う人々なら行動を起こした自分の心の底にある何かを分かってもらえる場所だったのかもしれません。もしそうなら、加藤は何を分かってもらいたかったのだろうと思いました。

 加藤にとって、人がたくさん集まりインパクトを生み出せる場所であればどこでもよかったのではなく、秋葉原であるべき/秋葉原が望ましい……など、事件を固有な場所としての秋葉原で起こした理由があったのであれば、その理由を知りたいと思いました。


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