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天城越え/松本清張のあらすじと読書感想文

2012年9月11日 竹内みちまろ 参照回数:

天城越え/松本清張のあらすじ


 静岡県で印刷業を営む「私」は、静岡県警察本部のある課から「刑事捜査参考資料」という本の印刷を頼まれます。「私」が印刷・製本を終えた本を何気なく見ると、静岡県内の犯罪事例の中に、思いがけなく30数年前に起きた土木作業員殺害事件のことが記されていました。容疑者の「修善寺の売春婦」である大塚ハナ(23歳)は地方裁判所で自分が殺したという自供をひるがえし、凶器が見つからなかったことが決め手となり、証拠不十分で無罪を言い渡されました。検事もあえて控訴せず、時効が成立。

 事件には、最後まで身元が知れなかった被害者である45、6歳と思われる作業員と、容疑者である大塚ハナと、天城トンネル付近で目撃されていた15、6歳の少年が関わっていました。当時、警察は少年をまったく疑っていませんでした。「刑事捜査参考資料」を読んだ「私」は、3、4日ほど仕事が手につかなくなるほどの衝撃を受けます。「刑事捜査参考資料」の中に登場する「少年」とは「私」であり、作業員を殺したのも「私」だったからです。

 「刑事捜査参考資料」に記されている「天城山の土工殺し事件」の概要は以下のとおりです。

 天城トンネルの下を流れる本谷川の白橋の側で、雨傘と、古トランクと、風呂敷包みと、脱ぎ捨てられた法被(ぱっぴ)が発見されました。付近には人が格闘した跡のような形跡も。また、白橋から15、6町(約16.5キロから17.5キロ)離れた天城峠沿いの道のがけに、人が格闘して転落したか、またはよじ登ったような跡があり、裸足で昇降したらしい足跡も発見。数日後、がけで人が争った形跡が発見された場所から約1里(約4キロ)離れた下流の川の中で男の腐乱死体が見つかりました。解剖の結果、他殺と断定。

 天城峠付近を調査したところ、凶行現場近くの氷倉のオガ屑のうえに、9文半(22.5cm)の裸足の足跡が発見され、犯人が氷倉に入ったと予想されました。目撃証言から、裸足のままで草履を帯に挟んだ急ぎ足の大塚ハナと、法被を着た男と、少年が天城山に同じ日に登っており、大塚ハナと男が談話を交わしていたことがわかりました。警察は、大島にいた大塚ハナを取り押さえ、下田警察署へ護送し取調を開始。大塚ハナが修善寺の料理業・西原方から多額の借金を残して出奔(=足抜き逃走)しており、大塚ハナは同僚の女とけんかをしたさい、ときに、はさみを持ち出して相手を傷つけようとしていたことなどをつきとめます。大塚ハナは、天城峠付近の籔の中で、男と性行為を行い、男が金を払わなかったので、所持していた匕首で斬り付け、杉林に転がり落としたところ男は絶命、金を奪って逃走した、と自供します。

 「刑事捜査参考資料」には、直接証拠(=凶器の発見)にとぼしいため被疑者が無罪となった実例であり、大雨のために増水していたとはいえ、本谷川の捜査が不十分であった可能性が指摘されていました。

 「刑事捜査参考資料」を読んだ「私」の回想は以下のとおりです。

 16歳の鍛冶屋の三男だった「私」は、酒飲みの父母と兄弟4人との7人一家で暮らしていました。早起きをするようにという、ひどくやかましい母の小言がいやで、6月の終わりに、鍛冶屋を嫌って静岡の印刷屋の見習い工をしていた長男を頼るつもりで、家出をし、下田街道から天城峠を越え、修善寺へ向かいました。

 「私」は静岡まで野宿をするつもりでしたが、天城トンネルを抜けると、山ひだに小さな人家がとりつく風景が厳しく、「他国」を感じました。行商と思われる道連れと歩いている時、向こうから歩いてくる法被を着た男とすれ違います。陽が落ちると、下田へ引き返す決意をし、しかし、振り返っても誰もいない道が見えるだけで、「私」はしばらく立ち止まりました。すると、修善寺の方角から、ひどく早足で歩く大塚ハナを見かけ、ひとりで引き返す心細さから救われ、大塚ハナの後をついて歩き、やがて、「兄さんはどこまで行くの?」と大塚ハナから問われ、下田までいっしょに行くことになりました。

 「私」と大塚ハナは、とりとめのない話をするなどして歩きましたが、前方に、法被の男が見えました。大塚ハナは、「兄さん、悪いけれど、あんた、先に行って頂戴」と告げ、あ然とした「私」が「それでは、ここで待っている」と返事をすると、大塚ハナは「意外にも急に私を睨」み、「待ってなくともいいから、あんたは、さっさと先に行きなさい」と、荒く、叱るような調子で命じます。

 「私」は法被の男の脇をすり抜けて追い越し、小走りに歩いて振り向くと、大塚ハナと男が何か話をしていました。天城トンネルの入り口まできて、大塚ハナと男が気になった「私」は引き返しました。大塚ハナと別れた場所をかなり過ぎてから、暗いので見逃したのかもしれないと、耳を澄ませながら再び天城トンネルの方へ引き返します。脇の籔から、男と交わっている大塚ハナの声を聞きました。

 大塚ハナはことを終えると、動作が緩慢な男のポケットから、約束の50銭に加えて、もう50銭を取り上げ、「わたしだって、あんたの臭い身体を我慢して、なにしたんだからね。これくらい貰わないと、あわないよ」と捨て台詞をはいて、さっさと行ってしまいました。男は低い声でつぶやきながら、のろのろと歩き出しました。「私」は、天城トンネルを出たところで、持っていた「切出し」で男を殺しました。「私」はその晩、氷倉で一夜を明かし、家に帰りました。刑事が家に来たときには、天城峠で大塚ハナと別れたことだけを告げました。

 「私」が男を殺した理由は、「私」は小さいころに母親が父親ではない男と性行為をしているのを見かけたことがあり、それを思い出し、「自分の女が土工に奪われたような気になった」からでした。また、30数年たった現在に思い起こせば、「大男の流しの土工に、他国の恐ろしさを象徴して感じていたのであった」。

 「刑事捜査参考資料」を注文した刑事部の嘱託となっている田島が「私」を訪れます。「刑事捜査参考資料」に「田島刑事」として登場する人物で、「天城山の土工殺し事件」記録を書いた本人でした。「これは私の失敗談みたいなものです」と語る田島は、当時は、氷倉の足跡は大塚ハナのものだと決めつけていましたが、氷倉に泊まったのは「少年」だと思うと語り、「少年は、かならず、何か知っているはずです」と告げました。「私」は、「田島老刑事は、あの時の“少年”が私であることを知っている」と感じます。そして、「三十数年前の私の行為は時効にかかっているが、私のいまの衝撃は死ぬまで時効にかかることはあるまい」という文で、「天城越え」は終わります。

天城越え/松本清張の読書感想文


 『天城越え』は、映画を見た後、原作を読みました。映画の印象が強かったこともあり、映画と原作の違いに驚きました。なので、今回は、映画と原作の違いについて感じたことを書いてみたいと思います。

 映画では、

(1)母親が、ほんとうの父親ではない男と性行為をし、少年のさみしさが強調

(2)大塚ハナが、警察に対して、少年をかばうようなしぐさをする

 ところが印象的でした。さみしさにかられ、そして、狂気にかられた少年が男を追い回して殺す場面は、泣かせるBGMが流れまくっていたような気がします。原作には、そのような感傷的な演出が皆無だと思いました。

 原作では、(1)が30数年後の50歳に近い「私」の回想として、ラスト近くでひとこと触れられるだけです。さらに、直後に、今になって思えば「他国の恐ろしさを象徴して感じていたのであった」とやけに大人びた言葉で整理されていました。(2)に関しては、「私」は記録を読んではじめて、大塚ハナが「修善寺の売春婦」であることを知っていたくらいです。事件後、刑事が一度、家に事情を聴きに来ただけで、「少年」は事件のことにまったく関係していないようでした。

 一方、映画では、ラストシーンで、田島老刑事が「私」が犯人であると確信していることが、せりふやナレーションを用いずに、表現されます。いうなれば、ぼかして余韻を出すような感じです。原作では、はっきりと「私のいまの衝撃は死ぬまで時効にかかることはあるまい」と記されています。

 映画が、30数年前の少年と女の交流に焦点を当て、女をある意味で“聖母”のように感傷的に描いていたのに対して、原作は30数年たった現在の「私」の「いまの衝撃」を、覚めた視線で浮き彫りにしていたことが印象に残りました。また、浮き彫りにされていたのが、「良心の呵責」や「罪の意識」ではなかったことも心に残りました。おそらく、現在の「私」は、「刑事捜査参考資料」を読むまでは、土木作業員殺しのことはすっかり忘れていたのだと思います。女の素性を30数年後に初めて知っていたくらいですから、「良心の呵責」や「罪の意識」はある時点で消えて、裁判の行方にも関心はなかったのだろうと思います。

 なので、原作「天城越え」で描かれていたのは、「いまの衝撃」だと思いました。また、よく考えてみると、「いまの衝撃」とは、あいまいな言葉だと思いました。40代後半から50歳ほどの「私」は、何に衝撃を受けたのか。自分が人を殺したということなのか、現在の田島老刑事がそれを知っているということなのか、人を殺した人間が何の罪にも問われずに今このように生きていることに対してなのか。いろいろと考えさせるのですが、簡潔な記録の記載を挟んで、記録の記載の前後で相反する「私」の回想を挟むという構成も象徴的だと思いました。記録を読むまでは、「私」はまったく、事件とは無関係というふうに語っていました。意図的にうそをついていたのか、あるいは、事件のことが意識や記憶から完全になくなっていて「私」の中で事件はまったくなかったことになっていたのかもわかりません。原作では、女が無罪になったことが明記され、(記憶ベースですが)映画では裁判の行方・既決は、さほど大切なことのようには描かれていなかったことも気になりました。

 原作「天城越え」は、読み終えて、「私」という人間に対する疑問ばかりが浮かびました。しかし、そのことがかえって、原作「天城越え」を名作にしているのかもしれないと思いました。


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