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弟子/中島敦のあらすじと読書感想文

2013年7月16日 竹内みちまろ 参照回数:

弟子のあらすじ


 古代中国の王朝・周が衰退し、春秋戦国時代が始まります。魯(ろ)国に仲田(ちゅうゆう)、字を子路という者がいました。子路は長剣を好み、近ごろ賢者のうわさが高い孔子を辱めてやろうと、左手に雄鶏を、右手に牡豚を提げ孔子の家に向かいます。鶏と豚をけしかけて、儒家の教えを邪魔した子路と、孔子との間に問答が始まりました。が、孔子は、すぐに、子路の幼稚な自負を見抜き、そして、子路の中にどこか愛すべき素直さを認めました。実直で単純な子路は、すぐに、孔子の問い掛けに答えられなくなり、頭を垂れて、「謹んで教えを受けん」と降参しました。子路は孔子の門下に入ります。

 孔子は40歳に届いておらず、子路は孔子よりも9歳下でした。子路は、孔子は「苦労人だな」とすぐに感じました。無頼者だった子路は、孔子が自身をしのぐだろう武芸の技を持っていることを見抜きますが、孔子は、どこへいっても大丈夫然としています。子路は、孔子があらゆる人間への鋭い観察眼を持っていることを感じ、能力や利用価値ではなく、孔子という人間存在そのものに心酔し、何も求めるもののない敬愛の念を向けました。

 しかし、純粋な子路は、大切なのは崇高な精神と純真な行動だと考えます。そんな子路に礼儀作法や形式を教えることは孔子にとっても難儀でした。また、子路は、孔子へ何ら遠慮することなく反駁し、納得できないことを問い糾していきます。孔子は、子路の利害を度外視する純粋さを愛しました。ある日、子路が魯の街を歩いていると、孔子の悪口を言う人を見かけました。かつて無頼で名を上げていた子路は、人垣をかき分け、鬼の形相でにらみつけます。孔子はそんな子路を遠回しに諫めますが、子路は、同じことをやめません。子路は、孔子は悪口を言われても、「実際は、俺ほど強く怒りを感じやしないんだ。少くとも、抑え得る程度に弱くしか感じていないのだ。きっと・・・・・・・・・。」とくやしがります。孔子は、子路が弟子に加わってから自分の悪口を言う人間がいなくなったと苦笑しました。

 孔子門下では、子路は塾頭格になりました。しかし、門下には、子路よりも更に若い子貢などざまざまな個性を持った逸材が集まってきました。子路という特殊な個人にとっては魅力となりえるようなことでも、他の門下生たち一般にとっては害となるようなこともあり、孔子は、子路へ小言を言ったりしました。孔子は魯に宰相として迎えられ、孔子の施政のもと、魯は国力を増していきました。しかし、斉の策略もあり、魯公は女楽に耽溺し、孔子は粘り強く尽くそうとしますが、やがて、あきらめて、魯を去りました。孔子の長きに渡る遍歴が始まります。

 子路は、子どものころから、なぜ、邪悪が栄えて、正義が虐げられるのだと疑問に思い、憤慨していました。孔子に付き従う遍歴の旅の中でも、子路は「大きな子供」であり続けます。そして、なぜ、大天才で大徳の孔子がこのようなみすぼらしい放浪の旅をしなければならないのだと憤ります。同時に、仕官は求めるが相手は選ぶという孔子の態度が、もとより保身という概念を持たない子路には、孔子が道のためには命は捨てるものと言いつつも保身をはかっているようにも感じられます。ただ、小国の繁栄のためや、時勢の中での活躍だけを願っているわけではない孔子の「超時代的な使命」の概念を、子路は純粋であったゆえに、つかみ得たような所はありました。

 放浪の旅を重ねる中、子路は50歳を過ぎ、孔子の推薦で、衛の国王に仕えていました。衛の国でクーデターが起きました。孔子は、急げ子路が死んでしまう、と口にします。しかし、孔子が危惧したとおり、子路は王を助けようと渦中に飛び込み、全身を切り刻まれてしまいました。孔子は、さめざめと涙を流し、子路の屍が塩漬けにされたことを聞くと、家中の塩漬けの類のものをすべて捨てさせ、以後、塩漬けは一切、膳にあげさせませんでした。

弟子の読書感想文


 「弟子」は、読み終えて、生き様というものを考えました。孔子も、子路も、悪がはびこり、正義が打ちのめされていく世の中に憤りを感じ、それを正したいという願う心は同じだったと思います。しかし、そのためには、どうすればよいのかという手段の問題になったとたん、人間心理や時の運などの機微にも通じバランス感覚を持っていた孔子と、直情型の子路とでは、取る行動に違いが出て、場合によっては、正反対のことを主張したりもします。

 また、孔子は政治的・思想的に生きることに重きを置き、子路は純粋な心に偽りなく従うことに重きを置いていたのかもしれません。そんな子路にとっては、孔子には納得できない部分があり、その溝は生涯埋まらなかったようです。しかし、孔子と子路は対立する立場になったことがありませんので、袂を別ったり、反目しあったりすることはありませんでした。その点では、2人は幸せだったかもしれません。

 孔子と子路は、そもそもに、生き方の思想が違い、当然の結果として、生き様もちがったものになります。しかし、2人は、わかり合えなかったのかというと、そうでもないのかもしれないと思います。孔子は、子路の純粋さを愛し、子路は孔子という人間存在を敬愛しました。

 「弟子」は、読み終えて、何よりも、子路の純粋さが美しいと思いました。子路は、利害でも、思想でも、発想でもなく、いうなれば本能とでもいうものに従って生きています。子路は、自分の生き様がどうだとか、人からどう評価されているだとか、社会にどんな役割を果たしているのかなどは考えません。ただ純粋な心に従って生きています。そして、孔子を敬愛し、敬愛する孔子の行動に納得ができなかったら憤慨します。子路は、裏表がなく、そして、人を貶めたり、人を利用したり、心をいつわることがありませんでした。歴史という点では、孔子のような人物は名前が残り、子路のような人物は名前が残らず、人々の記憶にも残らないのかもしれませんが、人間が生きるのは後世に名前を残すためではないようにも思えます。子路は、目の前にある人生を、自分の心をいつわることなく、純粋に生きたのではないかと思いました。


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